小道の私

@kai101719

4

瀬戸内蒼葉は恩師の首吊り死体を前にして失意の念に駆られていた。今日の彼女は先生と初めて出会った空き地で再会する約束したはずだった。

夕暮れの鐘が鳴り、児童さえ履けてしまった後のこの場所はいつも荒涼としてどこか物寂しい空気がただよっている。忙しく鳴く夜ガラスも日暮れを境にどこかへ飛びさっていく。蒼葉がついさっきここを覗いた時も、初めて会話を交わしたあの頃でもこの空間の静けさは変わらない。工事が未完のまま放置され何年もの間子供から御年寄までの幅広い年齢層の共有スペースとして機能し、近所の待ち合わせと言えば真っ先に名が挙がる地元の秘境である。空き地の中央に佇む工事用の錆び付いて赤が禿げた鉄筋に腰かけた。冬の気温で冷たさを込めている。それと、どこか懐かく、ふくらはぎへ心身がほっとする感覚が宿った。時間が近づくと蒼葉は水筒を取り出し、キャップをコップ代わりにホットコーヒーを注ぐと、くぴくぴっと飲みながら地面に生えた霜をつま先でコツコツと打った。

「早く来ないかなぁ」

視線はあちらこちらのどうともしない場所を行き来した。待ち人の登場に胸を膨らませる。もちろん紙コップを携えて、差し入れの心も忘れない。

しかし、いくら待てども彼は来ない。西明りさえ落ちきって、街頭が町を照らしても、革靴が地を擦る音は聞こえない。彼の身に何かあったのではないか。杞憂だと思いつつも心配性の彼女はlineにメッセージを送った。

「先生、大丈夫ですか?約束17時でしたよね?」

しかし、それが悲劇への火蓋を切った。彼女の背後、住宅街の影にひっそりと反り立つ枯れ木からブブっと何か揺れる音が聞こえた。驚きのあまり肩をあげてコーヒーを宙にほぅてしまった。

狸かキツネかどちらも違う。動物では無い。もっと身近で触れたことのある音であった。恐る恐る枯れ木の裏へ回り込む。

「どうして?」

蒼葉は目の前の驚愕の光景に目を大きく見開いてしばらくの間動けなかった。これが雪景色の見せる幻想ならばなんと惨い神の悪趣味であるかと。

しかし現実はくっきりと恩師の輪郭をなぞった。空き地冬季の夜風が無垢な野うさぎを嘲笑うように飄々と通り去る。

「先生...先生...」

嗚咽混じりの声で亡き人の名を呼び続ける。しかし、返事は当然返ってこない。ぼんやりとした視界のまま足を少しずつ動かし数メートル先の枯れ木に辿り着く。木の表面はざらざらとしていて冷たく、洗濯板を彷彿とさせた。纏まらない思考を必死に繋ぎ止め、過去の走馬灯に思いを馳せ続けた。泣く私を優しく抱きしめて慰めてくれた愛しの人。両親の温もりを知らず育った私に許された唯一の人肌。なのに吊るされた先生の姿は枯れ木の枝よりも細々く移り、体の温度は溶けない氷を内包していた。

ことの経緯は木枯らしが知っているのだろうか。

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