37 怪物の港②




 魔石から感じる、か細い魔物的存在の揺らぎを頼りに、ケイデンスは魔法を行使して建物の屋根へ駆け上がった。

 海の魔物であるセイレーン対策が功を称しているのか、港は随分と魔物の存在が希薄になっている。国を守る騎士として喜ばしい限りだが、いざ魔法を使うとなると、なかなか骨が折れる作業だった。


 隙間の開いた屋根から中を覗き込むと、一人のがテーブルに広げた紙を眺めている。やや遠目で見えづらいが、手書きで描かれた、何処かの建造物内を示すもののようだった。

 テーブルを挟んだ騎士の前には、『秘境の使徒』首領、アルコイの姿が見えて、ケイデンスは眉を顰める。


 プラトヴァーニら、ハルキナ領が隠匿している何かを欲していると、メゾラは言っていた。アルコイはプラトヴァーニに接触している事が分かっているので、彼が居るのは想定のうちだ。

 しかし彼と対峙する一人の騎士については、どうにも合点がいかない。


 (……アゴール兄上……)


 見間違いようもなく、そこにいるのはケイデンスの兄であり、第一小隊隊長アゴール・メローだ。


 アゴールは暫く無言で紙を見つめ、嘆息しつつ紙を丸めると、無造作に他の書面と束ねて紐で括る。


「……なるほど。ハルキナ公爵様が、屋敷の増築を進めているとは聞いていたが……。医療棟とは名ばかりだ」

「信じて頂けたかな、アゴール殿」

「ああ。あまりに不自然な空間だ。……ここにセイレーンを匿っているというのか」


 思いもよらない話題に息をのみ、ケイデンスは己の口を押さえて呼吸を殺し、目を見開く。


 (セイレーンを匿ってる? どういう事なんだ?)


 密談を進めていく二人の会話から察するに、アルコイたち使徒はハルキナ公爵家にいる、セイレーンを奪い取りたい意向があるようだ。しかしプラトヴァーニを通じて内情を探ろうとしても、頑なに躱され口を割る素振りもない。

 何より、使徒らが連携して調べを進めると、どうやらセイレーンの中でも上位種に当たる個体だというのだ。

 彼ら『秘境の使徒』は、魔法使いとして強さを追い求めているが、基礎的な戦闘訓練を積んでいるわけでも、日常的に魔物と交戦しているわけでもない。あまりに強力な魔物では、太刀打ちできない事の方が多いという。

 その為、第一小隊隊長であるアゴールと接点を持ち、騎士団に調査へ乗り出してもらおうとしているのである。


 騎士団としても、魔物の存在を無視することは出来ない。特に最近は、王族の側に魔物を近づけたという悪評も燻っていて、騎士団長や、前線を任されている上層小隊は神経を尖らせていた。 

 その状況を察知したアルコイは、ハルキナ公爵家に関する様々な情報を仕入れて、アゴールに垂れ込んだのだろう。疑わしき証拠が揃ってくれば、騎士団自ら動いてくれると踏んだのだ。


 しかし、である。


「約束通り、魔物は討伐しないでくれよ? そっちは俺らの取り分だからさ」

「善処しよう。その代わり、我々の邪魔をするようなら容赦はしない」

「はいはい」


 (善処って、そんな、良いわけないだろ……!?)


 兄はいつでも騎士団長である父の背を追う、誇り高き騎士であったはずだ。今までなら有無を言わさず、魔物を討伐していたはずである。

 戸惑うケイデンスの思考など二人は知らず、アルコイは座る椅子の背にもたれると、両腕をあげて背中を伸ばした。


「騎士団も大変だ。俺たちみたいな奴らとも交渉して、手柄を立てなくちゃならない……なんてなぁ」


 揶揄い混じりの声音に、アゴールから返答は無いながらも、その表情は険しさを増している。

 兄は片手に持つ地図を握りしめ、吐き出した息が感情によって揺れ動いていた。


「……我が辺境伯家の立場は、ただでさえ無能のせいで危ぶまれている。功績を立てることは必要だ」

「へぇ、討伐しないで俺たちにも手柄をくれるのに、それが功績になるって?」

「そこにいるのは、魔物を纏う異端者たちでも手が出せないほど、強力な個体なのだろう?」


 アゴールの言い分に、アルコイの目が微かに見開かれる。そのまま片手を口元に当てて沈黙し、視線をテーブルまで逸らした。

 それ以上の言葉が無くなった『秘境の使徒』首領に、交渉は済んだとアゴールは背中を向け、薄暗い家屋を後にしていく。


 ケイデンスが、扉を開けて遠ざかる靴音に耳を澄ませていると、アルコイが椅子から立ち上がった。

 彼は先ほどまでの飄々とした薄ら笑いを引っ込め、心底苦々しいと言わんばかりに舌打ちする。


「……強さに固執する気概もねぇのに、立場に執着する野郎が偉そうに。なにが無能のせいだよクソが」


 彼はそう吐き捨てると踵を返し、アゴールとは別方向から家屋を出ていった。


 ケイデンスは暫しその場に蹲り、どう対処すべきか思案する。

 もし兄が本当に、ハルキナ公爵家でセイレーンを囲っている事を知りながら、踏み込んで摘発するに留めるのなら。

 強力な個体で対処できず、勇猛果敢に挑んだ末、『秘境の使徒』の横槍が入ったのなら。


 (……対外的な対処で、良いってことなのか、兄上? ……どうしちゃったんだよ……)

 

 リリアリアがケイデンスを気遣う影響で、辺境伯家の実情はあまり耳に入ってこない。

 自分が禁術習得の為、躍起になっている間、知らない現実が絶えず動いているようだった。


 ケイデンスは軽く両頬を叩き、息を詰めて立ち上がる。今はハルキナ公爵家の内部を、如何に調査するかが重要だ。アゴールより先に魔物を見つけ、リリアリアに報告しつつ対策を講じる事が先決である。

 靴音に注意しつつ屋根を飛び移って、人の気配がない路上へ降り立つ。

 そして陽光の届かない路地から、賑わう大通りに向けて歩き出そうとして、薄暗い背後から男の声に呼び止められた。


「──所有者の手を離れた単独行動は、危険すぎるぞ」 

 

  


 




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