29 悪趣味な①



 心臓が口から飛び出そうなほど驚き、慌てて抱擁を解いて振り返る。

 座り込んだ二人を見下ろすヒースリングは、呆気に取られ口を半開きにする様子に吹き出し、ケラケラと笑った。


「そんなにびっくりしなくても、大丈夫だよぉ」

「で、ですがコーダ司書、いま……えっ」


 蒼白のリリアリアが床を指差すが、先ほどまで倒れていたはずの存在が、徐々に形を変え始める。

 最終的に爬虫類の鱗に似た、やや光沢がかった身体の一部になると、床を這いながらヒースリングが着用する衣服の、長い裾に入っていった。

 小柄な両手を広げ、傷ひとつない状態を見せつつ、ヒースリングが口角を吊り上げる。


「ふふ! 少し感覚は掴めたかな? 凄かったねぇイルデロン。ボクじゃなかったら死んじゃってたねぇ」

「っ流石に荒療治が過ぎますわ!」

「ごめんごめん、わぁ、待って、痛い痛い、引っ張らないでぇ」

「どうしてあなたはそう、人を揶揄うような真似ばかりなさるの!」


 憤慨するリリアリアが長髪に両手を突き入れ、問答無用で左右に耳を引っ張り上げた。

 笑い混じりの悲鳴を上げる友人と、矢継ぎに叱責する王女の声が、暫し空間にこだまする。  

 ケイデンスは未だ唖然としたまま、早鐘を打つ心臓にこめかみが痛み、痙攣する己の手を握りしめた。


 (……相手は、ヒース、……だったのに)


 自分自身の行動が信じられず、喉が急速に渇いて呼吸が張り付く。


 ヒースリングと自分達には、形容できない信頼がある。友は非常に特殊な存在だが、ケイデンスはそう自負していた。

 

 いくらリリアリアに襲いかかる振りをしても、ヒースリングが二人を傷つけることはない。実際、ケイデンスは肩と腹にそれぞれ打撃を受けたものの、衝撃が強過ぎて吐き気が込み上げただけで、

 リリアリアに対しても、頬を撫でただけである。頭に血が上ったケイデンスの魔法によって、彼女が怪我をしないように、己の腕に抱え込んだだけだった。

 

 冷静になれば、ヒースリングが本気ではない事など、簡単に分かるはずだった。友が持つ本来の実力は、生半可に交戦できるほど、易しいものではない。模擬戦がケイデンスに気付きを与える延長線であると、見抜けるはずだった、のに。

 

(加減できなかった……)


 騎士として護るべき王女が、目の前で悪意を向けられたと感じたとき、ケイデンスに湧き上がったのは明確な敵意だった。

 あらゆる手段で、悪意を押さえつけなければならない。彼女に害ある存在を、排除しなければならない。それは酷く凶暴な思考で、思い返すと背筋が震え上がる。

 騎士の矜持や責務といった、美しく明瞭な言葉で表現して良い感情ではなかった。


 床の一点を見つめたまま、細く早い呼吸を繰り返すケイデンスに、リリアリアが目を見開く。


「ケイデンス? どうしましたの」


 傍に寄り添って、強張った騎士の手に片手を添えた。そして冷たさに驚き、血が通うように両手で包み込む。

 呼びかけに答えられず首を振った時、ヒースリングがケイデンスの肩を叩いた。


「いいんだよぉ、ケイデンス。怒りは大事な感情なんだよ。特に君は、日常生活から我慢ばっかりだからねぇ。王女様を一番守りたい気持ちに、嘘をついちゃいけないよ」


 囁くように伝えられる言葉に、緩慢な動作で視線を上げる。


「君が強さを望むなら、ボクがなんだってしてあげる。君が守ろうとする存在がいれば、それを守護する天使にもなるし、君の成長の為に嫌われる、世界を滅ぼす悪魔になったっていいんだよ」

「…………悪趣味だ」

「そう? 君に巣食う事が出来るなら全部、他愛無いお遊びでしょ?」


 眉を寄せて睨んでも、ヒースリングは普段通り笑うだけだ。

 リリアリアが溜め息を吐き出し、嗜めようとしたところで、空気が動いてカウンターの外へ視線を向けた。


 出入り口の扉の方で、複数の声がする。中にはクロエリィの声が混ざって聞こえ、ケイデンスはハッとして顔を青褪めた。


 そういえば頭から抜け落ちていたが、扉の隅では護衛姉妹が待機している。いくらカウンターに山と積まれた、本の内側だったとはいえ、先ほどの騒動など筒抜けであった事だろう。

 リリアリアも流石に口を引き結んだ様子が見え、ますます血の気が引いたケイデンスの背を、ヒースリングが軽く叩いた。


「この図書館は魔法が張り巡らされているから、心配いらないよぉ」

「いや、だが、さっきのは流石に不味いだろ……っ」

「大丈夫大丈夫。ボクの居城が、ボクのお気に入り以外に荒らされたら、大変でしょ? 事前にたくさん仕掛けを作ってもらってるんだよねぇ。覗き込まれなきゃ異変があったことなんて、誰も気が付かないよぉ」


 二人を立ち上がらせ、椅子に座らせたヒースリングが、客人を迎えようとカウンターに近寄っていく。 

 ケイデンスが図書館に通うようになり、来館する人間など出会ったことがなかった。異様な居心地の悪さを感じつつ、リリアリアと顔を見合わせると、朗らかな声が聞こえて目を見開いた。


「図書館の存在は知っていましたが、初めて入りました。素晴らしい蔵書の数ですね。……失礼、こちらで第二王女殿下にお目通り頂けると伺い、参じた次第でございます」


 思わず視線を向けてしまえば、柔和な微笑みと交差する。

 図書館に来る直前、城内の外廊下より見かけた公爵家の御曹司、──ベルノイアの婚約者である長身の青年は、片手を胸に当て礼儀正しく一礼した。 

 


 





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