17 相応しさとは③
ヴィーガルデ共和国は、三つの独立した自治組織が協力して成り立っている。
その中の一国にある大都ガンデは、眠らない都とも呼ばれていた。
月が真上にくるほどの時間帯でも、大通りは人々の活気に溢れている。等間隔で建てられた、魔石を使用した街灯には、煌々と灯りが輝き道を照らしていた。
ケイデンスは顔を隠すほど深くフードを被り、指定された場所まで歩いて行く。
物流拠点である都市部は人の往来も多く、他国から多くの来訪客が訪れていて、ケイデンスがどこを歩こうが目立つことはなかった。
(二つの塔を右手に、路地に入って、……それから、あ、あれが犬の印か)
片手に持つメモを頼りに進んでいけば、徐々に人々の喧騒が背中から離れていく。
体の向きを変えて狭い路地に入り、口を開けたままの物入れを避け、ようやく指定のゴミ捨て場の前に辿り着いた。
周囲を見渡すと、煉瓦造りの小屋の屋根から、緩やかに片手を振る影が見える。
ケイデンスは意を決して近寄り、積まれた瓦礫を頼りに足をかけ、その影がいる場所に乗り上げた。
「ヒース?」
「ふふ! 本当に来ちゃうなんて、悪い子だなぁイルデロン。そうこなくっちゃねぇ」
普段通り体の線が出ない衣服に身を包み、キャスケットの上からフードまで被ったヒースリングは、長い袖でケイデンスの額に触れる。
そして緩慢な動作で下方を指し示すと、視線の先には石の階段があり、古びた扉が佇んでいた。
ケイデンスがヒースリングに依頼した事は、再起不能にした少女の所属する組織を割り出してほしい、というものだった。
にわかに信じがたい話だが、ヒースリングは単独で、めぼしい国を片っ端から当たってくれたのだという。そして『秘境の使徒』に少女が在籍する証拠を掴むと、ティエラ王国騎士団を通じてケイデンスに居場所を伝え、本拠地までの道順を手紙の形で彼に届けたのだ。
まさかこれほど早く本拠地が見つかるとは、夢にも思っていなかった。
ケイデンスは眉を顰めて唇を引き結び、爪先で煉瓦を鈍く引っ掻く。その様子にヒースリングは笑みを消すと、再び袖で彼の額を軽く撫でた。
「イルデロン。いいんだよぉ、ボクに願いなよ。君の為ならボクが、なんだってしてあげるよぉ」
「……」
「あそこにいる人間達が、君を困らせているんでしょ? 大好きな王女様と一緒にいるために、頑張る君を踏み躙ろうとしてるんでしょ? ふふ! 任せてよぉ、ボクがぜーんぶ、……ちゃんと殺してきてあげる」
ヒースリングの声が、不自然に掠れる。空気が肌にまとわりつくような冷気を伴い、ケイデンスは双眸を細めて友を一瞥した。
口元しか見えない暗闇の奥から、深淵がこちらを覗いているような錯覚に囚われる。口内を埋め尽くす歯は歪で、かろうじてヒトらしい関節がある腕が、ゆら、と空中を漂った。
ケイデンスは緊張に乾いた口内を唾で湿らせ、小さく首を振る。
「……そういう事は言うなよ。冗談でも怒るぞ」
「そう?」
「そうだよ。ヒース、お前は俺の友人じゃないか。だから俺に手を貸してくれる。俺は友人に人殺しなんてさせたくない。……そうだろ?」
一言ずつ言い聞かせるように言えば、ヒースリングは纏っていた不穏な気配を霧散させ、首を傾けて一瞬、沈黙した。
そして堪えきれないと言わんばかりに吹き出し、しかし大声にならないよう、口を腕で覆い肩を震わせる。
「ふふ、ふ、っ、君のそういうところ、ボクはお馬鹿さんだと思うなぁ」
「うるさいな」
「でも、そうだった。そうだったねぇ。ボクと君は親友で、共謀者で、悪友だ。
「リリアリア王女殿下はそんな人じゃない」
「恋は盲目って、素晴らしいよぉ。ふふ! 全然嫌いじゃないから、君ってやっぱり最高だねぇ。……さ、無駄話はこの辺にしよう」
言葉を切ったヒースリングは、ケイデンスを促して小屋から飛び降りた。
足音に気をつけながら扉の前に進み、ケイデンスは緊張した面持ちで取っ手に手をかけ、重量のある扉を引き開ける。
多少、錆びた音を響かせながらも、難なく開いたそこには、再び下り階段が地下に向かって続いていた。
生ぬるい風が頬を撫で、今から行おうとしている動機が心を苛み、僅かに足が怯む。
顔色のない横顔を見上げ、ヒースリングが軽く背中を叩いた。
「君の行いは正当性が認められるよぉ。だってここにいる連中を、王国から退けようとしているんだよ? 王国に危害がないように、事前に食い止めようとしてるんでしょ? 立派な騎士の鏡でしょ?」
励ます意図に気がついて、ケイデンスは口元を緩ませる。
親友に小さく礼を伝え、しかし表情は晴れないまま闇を睨んだ。
ここを降りてしまえば、後戻りは出来ない。
ケイデンスが大都ガンデに来た目的は、『秘境の使徒』に渡ってしまった自らの情報を消すためだ。
根幹を叩き他言無用の約束を取り付け、ケイデンスという存在を
ようやくリリアリアの役に立てるのだ。彼女の近衛騎士として、彼女を守れる力を手にできそうなのだ。
上手く立ち回れば今度こそ、ロンビンラーク辺境伯家にとって、恥ずかしくない存在になれるかもしれない。
不出来な無能だと罵られる事なく、誇れる存在に、自分もきっとなれるかもしれない──。
脳裏にリリアリアの笑顔が浮かび、砂嵐の様に歪んで消えていく。
ケイデンスは思考を打ち切り、自嘲気味に笑みを溢した。
「……騎士道の相応しさとは、きっと程遠いな」
それでもケイデンスは顎を引くと、灯りも届かない地下階段へ足を踏み入れる。
ヒースリングは下りていく背中を眺め、再び喉の奥で笑った。そして重い扉を衣服越しに掴むと、後ろ手に引き寄せながら、ドアノブを
暗闇の先に見える僅かな光が、希望であるのか焦燥であるのか、今のケイデンスでは判断できない。
彼は息を殺して最後まで階段を下り、浮遊する意識を手繰り寄せつつ、剣の柄に指をかけた。
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