無詠唱歌の禁術使い
向野こはる
序章
序 建国以来の大事件
ケイデンス・メロー。五歳。
彼は今、両親に連れられて、教会にやってきていた。
王国の守護神を
ケイデンスは緊張で胸を高鳴らせながら、母に手を引かれて祭壇に近づいていく。周囲には彼と同じ目的で集められた、幼い少年少女たちが、同じく緊張した面持ちで座席に座っていた。
来訪の目的は、五歳児に向けた祝いの洗礼と、自身に宿る魔力量の検査だ。
この国では身分に関係なく、五歳になると自分の魔力量が検査され、膨大な魔力を持つ子供は、王家が後ろ盾につくこととなっている。
平民と貴族は検査する協会が違うので、この場にはいない。それでもどこかで、魔法使いの金の卵が生まれていると思うと、ケイデンスは尚更、心臓の鼓動が早くなった。
しかし幼いながらも、それが期待ではなく不安であることを、彼は理解していた。
「大司教。ご無沙汰しておりますな」
「これはロビンラーク辺境伯様。ご無沙汰しております」
前を歩いていた父が、細かい傷のある無骨な顔を和らげ、老齢の大司教と握手を交わす。
「大司教、三番目の息子であるケイデンスだ」
「っはじめまして、ロビンラークへんきょうはくが、だいさんし、ケイデンス・メローです」
少し上擦りながらもケイデンスが挨拶すると、大司教は僅かに目を見開いた。
背後で順番を待つ子供達に騒めきがあり、誰かが「天使みたい」と小さく呟く。
ケイデンスはくすんだ金色の短髪に、僅かに垂れて小さいベビーブルーの瞳という、あまりパッとしない容姿だが、その声は誰もが振り返るほど美しかったのだ。
彼は流石に恥ずかしくなり、しかし王国騎士団長である父に恥はかかせられないと、冷や汗をかきながら顎を上げる。
大司教は柔和に微笑んで、ケイデンスを呼び寄せると、祭壇の上にある不思議な石板の前に立つよう、指示をした。
彼の背丈ほどあるそれは、全てが鏡面のように磨かれ、ケイデンスの顔が綺麗に映り込んでいる。
手をかざすよう促され、恐る恐る、彼は小さな両手を前に突き出した。
(おねがい、……おねがいします)
小刻みに指先が震え、けれども吸い寄せられる感覚が体を動かし、踏み出すままに両手が石板を握りしめる。
(おねがい、おねがい、どうか、……
瞬間、石板が木っ端微塵に弾け飛んだ。
周囲からもケイデンスの口からも、悲鳴が上がって動揺が走るが、石板に施された魔法が発動し、瞬時に元通りになる。
しかし腰を抜かして尻餅をつく彼の前で、かろうじて形だけ保った石板は、黒焦げのまま煙を立てて熱を放出していた。
呆気に取られる周囲に、先に意識を引き戻した大司教が、興奮しながらケイデンスを抱き起こす。
「素晴らしい! 魔力判定の石板が粉々になるなど、前代未聞だ。君は国一番の、いや、世界一の魔力を持っていると言っても、過言ではない!」
「へ……?」
「ロビンラーク辺境伯様! やはり貴方のご子息は、兄君も含めて素晴らしい!」
興奮しすぎて捲し立てる大司教は、父の険しい顔も、母の落胆も、見えていないのだろう。
ケイデンスは真っ青な顔で立ち上がり、呆然としたまま体を揺すられ、視線を足下にさげた。
確かにケイデンスが、両親からも、敬愛する兄たちからも、将来を有望視されるほどの金の卵であれば、大司教と一緒に飛び上がるほど喜んでいただろう。
だが、現実は無情なのだ。
「これほど良い機会はない。さぁ、どうか皆の前で、君の
大司教の言葉は地獄への餞別だ。
父母に顔を向けると、彼らは溜め息を吐き出して、周辺の様子など気にも留めずに踵を返してしまう。
ケイデンスは早々に見限られたと察して、しかしこの状況を打破する解決策も浮かばず、泣き出す気力もないまま両手で衣服を握りしめた。
もはやこの雰囲気は、肯定しかできない。
せめてもの慈悲に、父母が教会の扉を出た事を確認し、ケイデンスは息を吸い込む。
彼は精一杯、今日この日まで喉が枯れるほど練習した旋律を、魔力と共に『うた』へ乗せた。
おそらくそれは王国史上、最もくだらないのに深刻な、大事件であった事だろう。
世界一の魔力量を保持し、ハッとするほど美しい声で話す少年は、──極度の音痴だったのだ。
ケイデンス・メロー。五歳。
彼の憂鬱で懸命な、少しばかり人に言えない人生は、この瞬間から始まる事になる。
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