第8話
一命をとりとめたレンは一般病棟に移されていたが相変わらず寝たきりで、脳死判定を受ける間際にあった。ひとり部屋を与えられていること自体が、医師が彼の死を宣告しているようなものだった。
室内には見舞いの品が山のように並んでいる。安国の葬式とは雲泥の差だった。レンは多くの人に愛されているのだ。
世那は恐る恐る彼の手に触れた。暖かかった。
「犬養君、目を覚まして……」
願ったものの、それを心から信じているわけではなかった。最先端医療に通じた医師が彼の回復は望めないと言っているのだ。どれほど強く願ったところで、彼の意識が戻ることはないだろう。
祖父を亡くし、次はレンまで亡くしてしまうなんて。……思っただけで涙があふれた。
「何を泣く?」
聞き覚えのある声……。涙をぬぐう。
真黒なマント姿のカーズがドアの前に立っていた。
「どうしてここに?」
「ずっとお前を捜していた」
やっぱり変な人だ、と思った。
「私を?……どうして?」
「連れ帰るためだ。お前は25年前にヒイロ・ブライアンに誘拐されたのだ。ヒイロ・ブライアンの死によってお前の居所が判明した。それで俺様がわざわざやって来たというわけだ」
誘拐? ヒイロ・ブライアン? やっぱりこの人は怪しい!……世那はカーズの言うことを信じなかった。
「ここは彼の病室です。犬養君と関係がないなら出て行ってください」
きっぱり告げると、カーズが顔をゆがめた。
「魔王の娘ともあろうものが、人間の……、いや、獣人血を引く者の無事を祈るとは、なんとも情けないことだ」
ジュウジン?……彼の言葉は益々意味不明なものになっていく。
「早く出て行ってください。人を呼びますよ」
脅かしても彼は動じなかった。
「フン……」彼が憤りを鼻音で表す。「……その男は簡単には死にはしない。なにしろ獣人の血をひいているからな」
「脳死と判定されたら、彼の臓器は取られてしまうのですよ!」
世那は強く反論した。
「それほど案じるならば、お前が治してやればいい」
「私になんてできるはずが……」
できるなら、とっくにやっている。
「お前の魔力なら、その程度の病、簡単に治せるだろう」
「病院でふざけないで。私をからかって何が面白いのですか……」
悲しみが苛立ちに、苛立ちが怒りに変わっていた。
「まったく……」彼は首を左右に振った。「……今、ヒイロ・ブライアンがかけた封印を解いてやる。自分でその男を治療してやれ」
「そんな……」嘘に違いないと思いながらも、期待が怒りに勝った。「……できるのですか?」
「もちろんだ。ただし、病気が治ったら、その男はお前のことをすべて忘れるだろう。それでも治してやるか?」
考えるまでもなかった。
「もちろん!」
反射的に答えた。その時、世那の中には希望だけがあった。
「フン……」彼は再び鼻を鳴らし、ブワっとマントを広げて両腕を左右に広げた。「……〇▽◇●……」
意味不明な音が彼の唇から漏れた。
どういうこと?……世那の身体が熱く、軽くなっていく。
彼が両手をあわせて印を結ぶ。「……〇▽◇●……」結んだ印を解いた。
「魔力が内にこもり、これまで苦しかっただろう……」
彼が同情していた。しかし世那に、魔力で苦しんだ記憶はなかった。
「……終わったぞ。俺様が封印を解いた。白の水晶の精に命じる、と告げた後、その男の病を治すよう、強く念じてみろ。1時間後には、そいつは走り回れるようになるはずだ」
「まさか? 本当?」
「さっさとやれ。俺様は暇ではない。その男の健康な姿をイメージして念じるのだ。イメージできなければ成果はえられない。魔法の成否は、すべてイメージの精度の良否にあると思え」
「イメージの精度?」
からかわれているだけのようでもあるけれど、今は、カーズの言葉を信じてレンを治そうと決めた。妄想は得意だ!
「白のクリスタルの精に命じる……」彼を元通りにしてください。健康で明るい彼に……。
胸の前で両手を組み、一心不乱に念じる。脳内にたくましい全裸の肉体が浮かんだ。ラブホテルで見たものだ。それは子犬のように丸い目をして微笑んでいた。
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