第106話 王旗を掲げよ

 

 階段を下りて一階の部屋に入った。

 途端にカザムたちが眉をひそめる。

 カナンを中心に酒盛りの真っ最中だ。周囲に並ぶ騎士たちも距離を置いていた。

 礼を逸していると考えているようだ。


 しかし、これは逆にありがたい。ここで神妙な顔をされて待たれていても、言葉に詰まるだけだろう。

 足を進めると、気が付いたサラたちが慌ててカップを置いて片膝を付く。

 やめろよ、そんなことは。


「王よ、お待ちしておりました」

「王か、その言い方は何とかならないか」 


 おれはテーブルまで進むと、椅子を横にずらして床に腰を下ろした。

 これで、視線は対等になる。


「なりません。それに、床に座るなど。王は創聖皇の選ばれた方、国の威信にも関わります」


 威信ね、王というのは、何かと大変そうなニックネームだ。


「王よ。椅子にお掛けください」

「そこに座れば、お前たちと目が合わないじゃないか」

「王は君臨する方。印綬の者といえども、はっきりとした上下があります」


 アレクが即答する。


「その上下は、視線の上下なのか。それとも、そうしないと理解が出来ないような上下関係なのか。だいたい、同じ道をこれから歩むのだろう。そこに上下などと下らないものを持ち込むな」

「隆也らしいな」


 サラが笑い出す。


「サラ、我らの王だ」


 ラムザスも笑いながら立ち上がると、椅子を引いた。


「椅子に座るならば、おれにもカップを出してくれ」

「の、飲むのか」


 驚いたように聞いたのは、サラだ。

 もう肩肘を張るのは止めたんだ。おれは、おれでしかない。


「仲間が飲むのだから、一緒に飲むのが当たり前だ」


 立ち上がったその前に、カップが置かれた。


「それで、皆に伝えておきたいことがある」


 壁際に立つアベルとカザムたちに目を向ける。


「彼らシムグレイ一族は、おれ個人の従者になった」

「なるほど、王宮には仕えずか」


 サラが頷く。


「ついては、サラ。彼らの旅札の後見人はサラの名前を使いたい」

「ま、待て。後見人とはどういうことだ」


 その言葉に慌てて立ち上がる。


「隆也の従者だろう。後見人は隆也じゃないのか」

「だから、サラ。王だ」


 今度は、アレクが強めに言う。


「王よ。しかし」

「いや、それが妥当じゃな」


 手を打ったのはカナンだ。


「疾風のサラといえば、その厳しさと冷たさも有名じゃ。その名が記されれば、官吏も何も言えんじゃろ」

「ちょっと待て、私は厳しさも冷たさもないぞ」


 身体を乗り出そうとするその肩を、ラムザスが優しく叩いた。


「な、慰めるな」


 顔を真っ赤にするサラを見ると、

「サラの了承は貰った。すぐに掛かってくれ」

背後のアベルたちに目を移した。


「承知致しました」


 全員が一礼し、部屋を出て行く。


 それを見送り、

「それと、王というニックネームはいいよ。おれたちだけの時は外そう」

カップを取った。


「いえいえ、それは拙いでしょう」

「問題ないだろ。それでは、おれはアレク殿と呼ばないといけないのか」

「いえ、王は臣下に対して敬称はいりません」

「だから、それは何の上下だ」


 その言葉にシルフが息を付いた。


「そのやり取りで、アレクに勝ち目はない」

「分かった。我も今まで通りしよう」


 最初に頷いたのはラムザスだ。


「分かりました。ですが、それはこの五人の時だけですよ。他に広がれば、威信も何もあったものじゃないですから」

「王も王だが、臣下も臣下か。お前たちらしい」


 カナンもテーブルの中央でカップを煽る。


「吹っ切れた顔をしているな」


 吹っ切れるか、そう見えているのかもしれないな。


「これが、おれだよ」


 カップを取った。


「隆也の本来の姿か。それよりも、客人じゃぞ」


 わずかに遅れて扉が開かれ、

「重商連合の方より、謁見の申し入れがございます」

入口に控えていた騎士が膝を付く。


「王への謁見は許さんが、それでもかまわぬならば通せ」


 口を開いたのはアレクだ。


「ご尊顔を拝するだけでも、光栄に存じます」


 声と同時に入って来たのは、灰色の外套を身に纏った十人ほどの男たち。いや、彼らが左右に別れ中央を進んできたのは漆黒のドレスを身に纏った女だ。


「イザベルと言ったな、何の用だ」


 アレクが座ったまま問いかける。サラたちは目を向けることもしない。


「新たな王が立たれたのです。ご挨拶申し上げるのは当然でございます」


 男たちが片膝を付き、イザベルは優雅に一礼した。


「よくここに、顔を出せたな」

「何のことでしょうか。私どもは通常の経済活動をしただけでございます」


 この女が、イザベル。ルクスの強さは感じないが、霧を纏ったようにそのルクスは見えない。何かで隠しているようだ。


「王の従者が、襲われた。お前のアセットではないのか。イグザムが殺された。お前の手の者ではないのか」


 ルーフスのことだ。アレクが話すということは、おれはただ黙って聞いていればいいということのようだ。


「私にアセットはおりません。もし、アセットが襲ったというならば、それは別の手の者です。それとも、そのアセットが何かを言いましたか。それに、イグザム公領主を殺すことに、私たちの益があるとは思えません」


 なるほど、大した女だ。


「アセットは自害した。それより、今まで何をしていたのだ」

「ラミエルとの闘い、何かお手伝いをしたかったのですが、カルマス帝に介入するなと釘を刺されましたので、息をひそめておりました」


 カナンが、ルーフスの治療の後で会いに行くと言っていた時か。なるほど、カナンは裏で動いてくれたわけだ。


「もう一人の者は」

「結界の解除と同時に、ここを出ましたわ」

「そうか、そういうことにしておこう。しかし、王への謁見は王宮にて行う。ここではない」

「承知しております。これは、重商連合からのささやかな手土産でございます。お納めください」


 言葉と同時に、男の一人が箱を置く。


「それでは、改めて王宮にて謁見をお願い致します」


 イザベルは再び一礼すると、その背を見せた。


「ったく、食えねえ女だ」


 扉が閉まると、ラムザスが深く背もたれに身体を預ける。


「いや、さぞはらわたは煮えくり返っておろうな」


 カナンが笑う。


「全ての計画をひっくり返され、この地区の商業権すら怪しいのじゃ」

「だったらいいのですが。それで、手土産は」

「空けるまでもない。金だろ」


 アレクは言いながら、全員のカップに林檎酒を注ぐ。


「それより、王よ。この国はどこに向かうのですか」


 サラの顔が上がった。


「中央集権。以前に話した通りだ」

「そのために、シムグレイの一族を先行させるのじゃろ」


 カナンが目を向ける。


「サラの名が刻まれた旅札がいる。隆也個人の従者だが、それでは警戒されるのでな」


 見透かしているように、続けた。


「しかし、それでは国が持たないのでは――」

「王旗に文様現出」


 重なるように遠くから声が響いて来た。


「王旗、旗ならあっただろう」

「あれは王国旗になります。国に与えられた紋章です。王旗は常に王と共にある旗、その国の指針を示します」

「指針、誰の指針だ」

「創聖皇が王に示される指針です。この国の王旗は、国の安定を図るための麦穂と鎌が代々続いております」

「農業を持って国の安定か」


 呟く声に応えるように、再び声が響く。


「十字に交差する剣。王旗は十字に交差する剣です」


 サラが溜息をつき、カナンの笑い声が響いた。


「どういうことだ」

「十字は東西南北、上下左右を示す。すなわち秩序じゃ。剣はそのまま武を示す。力を持って秩序を回復せよ。それが指針じゃな」

「そうか、ならばこれ以上話しすることはないな」

「それは、どうでしょうか。そのことは、後ほどゆっくりと話をしましょう。それよりも、王として選ばれましたが、王権移譲と戴冠式を行わねばなりません。急ぎ王宮に向かいます」


 ラムザスたちが立ち上がる。


「王権移譲、創聖皇に会う儀式か」

「そうです。そこで、正式に王として即位します」

「隆也が跳ばされて来た中つ国じゃ。しかし、おまえさんたち人間は、王宮からしか出入り出来ん。創聖皇に飛ばされない限りな」


 創聖皇に会うのか。ならば、一言文句も言えるな。


「出発は」

「すぐにでも」


 サラが立ち上がると、扉に進む。


「行きましょう、王宮へ」


 大きく扉を開き、高らかに叫んだ。


「王の御帰還になる。王旗を掲げよ」

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