第6話 居場所
「今日は藤沢が来なかったな」
坂本が呟くように言う。
「今朝、帰るときは元気だったのにな」
そう、朝早くに一緒に後片付けした後、元気よく帰っていったはずだ。
何かあったのだろうか。あの異世界の者たちが何かをしたとは考えにくいが。
歩く先に藤沢の家が見えてくる。
心配だが、あの家には顔は出せない。家の格が違うとかで、おれたちは藤沢の両親には露骨に嫌われ、幼い時から門を開けてくれることもなかった。
連絡手段もない。クラスのほとんどが持っているスマホも、この三人は持っていない。
藤沢は家が厳しく、坂本はバイト代を家に入れて余裕がなく、おれは親権者の同意が得られない。
足を止め、通りをはさんだその家を見た。藤沢の部屋はここからは見ることが出来ない。
不意にその肩が、強く叩かれた。何だよ、急に。
坂本は藤沢の家ではなく、その奥の路地に目を向けている。路地の塀に背を預けている人影に――藤沢だ。
声を出そうとしてそれを止める。力なく背を預け、俯いた姿にいつも見えていた影はより濃く見えた。
坂本と一緒にその足を進めた。路地に入ると、坂本が藤沢の肩を抱える。
「どうしたんだ」
上げた藤沢の顔は頬が腫れ、涙の跡が見えた。
「誰にやられたんだ」
坂本の声が震える。
「ごめん。今日学校に行けなかったよ」
「何を言っている。そんなことはどうでもいいんだ」
とにかく、ここを移動しよう。
「どうする」
「悪い。俺の家はダメなんだ。最近母ちゃんに男が出来てな。家によく来るんだよ、そいつが」
困ったように言う。
それで、昨日は坂本も家にいたくはなかったのか。
坂本の家は、昔から男の出入りが激しかった。その頃はただ不思議に思っただけだった。坂本は、昔はその度にアパートの下でずっと座っていたんだ。
それは、今も同じだ。本当は好きでもない将棋部に入って、帰る時間を遅らせているのだから。
「仕方がない。うちの蔵に行こう。爺ちゃんはもう帰っているはずだから、おれが家の玄関を開ける音がしたら、静かに蔵の戸を開けろ。多少軋んでもごまかせるはずだから」
坂本たちが家の裏にそっと歩いて行くのを見送ると、時間を置いて、
「ただいま」
大きく声を張った。
その建て付けの悪い玄関をわざと音が出るように開ける。
家の中からは「うるせぇぞ」と怒号が聞こえた。
機嫌は良くないようだが仕方がない。
引戸を全開に開けきると中に入り、それを閉める。時間をかけて音を響かせた。これで坂本たちは蔵の中に入れただろうか。
玄関を上がると、すぐ横の部屋で爺ちゃんが不機嫌そうに座っている。横には半ば以上空いた一升瓶と空いた紙パックが転がっていた。昼からずっと飲んでいるようだ。
「静かにしろ。この穀潰しが」
再び怒鳴るが、その舌は回っていない。これならば早くに横になりそうだ。
「ごめんなさい」
小さく謝ると奥に進み、狭い階段を上がる。
二階にある四畳の部屋が、おれの部屋になる。下に響かないように鞄を置き、窓を開けた。
身体を乗り出し蔵に目を向ける。
入口扉は閉まっており、代わりに二階の観音開きの厚い窓が透かされていた。
どうやら無事に入れたようだ。
机の奥からペンライトと小銭入れを取り、そのまま部屋を出た。階段をおりて今度は音に気を使って玄関を開ける。
基本的に爺ちゃんは放任主義だ。いや、おれに興味がないと言った方がいい。爺ちゃんは料理や洗濯をするわけでもなく、酒を飲むだけだ。
まして、おれが家にいようがいまいが関係ない。そのまま表に出ると、小銭入れを開いた。
入っているのは二千円ほど。週末にしたアルバイトの残りの金だ。
このバイト代で自分の食事のやりくりをしている。週末までなら、数百円あればいい。
ハンバーガーのセットでも買いたいが、店は遠く、予算も厳しいな。近くのコンビニでパンとコーヒーを買い、おれは急いで家に戻った。
息を整え、足音を忍ばせて家の裏に回る。蔵の窓はかすかに空いているままだ。
漆喰の落ちた土壁を足場にして、窓によじ登ると蔵の中に身体を滑らせた。
厚い観音開きの窓を閉めると蔵の中は真っ暗だ。
ペンライトを点け、その仄かな明かりで二階に上がる。
昨日のことが、夢と現実のはざまのように感じてしまう。それでも、まだ見える床の模様を踏まないようにして足を進める。
二階の小さな窓も僅かに開けられ、差し込む日が床に座る二人を浮き上がらせて見せた。
「待たせたな」
おれもそこに腰を下ろすと、わずかに開いた窓を大きく開ける。こちら側は家とは反対になり、爺ちゃんに見つかる恐れはない。
床に広がった光の中に、買ってきたコンビニの袋を置いた。
「それで、どうしたんだ。藤沢」
コーヒーをそれぞれの前に置く。
「どうやら、昨日のことが原因らしい」
口を開いたのは坂本だ。
「どういうことだ」
「昨日、藤沢が肉を持って来てくれただろう。お店の人に言って分けて貰ったらしいのだけど、それが親父さんたちは気に入らなかったそうだ。今朝、叩かれた上に家を追い出されたらしい」
叩かれたって、この腫れは叩かれたレベルじゃないぞ。
「兄ちゃんや姉ちゃんも店から何度も貰っていたんだ。昨日、初めて僕が貰ったら、みっともない真似をするなって」
藤沢は声が震えて上手く話せないようだ。
だけど、状況は手に取るように分った。兄や姉ならば何をして許されるだろう。逆に、彼がやれば何をしても許されない。
しかし、うちの爺ちゃんじゃないんだ。これはやり過ぎだ。
「どうする」
「俺たちにも責任があるよな。一緒に謝ろうか」
坂本が呟く。
「そうだな。会ってくれないだろうが、玄関先で頭を下げるしかない」
「いいよ」
藤沢が震える声で続ける。
「父は体面を重視するから、一日置いて帰ったら家には入れてくれる。でも、僕もよく分ったんだ。高校を卒業したら、家を出るんだ」
「家を出るって、大学に進むのだろう。藤沢は」
「奨学金を貰えれば、それもいいけど。別に働いてもいいと思っている」
「だめだよ。藤沢は、俺と違って余裕があるんだ。大学に進め。それに、大学に行けば家からも出られるじゃないか」
「もう、あんな親に面倒を見られるのは嫌なんだ」
よほどショックだったのだろう。藤沢は膝を抱えた。
そうだ、おれたち三人には居場所がないんだ。
「よし、三人で大学に行こう。それも地元でなく離れた場所に」
居場所がなければ、作ればいい。この三人ならば、何とかなる。
「どうしたんだ、隆也。急に」
「三人で部屋を借りて住めば、バイト代で何とかなる。学費は奨学金で払えばいい」
「三人で同じ大学」
「そう、学部は違っても同じ大学だ」
おれの言葉に、藤沢が小さく笑った。
「隆也らしいな」
坂本も笑い出す。
「とにかく、今日はゆっくりしよう」
藤沢と坂本の肩を抱いた。
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