王旗を掲げよ 彩雲編

秋川 大輝

第1話 邂逅


「隆也」


 掛けられた声に少年は振り返った。息を弾ませて二人の少年が駆け寄って来る。坂本と藤沢だ。

 足を止めて二人を待った。


「どうしたんだ。やけに帰るのが早いじゃないか」


 坂本がぶつかるように肩を組んでくる。


「そっちこそ、部活だろ」


 坊主頭で筋肉質の身体だが、坂本は将棋部だ。そして、童顔で細い身体をした藤沢がラグビー部になる。

 部活動をしていないおれとは、いつも帰る時間が異なっていた。

 今日に限ってどうしたのだろう。


「期末試験前だから、部活は休みだよ。だから校門で待っていたのに」

「そうなのか」

「そうだよ。早すぎるよ、隆也くん。今日から、みんなで勉強しようと思ったのに」

「悪い。今日は爺さんがいないから、洗濯だけでもしないとな」

「また出かけたの」


 思わず口にしてしまったのか、すぐに困ったように藤沢が笑う。

変に気を使わせているようだ。


「バッグを持っていたから、帰るのは明日になるよ」

「そうか」


 坂本も肩を組んではしゃいだことを気まずそうに頷いた。


「じゃあ、今日は一人だな」

「でも、お爺さんも元気だよね」

「おれのことでストレスを感じているのだと思う」


 そう言うと、息を付く。

 五歳の時に、両親は車の事故で死んだ。その時のことが頭から離れることはない。その日を境に、人生は暗転したのだ。

 おれを引き取ったのは、爺さんだ。婆さんが認知症の時に籍を入れた、血の繋がりなどない他人だった。


 財産目当てで籍を入れ、実家に転がり込んできた爺さんに、父が頭を抱えていたことも子供心に知っていた。

 結局、父は手切れ金を払い爺さんを追い出したが、籍を抜く前に両親は死んだ。

 他に親戚のいないおれは、事故の保険金と当時住んでいたマンションと一緒に、爺さんに引き取られたのだ。

 その爺さんは、常に不機嫌そうに酒を飲み、月に数回はふらっとどこかに出かけてしまう。


「じゃあ、俺が飯を持って行ってやるよ」


 坂本の明るい言葉に、おれは首を振った。


「いいよ。そっちも大変じゃないか」


 坂本は坂本で母子家庭だ。母親はパートで働き、決して生活は楽ではない。

 幼稚園に入る前からの友人だ。そんなことは互いによく知っている。


「そうだよ、坂本くんも大変だろう。今日は家には誰もいないから、僕が行くよ」

「いや、だから大丈夫だって」


 言葉を遮るように、

「よし。じゃあ、今日は隆也の家に集合だな」

坂本が笑う。


 おいおい、みんなで来るのかよ。――まあ、いいけどな。思わず口元が緩んでしまう

 坂本は道を挟んで向いのアパート、藤沢はその手前、二軒おいた家に住んでいる。

 この三人は同い年になり、ずっと兄弟のように過ごしてきた。言葉にしなくても分ってくれる幼馴染であり、親友だ。


「分ったよ。じゃあ待っているから」


 歩く先に、高い塀に囲まれた大きな屋敷が見えてきた。


「後で行くよ」


 藤沢の足が止まる。その表情に暗い影が浮かぶのは、いつものことだ。

 口には出さないし、聞くこともないが、家でも藤沢は浮いているようだった。

 藤沢には兄と姉がいるが、二人とも私立の進学校に行き、今は海外の大学に進んでいる。

 彼だけが受験に失敗し、公立に進んだ。家では肩身も狭いのだろう。


 家でも――いや、家だけではない、学校でも浮いている。そして、それはおれと坂本も同じだ。

 小学校の時から学校には馴染めなかった。最初は無理をして明るく振る舞うが、そんな無理は続く訳もない。

 必然的に三人で集まり、同級生からは浮いた存在になった。

 しかし。この二人といればそれも気にならない。正直、今日来てくれることが嬉しい。


「それじゃあ後で」


 明るい声で手を上げ、隆也は足を進めた。

 すぐ先に見える家が、おれの住む家だ。

 爺さんがマンションを売り払い、お婆さんの住んでいた実家に住むようになった。

古民家と言えば聞こえはいいが、古いだけが取り柄の家だ。


 そして、道を挟んで木造の二階建てのアパートに坂本は住んでいる。

 再び坂本に手を上げると、家に入った。

 軋む玄関を開け、鞄を置く。そうだ。二人が来るのならば泊まるかもしれない。家を汚せば、また爺さんが怒鳴り散らすだろう。

 さっさと洗濯を済ませると、裏の蔵に回った。


 家よりも古い蔵だ。漆喰の壁はいたるところが剥がれ落ち、土壁がのぞいている。

 重厚な土扉を前に大きく息をつく。

ここに来るのも久しぶりだ。

 もう一度息をつき、空を見上げた。陽はまだ高く、周囲は輝くように明るい。


 物心ついた時から小さく黒い影が動くのが見えた。特にそれは蔵のような暗い所で顕著だった。

 その当時に両親に話し、それが幻覚だと知った。

 しかし、今もその幻覚は続き、この蔵には近づかなくなっていた。

 それでも、爺さんの機嫌が悪くなるのを見るのよりはましだ。


 土扉を開け、その奥にある建て付けの悪い引き戸を開ける。

 暗い蔵の中は、差し込む光に照らされた。

 この二階ならば、少しくらい汚しても明日にでも片付ければ咎められることはない。爺さんはここに入ることはないのだから。


 狭く急な階段を登っていく。

 不意に階段の隙間から黒い影が蠢いた。

 あの幻覚だ。やっぱりここには出てくるんだ。

 思った瞬間、上から飛んできた何かが影に当たり、四散させる。

 何。


 見上げたその目の前に、小さな顔が現れた。

 声を上げることも忘れて大きくのけ反り、そのまま階段を踏み外す。

 しかし、床に打ち付けられるはずの身体は、その手前で支えられた。

 支えたのは――反射的に振り返った目に、少女の顔が映る。


 差し込む明かりにその髪は輝き、黎明の空を思わす深紫の瞳が真っ直ぐにこちらを見下ろす。

 何、この綺麗な子は。

 身に付けているのは西洋風の白銀の甲冑に、それを覆う純白のマント。

 何のコスプレ。いや、そんなのがここにいるわけがない。


 幻覚にしては、リアルすぎる。外国の幽霊なのか。でも、肢はある。

 恐怖はなかった。

 言葉を出すことも出来ず、その整った顔を見るしかなかった。  

 その目の前に、再び小さな顔が現れた。

 顔立ちも、姿も人形のような女性だ。身長は三十センチほどで空を飛んでいる。

 妖精、こんな幻覚は見たことが無い。何なんだ、これは。


「何だ、おまえ」


 妖精が目の前で腰に手を当て、こちらを覗き込んだ。

 やはり人形なのか。こちらも綺麗な顔立ちだ。


「この家の者だよ」

「そんなことは聞いてない。何で、あたしが見えて、話が出来るんだ」

「幻覚じゃないのか」

「何を言っている。気持ち悪い奴だな」

「でも、この子は妖気も見えたようでしたね」、

「確かにな。あの微細な妖気に、ルクスもないのによく気が付いたものだ。おまえ、本当に変わったやつだな」


 目の前のその姿、やはり幻覚とは思えない。


「おまえ達こそ何だよ、何でここにいるんだ。いったい何者なんだよ」

「うるさい奴だ。邪魔だな、邪魔だから寝てろ」


 妖精の手が額に伸びる。

 次の瞬間、意識は暗く沈んでいった。

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