瞳の中
しょうりん
第1話
昼休みの教室は、どことなく特別な雰囲気が漂っている。言葉では言い表せないけど、とても大切な時間がそこにあるような・・・。
太陽は、午前中までは東向きの窓から燦々と日を浴びせていたのに、この時間には少し陰ってきて、僅かにきらめく光を覗かせるだけになっていた。
窓の外のグラウンドでは、男子達が元気にサッカーをしている。その横に小さな円陣を作りながら、女子達もバレーを楽しんでいた。
教室の中は、案外静かなものだ。
騒がしい男子達は、天気のいい日はみんな外に出払っていて、お喋り好きな女の子達も、それぞれ中庭へと赴く。そこで、心ゆくまで内緒話を楽しむのだ。
あたしは、なんとなくぼんやりしながら、教室の中を見回した。
視線は彷徨うけれど、意識は完全に空想の中に沈み込んでいた。
こんな時は、全然人の話しが耳に入って来ない。だから、皆が大笑いしている声で我に返るまで、彼女達が何の話しをしているのかさえ分かっていなかった。
「祥子ってば、おかしい」
「ほんと、見てて飽きないよね」
言葉の端に自分の名前が出ていると分かっても、依然ぼーっとしたまま。
「ちょっと、聞いてる?」
そう言われて、ようやく空想に耽っていた思考が、日常のものに切り替わった。
「えっ?何の話し?」
「やっぱり、聞いてなかったんだ」
「今朝の話しだよ」
「そうそう」
クスクス、みんなが笑う。
・・・・・あっ、そうか、今朝の話しをしてたんだ。
思わず、眉間に貼られた絆創膏を押さえ、大きくため息を吐いた。
「人の不幸を、そんなに楽しそうに笑わないでよ」
別に、笑わせようとしたんじゃない。あたしは、自他共に認めるおっちょこちょいで、何でもない所で転べるような人、と言うだけで・・・。
「だって、普通いないでしょ。あんな、無様な転び方をする人」
「そうそう、ドリフでもあるまいし、顔面から転ぶなんてねぇ」
思い出したのか、小夜が咽をならして笑った。
岡村小夜は、あたしとは幼稚園からの付き合いだ。はっきりした性格で、とにかく口が悪い。
「小夜ちゃん、笑い過ぎだよ」
小夜の隣で、正美が控えめに言ったけど、その割りには彼女の肩も小刻みに震えていた。
我がグループ一番の優等生、瀬戸正美。大人しくて控えめで、華奢で色なんかも白くて、見るからに女の子って感じ。
「だって・・・。それがさ、よく駐車場とかにあるじゃない、鎖をつなぐ為のポールみたいなやつ。あたし達、話しながら歩いてたんだけど、祥子が真ん中にいてさ・・・真ん中だよ、真ん中」
思い出して、また小夜が笑う。
「いきなり、ふっと消えたのよ。あたし達は、へっ?って感じ。で、見たらそれに引っかかって、こけてんの。それも、顔面強打」
「思わず、だめだこりゃ、って言いそうになったわ」
小夜の前に座っていた少女が、再びけたたましい笑い声を出した。
彼女は、沖佑子。ちょっとぽっちゃりした感じの、でも見るからに女の子って感じの子。
制服のスカートを短くしたり、カラーソックス履いてきたり、何時も色つきのリップをつけてるので、ちょっと派手にみられがちなとこもあるけど、性格はこれで中々純粋だったりする。
一晩かけて三つ編みで作ったゆるいウェーブが、笑う度にふさふさ揺れていた。
「見たかったな、それ。祥子って、まじでサザエさんみたいだよね」
最後に言ったのが、中山京子。何時もおかっぱ頭の、賑やか少女。ちょっとやせ過ぎてる感じもするけど、夏の日焼けがまだ残ったままの、健康的でやんちゃっぽい少女だった。
「そうそう、なんか、いつもしでかしてくれるよね」
「それも、本人はボケた訳じゃないから、余計ウケる」
京子の言葉に、また笑が起こる。
すると、小夜が笑を堪えたような顔で、ぐるりとみんなを見回した。
「あたしね、今でも思い出すわ」
「何がよ」
おもわず、仏頂面で聞くあたし。
「忘れもしない、小学校五年生の時」
・・・・まただ。
小夜は、あたしの失敗をいつまでも覚えていて、こうやってネタに使ってくれるのだ。
そんな昔の話を出されちゃ、こっちとしてもやり切れないわよ。
「もう、小夜は・・・」
苦い顔で言ったんだけど、そんなあたしの言葉なんてお構いなしに、彼女は調子よく喋り出した。
「学校の帰りにさ、犬に襲われたの。最初は可愛いって感じだったんだけど、突然よだれなんか出しはじめて、噛みつこうとしてきたの。あたし、驚いちゃって、ほら、狂犬病じゃないかって思って怖くてさ、そこに祥子もいたんだけど・・・、どうしたと思う?」
「わかんない」
「犬に噛みついた?」
「あのね、あたし、そんな事しないよ」
「・・・・まあ、聞いてよ。あたしが見たらさ、この子、近くの壁にぴったりとへばりついてたの。見てないで、助けてって叫んだら、『大丈夫、小夜、こうして壁のふりをすればいいよ。一生懸命壁だと思い込んだら、犬も壁と間違えて逃げてくよ』だって。それもさ、物凄く真面目な顔で言うのよ。バカだと思わない?」
あたし以外がどっと笑って、近くにいた男の子が数人驚いたように振り返った。
もう・・・・。
まあ、いいけど。あたしだって、今思うとバカだなって思うから。
「それでどうしたの?小夜も、壁になったの」
「バカね、そんな事する訳ないじゃない。必死で逃げて、近くの肉屋のおばさんに助けてもらったわよ」
「そう言えば・・・・」
今度は京子が、思い出したように言った。
あたし、いつも変な事ばっかしてた訳じゃない。それに、その変な事だって自分なりに一生懸命考えて、ものすごく大まじめにやってるんだから。
確かに、風変わりな子ではあったけど・・・・。
でもさ、それをいちいちネタにされてたら、ちょっと癪に障るんですが・・・。
「あの話しも笑えるよね、忍者ごっこの・・・・」
「もう、変な話しばっかり覚えてるんだから」
「だって、普通考えないでしょ」
「だからって・・・」
「何?、何?」
佑子が、あたしの言葉を遮るように促す。
まあ、こうして自分のバカ話を話題にしてしまう、あたしも悪いんだけどね。ついつい、ウケ狙いでばらしちゃうんだ。
京子はあたしを見て、ちょっと伺うような素振りをした。一応、気にはしてくれてるらしい。それであたしは、しょうがないな、と言うように肩をすくめて見せた。
「祥子ってさ、忍者になりたかったらしいのよ。祥子らしいでしょ?そんでさ、小学校6年の時、靴に釘を一杯打ち付けて、壁を登ろうとしたんだって」
「えっ、本気だったの?小学校6年って、普通もうちょっと現実的じゃない?」
「だって、本に書いてあったんだもん」
当時、影の軍団ってテレビ番組をしていて、あたしはそれが大好きだった。
単純だったと言うか、疑う事を知らなかったと言うか、テレビのドラマをそのまま真に受けて、修業すれば忍者になれると半ば本気で信じ込んでいた。
で、一生懸命本を見て、勉強したんだ。その本に、靴に釘をうつとは書いてなかったけど、似たような道具の写真が出てたのよ。考えに考えて、これなら壁を登れるに違いない、と思った。
結果は、失敗だったけど・・・・。
「あのね、すごく真面目だったんだから。おじいさんのアトリエは、普通の家より屋根が高いのよ。それで、これは登れそうって思ってね。屋根の柱に紐をくくりつけて、それにつかまって壁を登れば絶対に登れると思ったのよ。・・・・ところがよ、途中までいって、にっちもさっちもいかなくなっちゃった。力尽きたというか、ぶらんとぶら下がったまま、どうにもできなくなっちゃったの。あんた達、その恐怖が分かる?」
仲間達は、くすくすと忍び笑いを漏らした。
本当よ、あの時は体中の血が、全部引いていくような恐怖を味わったわ。こうして冗談にできて良かったようなもんだけど、あの時のあたしはもう駄目だと思った。
「・・・・ああ、あたしはこれで死ぬんだな、って思ったよ。屋根に登る度に、おばあさんに「落ちてしんでしまうぞ!」と何時も怒られてたしね。でも、世の中こんな事もあるんだって、知ったの。よく言うでしょ、火事場のバカ力ってやつ。まさに、それよ。気がついたら、屋根まではい上がってた。どうやって登ったのか、それさえ記憶にないわ。でも、きっと、神様か仏様か宇宙人様か分からないけど、あたしを助けてくれたに違いないと思った。笑ってるけどね、これは生きるか死ぬか、あたしの短い人生をかけた大変な出来事だったんだから!」
ぶっと、一斉にみんなが吹き出したので、あたしもつられて笑った。
でも、あれで夢と現実を痛感した。世の中、出来ない事もあるんだな・・・って。
今は中二で、そんなアホな事はしないけど、小学生の時は何でも出来ると思い込んでいたから。
「真面目な話し、あんたって好きよ。愉快極まりない人って、あんたみたいな人を言うんだと思うな」
「バカにしてるでしょ?ついでにばらすと、あたしの夢も壮大だったんだよね。科学者になって宇宙船を造るつもりだったの。そんでさ、1999年のハルマゲドンに友達を全部連れて逃げるつもりだったんだよね」
思い出しただけでも、恥ずかしくなる。
でも、その時は真剣に思っていた。地球が滅亡するなら、宇宙に逃げるしかないだろうと。
「それ、いい。あたしも、その話しに乗った!」
京子が、笑いながら威勢よく言った。
「どうせ逃げるんだったら、未開の地に行こうよ。何か、珍しいもんでも持って」
「本なんかどうかしら?何か科学の本なんか持って行って、色々面白い事をするの」
「正美は、頭いいもんね。古代の都市って、ひょっとして宇宙人が造ったのかも。となると、あたしらも神様かな?」
「何百年後には、洞窟の壁画になって現れたりして・・・・」
勿論、ちゃんと現実にはあり得ない事を知っている。これは、一種のゲームみたいなもので、ただ面白おかしく話しを続けていく事が大事なんだ。
世界地図開いて、何時かこの国に行こうとか、キャンピングカーで日本縦断しようとか、そうした空想を広げる事が楽しいだけで、実際に出来るかっていったらそういじゃない。
社会人になったお兄さんを見れば、一目瞭然だもん。現実と夢の区別が出来ないほど、もうガキじゃないから。
でも、夢を見るって楽しいじゃない。
トランプの船で世界一周したり、ソファーで戦闘機ごっこしたり、自転車のハンドルに紐をつけてアーサー王になったりするような、そんな子供の頃の空想はもう出来ないけれど、車で旅行したり飛行機で世界に行く事は現実的には可能だもの。
出来ないって思ってるより、出来ると思った方がずっといい。
・・・・・・・でも、そんなあたしの夢も、次の言葉で完全な現実へと引き戻された。
「あたしさ、考えたんだけど・・・・」
と、突然真面目な口調になって、佑子が言ったのだ。
「まだ一年あるから、先生には言ってないけど、みんなには教えるね」
あたし達の生活は、めまぐるしい。泣いたり、笑ったり、ふざけたり、真面目になったり。
そうしたのを繰り返して、中学生活を送っていた。
そして、周りのことなんて全然考えていなかった気楽な時代が、静かに過ぎ去ろうとしている。
来年は中学三年生。そろそろ、考えなくちゃならない。
あたし達の前には、進路とういう大きな壁が立ちふさがった。周りの友達も、内申書がどうのとか言い出したし。
本当は考えたくないんだけど、考えなきゃいけなくて、逃げ出したいんだけど、逃げ出せない大きな壁。
「あたしさ、正美みたいに頭いい訳じゃないじゃない。はっきり言って、バカだしさ。それに家は美容室してるでしょ、一人っ子だからあたししか継ぐ人いないの」
「それで?」
「うん、中学出たら、大阪の美容室に就職する事にした。お母さんの知りあいで、腕のいい美容師さんがいるんだ。そこで、三年間修業する事になった」
それを聞いてあたしは、背筋がゾクゾクするような気分を感じた。
何とも言えない、奇妙な気持ち。
・・・・・この歳で、もう自分の未来を選択してしまってるんだ。
カッコいい、そう思う気持ちと、それでいいの?と心配する気持ち。
そして、高校に行かずに、美容師になる、そう言い切った佑子が、なんだかちょっと羨ましかった。
「え~、高校卒業してからじゃ駄目なの?」
京子の言葉に、佑子はちょっと困ったように笑う。
「ほら、うちって母一人、子一人でしょ。人を雇ってやってくの、大変なんだ。あたしが早くちゃんとした美容師になれば、お母さんも楽になるだろうし。技術職だから、学歴は必要ないし」
「偉い、佑子。なんだか、あたしもやる気が沸いてきた。よし、あたしも決めた。看護婦になる」
今度は小夜が言って、またあたしを含め、みんなが驚いた。
「ちょっと、何でまた・・・」
「看護学校に行くって事?」
「聞いてないよ、そんな話し!」
皆がわいわい騒いだので、小夜は耳を塞いでおどけた表情になる。
「看護学校の事は、まだハッキリ決めてないんだ。本当は、准看の試験受けて、現場で見習いしたいし」
小夜って頭いいから、てっきり進学校にでも受験すると思ってた。
そう言えば、小夜とずっと一緒なのに、進路の話しってした事ない。
・・・・・なんでだろう?
なんだか混乱してるまま、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
・・・・ショックだ
何がショックって、今まで何も教えてくれなかった事がよ。親友なら、一言あってもよさそうなもんじゃない。
掃除の為に机を後ろに下げながら、あたしは訳の分からない不安に包まれていた。
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