第6話 ブローヌ王

 つまり、この男が私の夫になる予定だったってこと?この、人を殺して顔色ひとつ変えない大男が?


 へたり込みそうになったけれど、ケモノが私を求めて家を丸太で叩き壊す音に勇気づけられ、彼をにらんだ。

「嫌です!」

 荒くれた軍人ベールは笑って、私の体に巻き付いた縄を解いた。

「しゃあねえか。俺あ嫁も子供もいる身だしな」

「えっ、なら種馬って…」

「言葉通りだ。言っておくが俺が志願したんじぇねえぞ。ブローヌ王が一番強くて元気な男の"子種"がいいってんで、俺を任命しただけだ。誤解するなよ」


 誤解も何も、今、俺の女になれって言ったくせに!


「十年前なら王みずから”種付け”に乗り出してたとこだ。俺のが”まし”だったと思わねえか?…お、こぞうの伝令が届いたらしいな」

 ブローヌ王に関する聞き捨てならないことを言った後、ベールは町に目をやった。振り向くとケモノの動きが止まっている。そして、ケモノの頭が家の隙間から、こちらに向いたとき、ベールは響きのいい指笛を吹いた。


 ケモノは家に阻まれて遠回りしながらも、すごい速さで私のいる高台に向かって来る。驚いたことに、とっくに振り落とされたと思っていたジェスが右肩にしがみついて、私の姿にほっとしているのがわかった。


 ケモノに向かって斜面を駆け下り、山の民の耳目があるから、無言で両手を差し出した。

(ケモノ生み様!)

 ケモノは私を優しく持ち上げ肩に乗せてくれた。大きな頭に体を押し付けて、抱きしめ、顔を上げるとケモノの目に涙がにじんでいるように見えた。

「もう離れません」

 ささやいて、ケモノの壁のような頬に、頬を寄せた。



 ケモノを先頭にブローヌ兵の一軍が町を後にするのを、はたして、山の民は追ってはこなかった。


 道中で聞いたのだが、ジェスが湖に向かっていた間、ベールの隊は町の外に布陣し、待機していたのだそうだ。湖に来ていた兵のひとりが、馬を引き取り先行してベールの隊に走り、「ケモノ生みが見つからぬまま巨大なケモノが町を抜け、ブローヌに向かう」と伝え、ベールの隊はケモノ生みを探して、こっそり町を囲む林や丘に散らばった。ケモノ生みは見つからぬまま、ケモノが町を縦断しおわろうとしたとき、私がさらわれたというわけだ。



 その日はブローヌへの道程の四分の一ほど進んで森の中で野営となった。

 ケモノと私とジェス、そしてベールが真ん中に陣取り、少し離れた周りを兵士たちが囲んで警戒している。


「ペルラ殿がさらわれたとわかったときのケモノの慌てようときたら…」


 ジェスは、動物のように丸くなって横たわるケモノの横で、私が肩から落とされた後の様子を語った。私を探して咆哮し、丸太を振り回して暴れるから、「人を殺したらペルラ殿が悲しみ、怒るぞ。それにケモノを消すためと彼女が殺されかねない」と必死に訴え、ケモノはジェスの言葉に従って、人を避けて家を壊すにとどめたのだそうだ。


「どうもケモノ生みは、ペルラ殿にぞっこんの若い男という気がする…」

「それで、よほど姿が醜いんで、出てこれねえってか?」

 ジェスとベールのやりとりに、滝で裸になって水浴びをしたとき、目をふさいでいたケモノの姿を思い出し、その向こうにいただろうケモノ生みの男性に胸が焦がれた。


 焚火を囲み夜も深まった頃、ひとりの兵士が来てジェスに耳打ちし、ジェスは呆然とこちらを向いた。

「ここを起点に200歩の範囲を円状に捜索したが、ケモノ生みは見つからなかったそうだ」

「まったくの謎だな。俺たちが聞いていたケモノ生みの情報が間違っていたとしか思えん。ペルラ、おまえが山の民に言った、大きく育てると消えなくなるって話は本当なのか?俺はてっきりでまかせかと」


 こっそり捜索してたなんて!

 私は腹が立って、そっぽを向いた。

「知りません。私が知っているケモノ生みは祖父だけですから」


 ジェスは優しい声を出した。

「ケモノ生みと話してブローヌのお抱えになっていただく話がつけば、ペルラ殿をマデラにお返ししようと思っているのですが…」

 交渉なのか懐柔なのか、けれどマデラに帰ることを考えたとき、ぞっとした。そしてどこかにいるはずのケモノ生みにも聞こえるよう、きっぱり言った。

「私はケモノ生み様が姿を現さずとも、ケモノと一緒にブローヌに行きたいのです。マデラに帰ったら、また別の国に売られます。私の家は祖父が死んでから没落し、王に命じられるままに私を差し出し、金品を得たのですから」


「なるほど。ならばケモノを守護につけて一緒に行動したほうがましかもしれませんね。あなたの言葉は彼によく響く。我々との仲介役になっていただくのも一案…」

 ジェスが不思議とあっさり私の言葉を受け入れ、ベールが慌てた。

「おい!ケモノ生みが出てこねえのに、このバカでかいケモノだけを連れ帰ったらあぶねえだろ。今日みてえに暴れたらどうする」


「ケモノ生みがいれば危なくないと思うのはなぜですか?」

 私は意地悪く聞いた。

「そりゃあ、ケモノが暴れたら、ケモノ生みを…」

「剣をつきつけて脅して…最後は殺せばケモノは消えるから?」

「うむ。そういうこと…か」

「そういう魂胆だとわかっているから、ケモノ生み様は姿を現さないのではないのですか」

 実のところ、私にとってもケモノ生みがどこにいるのかは、まったくの謎だけれど。


 するとベールはごろんと寝転がった。

「ああ!わかった!このままブローヌに戻るぞ。とにかくデルルクにケモノ生みがいるのは確かだ。ここまで馬鹿でかいケモノは一朝一夕じゃ育てられねえだろうが、すばしこいだの、空を飛ぶだの、跳ねるだの、人じゃ太刀打ちできん能力を持ったケモノの戦力は未知数だ。おまけにケモノ自体は、突いても切っても死なねえときてる。ペルラ、俺にゃ国に女房とガキがいる。ブローヌを守りてえんだ。よろしく頼むぜ」

「は…はい」

 武人らしい割り切り方なのか、彼はあっという間に眠ろうとしている。

 私も横になったとき、ケモノが私の体を引き寄せて、横たえた体と腕の間に乗せてくれた。ケモノに体温は無いけれど、柔らかく抱かれている感覚に陥る。いつかケモノ生み様に抱きしめてもらえるだろうか。彼の腕は柔らかいだろうか、硬いだろうか。そんなことを考えながら、眠りに落ちた。



 ケモノが歩き、騎馬兵たちが競うよう走り続け、三日後の朝にはブローヌ国に達した。

 国の北端にあるブローヌ城に進むほどに、妙に静かで異様な雰囲気が漂ってきた。ジェスたちが住民に尋ねても、わしらもよくわからんのですが…と言葉を濁すばかり。巨大なケモノに驚いているのは確かだが、それだけではないらしい。


 そしてブローヌ城が目に入った時、私はまっさきにブローヌ王の姿を見ることになった。

 城の尖塔のなかほどに、ブローヌ王の亡骸なきがらが、白く細い紐で、くくりつけられていたからだ。

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