こころを継ぐ精神が道を切り開いていくんですね。
日本の伝統文化である茶道が今の世にも伝わることにも感慨を覚えつつ、味わい深く拝読させて頂きました。
作者からの返信
珠光という人は、こころを大事にしていたようで、そういう趣旨の文章を残しています。
一方で、利休は、茶を始める時に珠光茶碗を用いていたそうです。
珠光と利休、この二人は茶を共にしたわけではないので(世代がちがいますので)、ではこの二人をつなぐものはというと、やはりこころではないかと思い、このような話を書かせていただきました。
そしてそこから、茶道という道が、今の今までつづいてきたと思います。
最後まで拙作をご賞味いただき、恐縮です。
ありがとうございました。
拝読致しました。
あるがままを、あるがままに。
これほど、自然体という単語が似合いそうな人も居ないように感じます(・∀・)
そして最後の、己が愛した茶碗が期せずしてあの茫洋とした四谷軒様の千宗易さんに繋がるこの瞬間が、確かな絆を見たようで、ぐっときました。
ありがとうございました!
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
珠光という人は、ホント、あまり資料が残っていないので、ほぼ想像で描きました^^;
でもわび茶の祖と言われる人なんで、おっしゃるとおり、「あるがままを、あるがままに」が着地点なんだろうなと思って、書いてました。
だから養子の宗珠がちがう茶をやっていてもニコニコしていたんだろうなぁ、と(笑)
ラストシーンは、実はこれだけは史実です(笑)
利休の初期のマイ茶碗は珠光茶碗だったそうなので、やっぱりここにつなげないとと思って書きました^^;
また、こういうリンクがあると面白いと思いまして(笑)
こちらころ、ありがとうございました!
前作とは違ったテイストで。
まるで、飲み物を希望したら、
コーヒーやお茶ではなく、
全てを包むような「出汁」を提供されて、
温まり、堪能した気分です。
作者からの返信
まずはレビューに感謝を。
何というか、この作品で言いたかったことが述べられているように感じました。
「わび」ってどういうことだろうと思って書いた話ですが、こういうことかもしれませんね^^;
ここからはコメントへの返信です。
そうですよね、いつもの私のテイストとはちがったお話になったかと思います。
でもこういう心理的な話も好きなもので……。
それを「出汁」とたとえていただいて、ありがたい限りです^^;
ありがとうございました!
>そのこころがそう命じているのなら、それもまた善よし。
私は、この一文が一番好きです。
畢竟、幸不幸とは、
自分の美意識を貫くことが出来たか否か、に掛かっていると思うので。
珠光茶碗が利休の手に渡るのも、
突き放したような言い方で恐縮ですが、
「それもまた善し」かと。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
わび茶というものは、こころから味わうものであると拙作では定義しておりますので、「こころから」が備わらないなら、やらない方がいいという感じで、「そのこころがそう命じているのなら」のセンテンスは書かせていただきました。
おっしゃるとおり、おのれの心がどうあるかが、茶のあり方や美意識のあり方に繋がる……という感じです^^;
珠光茶碗で利休が茶を始めたのは史実なので、こういうラストにさせていただきました。
……たしかに「それもまた善し」というところですね^^;
ありがとうございました。
養子である弟子に好きなようにさせるって凄いことですよね。
自分の足跡は残したいと思うのが人情。
でも、こころがそう思うことを重視すると形だけ真似てもだめでしょうけど。
そして、その方向性を受け継ぐ男が茶の湯を開花させる。
人の縁を感じさせられました。
作者からの返信
珠光がわび茶の方向に舵を切ったのは史実っぽいんですけど、珠光の養子の宗珠は名物・唐物の茶をやっていたそうです。
でもまあ、わび茶という性格上、受け継ぐことを強制しても意味ないなぁと割り切っていたのでは、と思ったのです。
そして利休。
この人の茶を始めた頃の茶器は、珠光茶碗だったと言われています。
この縁を使わせてもらおうと思い、ああいうラストにいたしました。
ありがとうございました。
また、近況ノートへのコメント、ありがとうございます。
というかそちらも表彰されてますよね^^;
そして実は新作ではなくストックの公開だったりします。
書いた時はテンション高かったストックです^^;
ではではノシ
完結お疲れ様でした。
四谷軒さまの文体って、歴史好きには本当に心地よいですよね。楽しく読ませてもらいました。
作者からの返信
ありがとうございます。
ずっと書きつづけて来たおかげで、多少は「らしい」文章を書けるようになったかなぁと思います^^;
ありがとうございました。
また、別件ですが、御作(エッセイ)へのコメントについて、追記・編集いたしましたので、ご覧いただければ幸いです。
ではではノシ
足軽の戦法を確立した道賢と、茶を確立した珠光と。
殺伐としたルールが支配する戦国の世のなかで、どうしてそれとは反対の印象が強い「茶」が盛んになり、確立されていったのか、ずっとふしぎに思っていたのですが、その関係が自然に描かれていたのが印象的でした。
味わい深い一篇でした。
ありがとうございました。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
茶に「わび」というものを見出した茶人、珠光。
最初は、「わび」というものは、どうして出て来たんだろうと考えたことがキッカケでした。
特に茶において、どうして出て来たんだろうと考えたところ、わび茶の祖、珠光のことを綴ってみようと思ったのです。
で、その珠光と対になる存在があった方がわかりやすいということで、道賢に登場してもらいました。
これ以上ないほど俗であり、賊である道賢。
彼の生き様が、そして死に様が、珠光に痛烈に虚無を訴え……というのを思いつき、そこから遡行して、兄弟子だったという設定を思いつきました。
あとは一休さんのおかげで、「茶」への道筋をつけてもらえたと思います^^;
味わい深いというお言葉、痛み入ります。
こちらこそ、ありがとうございました。
私は表千家裏千家の違いも分からない人間ですが、茶の道もいろいろなんだなーということが分かりました。利休が現れる前ににも、様々に
茶の道を追求した人がいたんですね!
茶道って御作法ばかりという印象がありましたが、「こころを継ぐ」というのはとても素敵だと思います!
作者からの返信
私も家元とかそういうのよくわからないです(笑)
ただまあ、この国にわび茶というものが、どうやって出て来たんだろう……と考えていくうちに、頭の中に出て来たお話です^^;
珠光という人は「こころ」を大事にしていて、そういう趣旨の文章を残しています。
そしてそういう人の「こころ」を継いだ人として、利休を持って来れば面白いかな……と思ったのです^^;
そのあたりについて、「素敵」という言葉をいただき、まことにありがたく思います!
ありがとうございました。