02 法名、珠光
「ええ平曲じゃった。望みどおり、おぬしの子に法名をつけてやろう」
「えっ」
法名とは、出家した際に名乗る名である。
茂吉としては寝耳に水である。
このまま父・
「茂吉」
杢市が微笑む。
「茂吉、お前ももう
杢市は
そのため杢市としては、茂吉に相応の教育を与え、世に出て欲しいと願った。
「それで、寺」
「そうだ」
検校というのは僧職と親和性が高く、実際に
杢市は検校としての
「称名寺、宗旨は念仏」
一休はさすがに僧侶らしく、寺についての知識を披歴した。
そして頭を掻きつつ、むむ、と唸った。
念仏念仏とぶつぶつ言って、最後には「できた」と手を叩いた。
珠光。
「観無量寿経の中の一節じゃ」
それは念仏の教え、浄土宗の根本を担う聖典である。一休は、自身は禅宗であるが、浄土宗についても知識があった。
「
一休は唱える。
一々の葉、一々の珠、一々の光、一々の台、一々の旗、皆分明させて、鏡の中に映るようにしなさいという意である。
「つまり茂吉、お前の今のもてなし、愚僧はとても感じ入った。一々を考え、また、杢市の一々を
茂吉は一休の言葉に感じ入った。
「ようございます。この名、頂戴いたしとうございます」
「そうか」
一休は破顔した。
「では茂吉、ではない珠光よ、存分にその名を名乗るが良い」
こうして、茂吉――珠光は出家した。
*
称名寺での生活は、単調だった。
道賢という兄弟子について修行することになったが、この道賢がいわゆる先輩風を吹かせていろいろと雑用を押しつける男で、つまりは道賢の子分となった。
だが珠光が時折帰って、父である杢市検校の世話をすることについては理解を示し、その間についての雑用はやってくれた。
ただし、代金として。
「一服一銭の茶を奢れ」
と言ってきた。
当時の茶は、武士を中心とする書院茶と、庶民の間で広まっていった一服一銭の茶がある。
珠光と道賢のいる称名寺には、その門前で茶を振る舞う茶屋があった。
「召されそうらえ、召されそうらえ」
そう大声で叫びながら、茶屋は、現代でいう抹茶を供していた。
「一銭」
珠光が実家から帰ってくると、寺の門前で道賢は茶を喫しており、当然とばかりに手を出して、一銭を要求するのだ。
珠光としても、実家にいる間の雑用をしてくれたのだから、対価を払わないわけにはいかない。
父・杢市が幾ばくかの銭をくれるから、黙って茶の代金を払った。
おそらく、道賢はこのあたりの事情を分かった上で、銭を要求しているのだろう。
それでも珠光は道賢の子分であることに満足していた。他の先輩なら、もっと
「おい、珠光」
「何ですか」
「この茶碗はどうだ。一服一銭の茶屋にしては上出来な茶碗じゃないか」
道賢は空になった茶碗を持ち上げてしげしげと眺める。こういう茶碗を、特に
「であれば、兄弟子が修行を修めて
「甘い」
道賢は、返せと寄ってくる茶屋を片手で制しながら、片手で茶碗を
「いいか珠光、おれやお前のような、文字を教わるために寺に入った者に、そんな将来があると思うか」
僧として大成するのは、やはり公家や武士といった階級の
それを凌いでのし上がるような者は、それこそ禅で言えば大悟した者に限る。
そう、まるでそれは。
「一休禅師のようになれば」
「あれは別格。やんごとなき方のご落胤という噂もある」
大体、おれにしてもお前にしても、そんな一休に匹敵するような大悟が、かなうものか。
道賢の「別格」には、そういう意味も込められていた。
だが珠光は、
であれば、悟りが得られなくとも、何かの大成を遂げれば、道が拓かれるのではないか。
しかしそうとは口に出さず、珠光はもう一銭出して自分の茶を頼み、その茶碗を道賢に見せ、その興を満たしてやるのだった。
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