第7話 行ってきます


 山々に囲われたこの村に力強い風が吹き通っていく。木々を揺らし、ざわめきが広がり、まるで俺の旅立ちを後押ししてくれているように感じた。

村長が用意してくれていたものは全部で三つ。

まず一つ目は路銀。おそらく一ヶ月程度は保つ程度は入れておいてくれたようだ。

二つ目は装備品。旅の道中魔物と戦うことも少なくないだろうし、賊に襲われることも考慮して村でできる最大限の装備を用意してくれたそう。軽く丈夫な軽鎧や俺好みに調整してくれている片手直剣などなど。

そして最後――。

「よし、じゃ行くか」

 ――スペランツァ。俺が今跨っている白馬の名だ。これからの俺の相棒にして、一蓮托生、命を共有する存在。長旅になるだろうし、スペランツァには大変お世話になることだろう。頑張ろうぜスペちゃん。

「さあ行け! ……って、あれ」

 手綱を引いて進めと合図をするものの、スペランツァはその場から一歩も動いてくれない。それどころか俺に待てと言っているようで、まるで言うことを聞いてくれない。

「おーい、スペちゃん?」

 このままじゃ旅立ちに遅れが出てしまう。知ってる顔に会う前に立ち去りたかったのだが、どうしたものかと頭を捻る。すると――、

「アル」

 背後から聞こえるよく知る声。暖かく、安心できる気配を感じた。振り向かずともそれが誰なのかすぐに分かる。だから、俺は振り向かずに、

「……母さん」

 呼ぶと、ざっと一歩踏み出す足音が聞こえた。

「村長から聞いたわよ。旅に、出るのよね……?」

 ……村長め。俺が行ってから伝えて欲しいと言ったのに。

「なんで教えてくれなかったの……? せめて一言言ってくれれば」

「ごめん」

 母さんの言葉を遮るように、被せるように俺は謝罪の言葉を吐き出す。

「できるだけ早く行きたかったからさ。それに、別に今生の別れってわけじゃないんだし」

 言いながら、自身の心の弱さを感じ、嫌気が差す。言葉の中にわずかに混じる声の震え。言っていることと、心の内にある気持ちの齟齬があるのだ。今振り向けていない、母さんの顔が見れていないのがまさにその証明となっている。

「会おうと思えばいつだって会える。だから別に――」

「――アルトリウス」

 母さんの、芯の通ったまっすぐな声で俺の背筋がピンと伸びる。

「私は、あなたの旅立ちを止めるつもりはありません」

「――――」

「止めたところで意味はないだろうし、黙って行こうとしたのだってきっと何か考えがあるのでしょう。でも――」

 母さんは一度呼吸を置き、

「私の家族は、もうあなた一人なのよ……?」

 先の力強い声とは打って変わり。俺よりも、さらに震えた声で言った。

「……!」

母さんの声の震え、それは、俺のように感情と行動の違いから生まれた戸惑いや迷いなどではない。ただ一つ――親愛による感情の震えだ。

「お父さんはもうずっと前に死んで、エリスも……」

 俺は何も言えず、ただ俯くことしかできない。

「アルトリウスまでここでいなくなって、何も言えずに永遠の別れになってしまったら、私はもう耐えられない。こんな世界にいたくない。いる意味がなくなってしまう……だから、お願い……せめて、顔くらい合わせて……? ちゃんと帰ってくるって約束して……?」

「……」

 だから、旅立ちの前に会いたくなかった。絶対に心に迷いが生まれるから。ここから離れたくない、母さんを一人にしたくない。その思いが、俺を惑わせるから。

 ……しかし、それは全部杞憂だった。

 気づけば、俺はスペランツァの背から飛び降りていた。

「かあさん」

 頬を伝う感情の雫。別れを惜しむ涙じゃない。悲しみとか、そういう感情じゃない。ただ、母親という唯一の存在に対する感謝とかそういう思いの籠ったもの。俺はそれを拭き取らず、母さんの目をしっかりと見て――、

「行ってきます!」

 と、精一杯の大声で母さんに伝える。

 母さんは目尻に溜まっていた涙を人差し指でそっと拭き取り、

「行ってらっしゃい!」

 と、力一杯のエールを俺にくれた。

 今日。この日。この時から、俺の旅が始まる。

 ……悔しいけど、村長には感謝だ。たった一言、されど大切な一言を母さんに言えた。伝えられた。

「行こう、スペランツァ」

きっとこの先、たくさんの障害が行く道を阻むことだろう。越えなければいけない壁も出てくると思う。でも、きっと大丈夫。

 俺には帰る場所がある。帰りを待ってくれる人がいる。

 生きなければいけない。生きて、生きて、生き抜いて、真実を知る。夢を叶える。やらなければいけないことがたくさんあるのだ。

 近い未来。遠い未来。数々の可能性に思いを馳せ、俺はついに旅の一歩を踏み出した。

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