第26話 私たちの友母戦争(後)

「ねぇお母さん、ちゃんと聞いて」


 威圧感がなくなった今を好機だと思ったのか、覚悟を決めたであろうまっすぐな目で橘さんが親に向かって言った。


「でも――」

「まずは本人の意見も、聞いてあげなきゃいけないんじゃないですか」


 私がそう告げたら、母親は口をつぐんだ。

 橘さんが、ゆっくりと喋りだす。


「確かに勉強も大事だと思うよ。だけど私には葵ちゃんが同じくらい必要なの。それに、本音を言うとあまりお医者さんには興味ないし」


 いつの間にか涙声はほとんどなくなっていて、柔らかい、でも暗い声で。


「だから、友達のことは制限されたくないな。でもお母さんが私のことを心配してるのはちゃんと伝わってるよ。いつもありがとう」


 それだけ言いきると、部屋から出ていってしまった。

 橘さんに呼びかける母親の顔をちらりと見たら、今にも泣きそうな顔をしていた。でも橘さんのほうが心配なのですぐに目線を戻して追いかける。


 橘さんは階段を下りた先にいた。どんな顔をしているかわからないが、さっきまでより背筋はまっすぐ見えた。


「ねぇ、いいの?」


 悲しそうなお母さんの顔を見ちゃっているから、そう尋ねる。


「変なこと考えていると置いてくよ」


 何を考えているのかバレバレだったのか、それだけ言われた。

 橘さんの声は無駄に冷静に聞こえて、もう大丈夫そうだと後ろを付いて歩き出した。


 ◇


 私に気付いているのかいないのか、橘さんがもくもくと歩き続けて着いたのは、幼稚園が隣にある小さい公園だった。

 古びた滑り台に手を当て、懐かしそうに橘さんが呟く。


「葵ちゃんのおかげでちゃんと話せたよ。ありがと」


 ありがとう、って言った割には言葉に生気も何もこもってなくて。まだ何か悩んでることがあるんじゃないか、そう勘ぐってしまう。


「それにしては、何でそんなに悲しそうなの」

「そっか、ばれちゃうか。私って思ったより顔に出ちゃうのかもね」

「まぁ、ずっと一緒にいたらね」


 普段あんなに笑顔を取り繕っているのに。教室での笑顔も知ってるからこそ、下手な自虐だなぁ、なんて思いながら、そっと耳を傾ける。


「これからも、私はずっとこれを引きずっていく気がして。そう考えたら、長い時間を無駄にしてきたみたいに思えてきちゃって。葵ちゃんはそう思ったこと、ない?」

「私は……そんなこと考えたこともなかったや」


 あの頃は毎日が終わりみたいに思えてきて、長い時間としてみたことがなかった。

 でも今になってそういわれてしまうと、長い時間立ち止まっていた気がしてくる。実際1年あればもっといろいろなことを勉強できただろうし、そうじゃなくてももっと正しい時間の使い方はあったと思うから。

 でもこの時間がなかったら、私は橘さんと会えなかったわけで。だから、今となってはそれに後悔はしていないって、そう言い切れる気がする。不登校は誇れたことじゃないけど。


「そう……かもしれない。でも、それがあったから澪ちゃんに会えたとも、思う。まだ無駄じゃなかったって思えることがないだけじゃないかな。いつかきっとそういうときが来るよ」

「葵ちゃんらしいや」


 本当に私らしいかは全く分からないけど、そう呟く橘さんはちょっと明るい顔に戻っている気がした。


 気持ちがすっきりしたのか、私の手を掴んで橘さんが走り出す。


「これからも、ずっと一緒がいいな」


 その言葉に驚きつつも、優しい笑顔で言う橘さんにつられて私も笑う。

 ずっと一緒なんて、今もあり得るのかわからないけど。いつだって橘さんが心の指針だと、そう気づかされた。




 橘さんの家に戻ったら、さっきまでと打って変わって優し気な橘さんのお母さんがいた。

 

「高田さん。申し訳ありませんでした」


 先程とうって変わって深いお辞儀で謝る姿を見て全力でフォローを入れる。


「もういいですよ、そんなに気にしてないですし」

「澪も、今までごめんなさい」

「……別に。そう思うなら行動で示してほしいものだけど」


 どこかつっけんどんだけど、ちょっとうれしそうに聞こえた。




「ってことがあったんだよね~」


 日付は変わって次の日、お昼休みに私たちはそのことを話していた。

 それを聞いたギャル子ちゃんは


「そんなことあったなら相談してくれればよかったのに~」


 なんてこぼす。


「ごめんね、いろいろあってさ」

「夏祭りの日のあと、うまくいったんだ」


 そう本田さんが耳打ちして、私は頷いて。


「ねぇねぇ、なんの話してるの?」

「別に~? ねー、高田さん」

「うっそだぁ~教えなさい!」


 こうして、ちょっとどたばたな日常が戻ってきたのでした。

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