最終話 罪滅ぼし

 港湾倉庫で発生した爆発事故から二週間後。

 東京都内のとある浜辺。十数名の男女の前で、作業服に身を包んだ年配の男性が熱の入った声を上げていた。

 彼らが参加しているのは、海岸沿いに漂着したゴミ拾いのボランティア活動である。


「既にご承知の方もいるでしょうがぁ!二週間前の爆発事故で大量のゴミが東京湾に流出する事態となりましたぁ!この辺一帯は特に漂着物が多くぅ!先日は穴の開いた防犯スプレーが何十個もぉ!」

「…………」


 男性の話を聞いていたユッピーはバツが悪そうに視線を落とす。

 相手の暑苦しい口調は自分への糾弾に聞こえないこともなかった。


「というわけで今日は一日よろしくお願いしまぁす!あぁ、それと三場さん」

「っ!は、はい!」


 参加者が散り散りになっていく中で自分一人だけ呼び止められ、ユッピーは思わず上ずった声を上げる。


「あなたはもう何度も参加してくださってますから慣れているかもしれませんが、一応は気をつけてくださいよ。、爪で引っ掻いてくることもあるかもしれませんからね」

「……はい」


 一瞬、返事が遅れた。


(そうだ、この人には精霊の姿が見えないんだった……)


 波打ち際で“ウサギ”と戯れていた海鳥たちが微笑むように鳴きながら、別々の方向へ飛び立っていく。


「すいませーん!ユッピーさんってどちらですかー!?」

「え……」


 参加者の一人が遠くから質問を投げかけてくるのが聞こえた。


「誰です?」

「あ、あたしのことです。ちょっと行ってきますね!」


 ここでは他人にあだ名を教えたことはない。

 何の用事なのかは分からなかったが、とにかくユッピーは声の元へと向かう。

 そこには一人の来客がいた。


「……どうしてここが?」

「罪滅ぼしにゴミ拾いしているって聞いた。これ、豊姫から借りっぱなしだったから返そうと思ったんだけど、連絡がつかなくて」

「それであたしに?別にいいんじゃないの?もうトヨにはいらないものだし。あなたの命を救ったものなんだから、神棚にでも飾ったら?」

「俺の家に神棚なんて無いよ」

「言ってみただけよ、統和さん」


 ユッピーはそう言って軽く笑う。

 浜辺を訪れた男性、虎岩統和の手には豊姫の薬袋が握られていた。


 あの時、コンクリートに埋められた統和が再び神判の扉を顕現させ、ユッピーの操るカラスに突っ込ませた時だった。

 顕現した『オーディール・ドアー』は倒れこむ豊姫の方へ向かった。

 ユッピーには見えていた。その腕が、地面に落ちていた彼女の薬袋を掴むのを。


「今にして思えば、あの薬袋はフローリアがトヨから奪った、滅するべき罪だったのね」

「あぁ、あのままだと俺はフローリアに埋められて終わりだった。だが薬袋さえ抱えていれば、あとは『オーディール・ドアー』が救い出してくれると思ったんだ。罪を滅するには、薬袋を無事に豊姫の元へ戻すしかないんだからな」

「でも、まさか自力でコンクリートを砕いて出てくるなんてね。いくらフローリアが弱っていたからとはいえ。でも、統和さんがそれをトヨに返すところまで神様は面倒見てくれなかったの?」

「俺の扱いはわりかし適当だからな」


 統和はやや呆れ気味に息をつく。

 彼はまた違った意味で神に振り回される立場なのだとユッピーは思った。


「……で、その豊姫はどうしているんだ?」

「今頃はアメリカよ」

「アメリカ?」

「えぇ、病気の治療に。日本の偉い人から連絡が来て、治療費も旅費も全部工面してくれるって。最初は怪しんでいたみたいだけど、そのうちもっと偉い人が来て信じざるを得なくなったって」

「あぁ……フローリアの一件でアメリカに大きな貸しを作ったみたいだからな。せめてもの償いってところか。古御出さんが言ってたよ」






 東京都警視庁。その中でも最も広い会議室で、日米の警察機関を束ねる大物たちがテレビ会議を行っていた。

 古御出は一人、周囲を日本勢に取り囲まれた孤立無援の状態でスクリーンに向き合う。

 まるで法廷に立つ被告人のような有様だったが、今の彼は強気だった。


「『シルバー・スノウ・ストーリー』、俺の精霊だ。誰も見えてねぇってことはねぇだろうな?」


 投影されたアメリカ側の人物──古御出曰く『FBIのお偉いさん』──のうち、数人が反応した。それを見て彼は満足げに話を続ける。


「こいつは他人の記憶を氷として抜き取ることができる。その氷を噛み砕いて飲み込めば記憶の引継ぎも可能だぜ。今、こいつが手にしているのは、そちらさんもよく知るフローリアの記憶だ」


 スクリーンに現在のフローリアを撮影した映像が映る。

 これまで殻に隠れてきた彼女の素顔を初めて見る者もいたらしく、大きなどよめきが起こった。


「氷は二つ。まずは精霊能力に関する記憶だな。こいつが無ければフローリアは精霊能力を使うことはできねぇ。そしてもう一つの氷には、フローリアがこれまでに犯してきた罪の記憶が全て詰まっている」


 古御出の言葉が通訳されて伝えられると、途端にアメリカ側の表情が険しくなるのが映った。

 それだけでもフローリアが握っていた情報の重大さが見て取れる。


『日本側にその記憶の内容を知る人間はいますか?』

「いねぇよ。FBIや合衆国全土の知られたくねぇ秘密があるかもしれねぇんだ。好奇心より恐怖が勝るわな」

『それはとても賢い選択です。しかし、現場となった倉庫には他に証拠が残っているのではありませんか?』

「いいや、何も。統和の精霊能力が全部、消しちまいやがったよ。こんな感じにな」


 そう言って古御出がスクリーンに映したのは、雑誌の切り抜き記事に英語訳を書き込んだものだった。

 その内容を簡単に言えばオカルトだ。港湾倉庫の爆発事故を宇宙人の襲撃によるものと主張し、実際にUFOが付近から飛び立ったという写真が掲載されている。

 普通に考えれば、このような場で根拠にする代物ではないが、実際にその光景を目の当たりにした古御出からすれば確かな証拠だった。


「統和の精霊がUFOを呼び出し、化学兵器をはじめとしたフローリアの罪を全て宇宙へ持ち去っていった。本当に宇宙まで行ったかは知らねぇが、UFOの姿をしているってぇならそうなんだろうよ。そちら側の恐れる情報漏洩はもう起こりえねぇってこった」


 アメリカ側が黙り込む。


「ただの爆弾なら爆発まで放置されただろうが今回は化学兵器……爆発したら向こう何十年は汚染の被害が続くってぇ代物だ。いつでも消えることなく“残り続ける”。だからこそ持ち去ってくれたわけだ……罪を滅するために」

『……わかりました。日本側の偉大な功績を認め、そして称えます』


 通訳の言葉に古御出の背後から感嘆の声が上がった。






「邪魔して悪かったな、ユッピー。お詫びに俺も手伝うよ。なんたって防犯スプレーばらまいた首謀者だしな」


 統和はそう言ってユッピーに手を差し伸べる。


「ありがとう。じゃあ、あっちの方……海鳥が空を飛んでいる場所に行って。そこにゴミが集まってる」

「集めさせたのか?」

「昨日の夜、ウサちゃんから海の生物たちに伝えておいた。迷惑なゴミがあったらあたしたちが回収するからって」

「……そうか、いいことじゃないか」


 統和はゴミ袋を手に歩き出す。

 ユッピーは、自分にしかできない贖罪の方法を必死に考えたのだろう。

 彼女は何も言わないが、白上巡査の死に関わった者として、自分を責め続けていることくらいは容易に想像できた。

 難しい話だ。法律に精霊の記載は無いし、世間には彼女の情報は出回っていない。

 法律にも世間にも擁護してもらえない以上は、彼女は自分の力でやり直すしかないのだ。


(『オーディール・ドアー』はもうユッピーに何もしない……けど、神の意思がどれほど強固だろうと結局のところ、自分の罪を滅することができるのは自分だけなんだろうな……)


 歩いていると電話が鳴った。


「もしもし?」

『おう、統和。ユッピーには会えたのか?お前の方はもう平気か?』

「古御出さんか。あぁ、さっき会ってきたよ。体の方も回復して今は罪滅ぼし中だ」

『なんだとぉっ!?』

「っ!?」


 古御出の叫び声に思わず電話を遠ざける。


『馬鹿野郎が!敵がいるなら俺にも連絡よこせ!まさか勝手に精霊能力を使ってんじゃねぇだろうな!?分かってんのか統和ぁ、お前の能力はあまりにも──』

「うるさいな……傷に染みる」


 溜息と共に電話を切る。


「自分にしか使わないだろ……罪滅ぼしって」


 波音が海鳥の鳴き声と混ざり合う心地よい空間の中で、統和は再び歩き出した。




 Ordeal Door~神判の扉は開かれた~

 完

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