第5話 入学式④
セントウィリアム学園の入学式。
国内の有力貴族の子息や令嬢が一堂に会し、平民の中からも特に優秀な成績を収めたものだけが参列することができる栄えある式典は、つつがなく進行している真っ最中だった。
学園長の長ったらしい挨拶や、有力貴族の代表者による祝辞が延々と続く中、じっと耐え続けている新入生たちの疲労感は凄まじいものだろう。
「アルフ、私もうお尻がいたいんだけど」
「シッ……ご辛抱なさってください。後くれぐれもお言葉遣いに気を使ってください……ほら、もう少ししたらハインズ様の新入生代表挨拶ですから」
「う゛ぅ………何でクッション持ってこなかったのよ……こんなに長くなるなら準備しておきなさいよね…この愚図っ……!!」
「シッ!!愚図とか言ってはいけませんよ!せめてお部屋でだけにしてくださいっ…!」
式は巨大な講堂で行われる。
前列には並み居る来賓の皆様。
その後ろには学園の講師陣。
そしてさらにその後ろには貴族階級の新入生が御付きのメイドや部下を伴って講堂の固い椅子に身もだえし、さらに講堂の最後方に平民階級の新入生たちが集められ、椅子の無いスペースに直立させられたまま式に参加していた。
「ほら……平民階級の皆様はずっと立っていらっしゃるんですから……座っていられるだけ感謝してください」
「何言ってんのよ……平民なんだから当たり前でしょ……」
………。
少しでも奮い立たせるために言ったのに。
このお嬢様はごく当たり前のように身分差別発言をする。
まぁそういう世界観なのだから仕方ないのだろうか………今の発言が差別だという感覚すらないのだろう。
良くも悪くも……俺のスカーレットお嬢様は素直がすぎるかもしれない。
「にしても、長いわねぇ……」
「………そうですねぇ」
この式典、あのゲームの中だと5分と経たずに終わってたんだけどな。
たいして重要なイベントも……というかハインズ殿下と聖女エルザの二人が、それぞれ貴族代表と平民代表としてあいさつしました………っていうだけの強制イベントだ。
むしろプロローグから抜け出してもいないようなシナリオ進行度。
このイベントの時にエルザは美しい声で王子達を魅了したり、逆にスカーレット様を始めとした貴族のご令嬢たちに「なによあいつ、調子にのってんじゃないの?」と謂れのない嫉妬を向けられたりするのだが……。
正直朝のイベントと違って、こんな公式の場では介入のしようがない。
王子達とエルザをくっつけないように、エルザの存在の露出は極力回避したいものだが、まぁこればっかりはどうしようもないし諦めるしかない。
「早く終わんないかなぁ………」
「まったくですねぇ………」
と、全くやる気が出ない式典を消化していると、いよいよハインズ殿下のスピーチの番となった。
「アルフッ!! ハインズ様よっ!! ハインズ様っ!!!」
「分かってますってば……。興奮してお声が大きくなってますよ……」
「あぁ……なんて素敵なのかしら……やっぱりハインズ様は王国一の方よね……」
なんというかまぁ……目をキラキラさせちゃってかわいらしい事。
スカーレットは良くも悪くも純粋というか………とにかく追い求めるものに対しては一直線な性格だ。
今まで数度しかあったことのないハインズ王子への恋心だけで、生まれてから今までずっと自分を磨き続けてきたのだから。
男子寮と女子寮という違いはあれど、優秀な成績を収めれば晴れて同じ教室で学ぶことができるし、それができるだけの実力を彼女は手に入れた。
………というかゲームの中でもそうなることは分かっているのだけど………間近で見ていた身としては、本当によく頑張っていたと労いたくなるほどの努力の積み重ねをしてきたよな。
是非恋を実らせて、バッドエンドを回避してもらいたいものである。
………というか回避してもらわないとこっちまで死んじまうからな。
「―――当王国はさらなる発展を求め――――未曽有の危機の中にあっても――――われら学生一同、真摯たる態度でもって研鑽に励み――――」
色恋沙汰は本当によく分からないが………まぁ自分なりに色々と知識だのなんだのは勉強してきたつもりだ。
それが実を結ぶかどうかは分からないものの………少なくとも今横で目をキラキラさせている少女に死んでほしいわけがない。
「――――いついかなる時でも、王国の礎となるために――――」
我儘で、身勝手で、典型的な貴族意識の持ち主で、手綱を付けられるような人物では到底ないけれど………この子が幸せになってくれたらなぁというのは………まぁ本心ではあるのだ。
そして………
「キャー!!♡ ハインズ様ッ!!♡ 素敵でしたっ!!♡」
ワッ!! と拍手喝さいが起こった音に逡巡から引き戻されてみれば、今までで一番の盛大な拍手が壇上のハインズ殿下に送られているところだった。
あまり集中して聞いていなかったものの、切れ者って設定の王子の事だ、さぞかし立派なスピーチを成し遂げたのだろう。
「ほらっ!!何座ってんのよ!!あんたも立ってハインズ様に拍手を送りなさいよっ!!」
「はいはい……」
「何その態度!!!」
何だか………ずっと見守ってきたこっちとしては、娘が巣立っていくような感覚があるんだよな。
今でこそ肉体年齢に精神が引っ張られているものの、前世との年齢を合わせれば完全に娘と父親の年齢差だ。
………そんなことを言ったらぶん殴られるだろうけど、まぁ、幸せになってくれれば良いか。
「続いて、平民階級を代表して……エルザ・クライアハートさん。」
そのアナウンスが響くと、まだ微かに残っていたざわめきも消えて行動の中が静寂で満たされた。
「は、はいッ!!」
講堂の後方。
平民たちが直立する場所の最前線から、明らかに緊張した声が響くと、俺を含めた講堂中の視線が一人の少女へと突き刺さった。
「…………」
随分と緊張しちゃってまぁ………。
ぎくしゃくと歩き出したエルザは、片手に持ったスピーチ原稿をギュッ……と握りしめながら壇上に向かって歩いていく。
まぁ、緊張するのも無理は無いだろう。
こんなに大勢の人の前でスピーチをしろと言われたら、俺だってガチガチに緊張してしまう。
ましてやそれが数年後にこの国を背負って立つ人物達の前で、となれば尚更だ。
「………なんか」
「ちょっと、うっさいわよ。静かにしなさいよね」
なんか………こんなんだったっけな?
入学式のイベントのエルザって………。
「………あの子………朝ミリアとひと悶着あった子じゃない」
「………そうですね」
こんなに緊張というか………余裕の無い表情で出てくるイベントだったか?
「何あれ………なんであの子の服あんなに泥だらけなの?」
「顔色青くない……?大丈夫なのあの平民の子」
ひそひそと囁くような声にエルザを見れば、彼女は今まさに壇上に向けてかかっている階段を上ろうとしているところだった。
確かに顔が青い………。
よく見れば身体も震えているような………。
このイベントでは………にこやかに挨拶をして、ハインズのスピーチを受けてアドリブまでいれながら見事なスピーチをして………それで終わるだけの何でもないイベントのはずで………。
そう思った瞬間だった。
――――ガタンッ!!!!!
と響いたのは、緊張のあまりにエルザが階段を踏み外した音だった。
「………」
シーンと静寂が満たしている講堂の中、階段の下にしりもちをついてしまったエルザが真っ赤な顔をして立ち上がる。
「………」
泥を落としきれなかった、彼女のたった一足のローファーがコツコツと音を立てる中、講堂はクスクスという嘲笑の声が急速に広がっていっていた。
「~~~~~っ……」
明らかにおかしい。
演台の前についたエルザは耳まで顔を赤くし、手が震えるせいかスピーチ原稿の封を上手く開けられずに苦戦しているようだった。
何があったんだ………?
そんな思いに横を見てみても、ゲームの登場人物であるスカーレットも不思議そうな顔をしてエルザを見つめている。
キョトンとした顔からは一切の悪意は感じられず、目を離したすきにこのじゃじゃ馬娘がエルザに干渉した訳ではないことが分かった。
「し………新緑の芽吹くこの―――――」
キインッ!!!!!
という耳障りな音に、講堂の中の何人かが耐えきれずに耳を抑える光景が目に飛び込んできた。
マイクがハウリングしたのだろう。
緊張のあまり手がマイクの接続部分に触れてしまったのか、それともバカみたいな魔力量を誇るエルザのマナが制御不能で溢れだし、魔導回路に影響を及ぼしたのか。
「あっ………し………失礼しまし――――」
キインッ!!!!!
再びハウリングを起こしたマイクを前にして、はた目からもエルザが完全にパニックに陥った様子が窺えた。
余りの混乱に顔は一転して青ざめ、目じりからは涙があふれだしている。
「ね、ねぇアルフ……あんたマイク直してあげなさいよ……」
「………無茶言わないでください。魔導具の知識なんてありませんよ」
なんだこれは。
どうしてこんなことになっているんだ。
エルザは朝、なんの問題もなくミリアとの問題を解決してあの場を後にして………何の問題もなく………。
そこまで考えた瞬間、前世の記憶が一気に蘇って来て顔が青ざめる思いだった。
「ん?……ア、アルフ……?あんたまで青い顔してどうしたのよ……?」
イベントは………本来ハインズが介入して解決するものだった。
単純にあの場を解決するだけなら何の問題もなく俺もクリアすることができたけど………そういえば………それだけじゃいけなかったんだ。
「し………新緑の芽吹く………き……今日この日……に……」
エルザが急いでいた理由………重い荷物を持ってでも、動いている馬車の横をすり抜けてでも、どうしても早く学園に到着したかった理由………。
「わ………私……わたした……ち……」
「ねぇ……あの子大丈夫なの?」
「あれで平民代表って……今年の平民階級はどうなってるのよ……」
「見た目だけで選ばれたんじゃない?ほら……顔は可愛いもの……」
式の予行演習だ。
たしか……エルザはここに来るまでの道中で怪我をした奴隷階級の老婆を助けて初めての医療魔術を成功させている。
そのせいで体力と時間を大幅にロスした中、必死に学園まで走って来ていたはずだ。
キィンッ!!!!!
「ちょっとぉ……なんでこんなにハウリングするのよぉ……」
「ハインズ様の時は何ともなかったのに……あの子がなんか変なスイッチ押しちゃったんじゃない?」
ゲームの中でハインズに助けられても、結局は時間に間に合わずに遅刻だったはずだが。
でも……老婆を助けたエピソードに感銘を受けたハインズが学園長に掛け合って練習した……みたいなログがあったはずだ……。
一枚絵も何もないようなイベントだったから…今の今まで完全に忘れていた。
「………あ……」
「あの子……喋れなくなってない?」
「顔色も酷いわ……なんか……さすがに気の毒かも」
「だから平民の子に挨拶させるのなんて反対なのよ。貴族と違って公の場に出ることに慣れていないんだから」
その時に一度ハインズのスピーチをお手本で聞かせて貰っていて……だからこそエルザはハインズのスピーチの内容を自分のスピーチに組み込むなんて事が出来たんだろう。
式典の前にはハインズがエルザの事を激励していたし……スピーチの直前に、講堂の最前線で見守るハインズと目が合って勇気をもらう……みたいなログもあった気がする………。
なのに今は………何もない。
「………ね、ねぇアルフ……あんたどうにかしてやりなさいよ…」
「………」
きっと遅刻を怒られて、精神的にも不安定なまま式に臨んだに違いない。
ただでさえミリアとあんなことがあったところに追い打ちの様に怒られ、しかも練習もできないままあの場に立たされている。イベントではハインズが配下の者にエルザの身だしなみを整えさせる描写もあったはず………。エルザは……たしか必要最低限のものしか学園に持ってこれていない。時間も道具も、助けてくれる人もいない中で………汚れた制服を必死に整えた結果があの薄汚れてしまった格好なのだろう。
「………アルフ? あんたなにして………」
「…………お嬢様、お許しください」
「………はぁ?」
既に壇上のエルザは、小柄な体をさらに縮こまらせて震えていた。
………。
別に………彼女が失敗したのなら……それで良いかとも思う。
「なにそれ………ティッシュなんか丸めて何を……」
これで王子達の好感度も軒並み下がるだろう。
良い傾向じゃないか。
あのゲーム、無駄に難易度高いからイベントの取り逃しとか、選択肢の間違いとか結構シビアだしな。
きっとこのまま潰れてくれれば、俺とスカーレットの未来は安泰だ。
彼女は誰からも愛されることなく学園生活を終え、スカーレットは無事にハインズと結ばれ、役目を果たした俺は晴れてオズワルド家からお暇をいただき、第3の人生を謳歌する事に――――――――――
「ぶぇぇぇえええええええっくしょっ!!!!!!」
「………」
「………」
「………」
「………」
あぁでも
「べくしっ………!!!! あ゛………も、申し訳ございま………は………は……はぁぁぁぁっくしょいっ!!!!!!!!」
なんかなぁ………何なんだろうなぁ………。
「やだぁ………何あれ……!」
「あれってスカーレット様の……」
「クスクスッ………何なの……風の妖精に呪われでもしたの?」
「もうしわ……クション!!!!」
「ア、アルフぅッ!!!何してんのよあんたはっ!!やめっ……ちょっ……!!せめてすわって……!!!」
「べええっくしっ!!!!!!!」
「アルフゥゥウウウウ!!!!!」
講堂がいよいよ笑いに包まれ、エルザに突き刺さっていた視線が俺とその隣で顔を真っ赤にするスカーレットに集中し、
「で、で……ブエックシッ!! 出ていきますのでっ……ベクシッ!!!」
壇上のエルザが、今朝みたいな顔でポカンと口を開けて俺を見つめている中で、
「す、スピーチ………続けてくださ………ハックシッ!!!!!!」
「アルふぅぅう!!!さ、さっさと出てって!!!ああもうっ!!!最悪よ!!!最悪っ!!!!何してくれてんのよあんたはッ!!!」
もう自分がどうして鼻の奥に小さなこよりなんて詰め込んで、魔術でそれを動かしてくしゃみなんかし続けているのかなんて分かるはずもなく。
「お……お騒がせしましたぁぁあああ!!!!」
なんかもう色々と恥ずかしいわ、エルザにもスカーレットにも申しわけないわで、顔は燃えるように熱いし、訳は分からんし………。
「――――私達平民階級の者を受け入れて下さる本学園の理念と――――一同、粉骨砕身の覚悟をもって自己の研鑽に励み―――――」
飛び出した講堂の外、小鳥たちがさえずる学園の林をながめながら、俺は心底疲れ果てて壁にもたれ、やがて再開したスピーチを一人で聞いていた。
スピーチを読む声の震えはもう聞き取れず、とてもきれいで、
「――――平民階級代表、エルザ・クライアハート」
ハインズ殿下の時の半分ほどの拍手が講堂から響いてくるのを聞きながら、なんだかちょっぴりセンチメンタルな気分になった。
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