人間道(1-3)

 まるで、小説の中から飛び出して来たかのよう。

 漫画や絵本で例えないのは、あれらは作者によって描かれたイラストで姿形が決まっているからだ。小説ならば、登場人物の印象は読み手の想像力に頼られる。


 故に今の表現は、あらた視点での発想。ガスマスクを外した彼女を一目見た時に抱いた印象が、物語から飛び出してきたような、現実味を帯びない人物。だった。


 首を傾げる少女は新の質問の意図がわからず、黙ったまま。

 そんな二人の間に入った、まだガスマスクを着けた小柄な黒服が、握り締めた拳を新へと叩き込んだ。プロボクサー並の拳がもろに顔面に入り、動けなかった二人は反応出来なかった事を悔やむ。


「新君!」

「その拳……打たれ続けたら、俺は、死ねるのかな。試して、くれないか?」


 ガスマスクは飛び退き、拳を打ち込んだ手に巻いていた包帯を千切り取った。

 熱を持った包帯が燃え上がり、一瞬で炭となって消える。


「何だよてめぇ、ドMか?! ヤだよ! 打った感触薄い上に、殴った拳が燃えるなんて洒落にならねぇ!」

「……そうか。なら、当初の予定通りに殺すしかないな」

「やれるもんならやってみやがれ!」


 ガスマスクが外され、素顔が晒される。

 その時は本当に一切の悪気なく、本当に素直に、率直に思った事を言ってしまった。


「女だったのか」

「男じゃボケ!!! やっぱり殺す!」


 垂直に跳んでからの高速ステップで攪乱。

 今度は炎で防がせまいとフェイントを織り交ぜ、新の反応を窺い、ここだと思った瞬間に本命を叩き込もうとして、美男子の体が動きを止めた――いや、止められた。


「そう何度もやらせはしないよ」


 美暁みあけが止めた瞬間に、殺丸あやまるが新と美男子の間に入る。

 繰り出した手刀の先には毒針が仕込まれており、刺されば全身の毛穴に注射針を刺されたような痛みに悶え苦しみながら死ぬ事になる。


 が、それはならなかった。

 更に間に入って来た女性の振るう槍に弾かれ、下顎を打ち上げられた。


 殺丸の脳が揺れたと察して、新は咄嗟に殺丸の腕を引いて入れ替わり、少女の首を手刀で穿って払い除けた上で、美男子の整った顔に灼熱を宿した鉄拳を打ち込んだ。


 少女は撤退しながら咳き込み、美男子は鼻が折れ曲がった上、顔面中央が火傷で真っ赤に腫れあがり、せっかくの顔が台無しにされている。

 が、美男子の怒りの沸点は、美しい顔を壊された事に対しては動いていなかった。


「あんの野郎……あんな素人感丸出しのテレフォンパンチで、俺の鼻をへし折りやがったぁっ……!」


 女性の方も、打たれた首筋を摩りながら、新の事を見つめている。

 表情はずっと能面のように変わらないが、手加減されたのが癪だったのか、ほんの少しだけ、彼女の双眸に光が宿った。


「まさか、新入りのおまえに助けられるとはな」

「……迷惑、だったか」

「あぁ、大迷惑だ! ……だがまぁ、ありがとよ」

「あぁ」


 殺丸が素直に礼を言うだなんて、珍しい。

 ちょっとは新の事を認めてくれたのかな、などと微笑ましく思っていたが、すぐさま思考を切り替える。


 ガスマスクを外して応戦して来た二人に対して、未だガスマスクを外さず、こちらに仕掛けて来る様子もなければ、仲間を助ける様子も見せない黒服への警戒を怠れない。

 電磁波での操作も試みてはいるが、着衣している黒服の性能なのか、まったく効かない。それは、他の二人もそうだ。

 至近距離に来られれば、わずかに露出している部分から干渉して、一時的に動きを止めるくらいは出来るが、それ以上は何も出来ない。


 この状況が相手に伝わるのはマズい。

 殺丸も新も戦力としては申し分ないが、一人役立たずがいるとわかれば、敵も戦術を変えて来るだろう。敵にとって、自分が突破口になる事だけは避けなければ。


「くっくくく……」


 急に、ずっと沈黙を保っていた黒服が笑いだす。

 声からして――まぁ体格と見た目である程度そうだろうとは思っていたが、性別は男とみて間違いないだろう。


 仮にも仲間二人が劣勢に立たされていて笑えるのは、自分の腕に自信がある余裕からか。

 それともただ単に、気が狂っているだけか。

 集団自殺なんてさせる奴だ。出来れば後者であって欲しいが。


「情けないですね、天羽あもう君。あんな素人のパンチをまともに受けるだなんて。過去の栄光にいつまでも縋っているから、そんな目に遭うんです」

「るせぇ! てめぇから先にぶっ殺すぞ、万年中二野郎!」

「君もです、ジャンヌ。手加減された挙句、まさか神経を麻痺させられて動けない、だなんて、漫画みたいな事にはなってないでしょうね」

「平気」


 天羽。そしてジャンヌか。

 惜しいな。あの男の名前も分かれば、好都合なんだが。


 敵に睨みを利かせながら、殺丸は考える。

 情報は時として武器になる。性別から口調から癖から、全てが武器になり得る可能性を秘めていると考える殺丸にとって、名前さえ武器になり得る。

 特別、そういう異能だという訳ではないのだが。


「……ジャンヌと言うのか。俺は新だ」

「おい!」


 自分から名前を明かすなんて馬鹿か、と一瞬思ったが、既にさっき美暁が呼んでいた事を思い出して、止めた。

 助けて貰った礼は言ったが、心まで許したつもりはない。

 新の言動はずっと先が読めないから、一挙手一投足が不安になる。


「この場におまえもいたんだろう。何故、おまえ達は死ななかった」

「……死ぬつもりが、ないから」

「死ぬために集まったんじゃないのか」

「集まったのは、倒れてる人達だけ。私達は集めた側。死ぬ手伝いをしてあげただけ」

「てっめぇ……自殺幇助ほうじょも立派な罪だって、知らねぇのか!」

「何で? 死にたいと言ってる人を集めて殺して、それで何がいけないと言うの?」

「こいつ……」


 男の笑い声がまた響く。

 明らかに殺丸に対して向けられているそれは嘲笑で、殺丸の事を笑っていた。


「ジャンヌの言う通りです。死にたいと言ってやって来た人達を、望み通り殺してやって何が罪なのでしょう。人権? 法律? そんなもので要らない連中まで守るから、人災が増え続けるんですよ。腐ったミカンを箱に入れておくとね、周囲のミカンも腐るんです。死にたい、殺してくれ、もう嫌だ。そんな呪詛ばかり吐くような人間がいるから、周囲にまで影響を与えるんです。死刑になりたいから殺した。一緒に死にたいと思ったから殺した。死ねれば誰でもいいから殺したかった。自殺願望を持った人間ほど、質の悪い人間もいない。そんな人間を集めて使役する、あなた達は正義の味方にでもなったつもりですか? 自分達の行いを善行だとでも?」


 笑う、笑う。男は笑う。

 低い声で、小さく嘲笑う。


 そんな男に対して、殺丸と美暁は何も言えなかった。

 過去、自分達が自殺志願者だった時、一度は考えたからだ。

 自分達も経験したからだ。自分達が質の悪い人間と言われて、否定出来なかったからだ。


 だが。


「だからおまえは、死にたいと言った人間を殺すのか。おまえ、さては俺より馬鹿だな」

「……何?」


 新が反応した。

 しかも、若干の怒気を孕んで。

 普段無気力というか、感情がほとんど表に出て来ない彼の感情という物が動いているところを、二人は初めて見た。


「こいつらが、死にたいと、おまえの耳に言ったのか。死にたいと、おまえのところまで出向いて言ったのか。死にたいから、おまえを殺させろと言ったのか。どうせ、ネットの書き込みだ。SNSだ。そんなところしか見てないのだろう。おまえは、本当に死にたい人間に会った事が無いんだろ」

「何を馬鹿な……現にここにいる人々は皆――」

「馬鹿か。死にに来るような人間が、化粧なんてするものか。死にに来るような人間が、キャラクターグッズなんて持って来るものか。死にに来るような人間が、自分の位置を教える携帯端末なんて持って来るものか。死にに来るような人間が、本当に死ねるかわからないような場所に来るものか。死にたいと言いながら、彼らはただ、おまえ達に縋っていただけだ。明日を生きろと、醜く足掻けと、臭い台詞を言って欲しかっただけだ」

「随分と……彼らの味方をするのですね」

「味方をしている訳じゃない。だが、同じ事を考える人間として、一つだけ理解出来ていると思ってる事がある――本当に自殺したいと思ってる人間は、。ネットの書き込みもSNSも。ただ、大丈夫ですかと、その言葉が欲しいだけだ。悩みがあるなら聞きますよと言ってくれる、味方が欲しいだけだ。そんな言葉を真に受けて殺したと言うのなら、おまえ達は、少なくとも俺より馬鹿だ」


 こんなに長く喋る新を、初めて見た。

 自分の主張を強く語る新を、初めて見た。


 普段から危ない事ばかりをしていると聞かされていたけれど、今の言葉は、姫様にも聞かせたかった。


「そんなおまえ達に、俺も問いたい。おまえ達は、正義の味方にでもなったつもりか? おまえ達は、自分達の行いを、正しいと言い切るのか?」

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