第005話 大蜘蛛 ★


「アナ、戦況どうですか?」


 姫様が心配そうな顔で聞いてくる。


「問題ありませんのでご安心を」


 嘘だ。

 戦況は悪い。

 本来なら姫様を守る精鋭がオーク程度には後れを取ることはない。

 だが、道中、魔物の数が明らかに多かった。

 そのため、ロクに寝てもいなければ、休んでもいない今の兵士達には厳しいだろう。


「アナ、こちらは大丈夫ですから援護に行ってください」


 私は姫様の侍女であり、護衛だ。

 ここを外したくないか……


 私はチラッとオークと戦う兵士達を見る。


 いや、これ以上は無理だ。

 兵士達は疲弊しているし、何よりも武器の剣や槍が限界を迎えている。


「姫様、少し外します」


 私は馬車から離れると、前に出た。


「エアカッター!!」


 手をオークに向け、魔法を放つ。

 すると、風の刃がオークを切り裂いた。


「アナ殿!? 何をしておられる!? 貴殿は姫様をお守りせよ!」


 兵をまとめる隊長が私に向かって怒鳴る。


「その姫様の命です! あなた達がふがいないため、私が出たのです! それでも姫様の親衛隊ですか! 私が魔法で援護するのでさっさと片付けなさい!」

「承知! 総員、気力を振り絞り、一掃せよ!!」

「「「はっ!」」」


 隊長の檄で息を吹き返した親衛隊の兵士達は徐々にオークを押し返していく。

 私もまた、魔法で援護をするが、正直、厳しい。


 兵は本当に気力を振り絞っているのだ。

 オークの数も多いし、オークは耐久力が高いため、時間がかかってしまう。

 そして、時間が経てば経つほど体力的にこちらが不利になる。

 いや、それどころか全滅も十分にありえる。


 この状況で私が取らないといけない行動は……


「アナ殿、姫様を連れて逃げられよ」


 私が悩んでいると、隊長が進言してくる。


「何を言う!?」

「我らの使命は姫様を確実に守ることだ。我らが殿となり、食い止めるからアナ殿は姫様を連れて逃げられよ」

「し、しかし、それは……!」


 兵士達の全滅を意味する。


「それが使命だ」


 覚悟はしていたし、私だって姫様のために命を捨てる覚悟はある。

 だが……


「………………」

「アナ、すまない」


 隊長が……カールが……私の婚約者が頭を下げた。

 この任務が終わったら結婚するはずだった婚約者が頭を下げた。

 それの意味することは……


「ッ! 馬車を出しな、さ……い……」


 私は使命を優先し、御者に指示を出そうと思って声を荒げたのだが、途中で止まってしまった。

 それどころか兵士達もオーク共も動きが止まった。


 何故なら突如として、目の前に数十メートルはある巨大な蜘蛛が現れたからだ。

 その蜘蛛は禍々しく黒く、じっと動かない。

 蜘蛛だけでなく、オークも私達も動けない。

 その蜘蛛は恐ろしいほどの魔力を秘めた怪物そのものだったからである。


 私が背中から冷汗と共に異常な緊張感を覚えていると、大蜘蛛がゆっくりと一つの腕を上げる。

 すると、次の瞬間、その腕がものすごいスピードで一体のオークを突き刺した。

 そして、突き刺したオークを顔に持っていくと、オークを食いちぎる。


 オークは悲鳴を上げることができずにバラバラとなり、地面に転がった。


 バ、バケモノ……!

 あれは最低でもBランク以上の怪物だ……

 私達でどうにかなる相手ではないし、逃げることも叶わない。

 そういった類の魔物だ。


「アナ、動くな……!」

「わかってます」


 動いたら殺される。

 あれには私の魔法でもどうしようもないとわかるほどの威圧感がある。


 しかし、そんなことがわからない知能の低いオーク達は仲間が殺されたことで逆上し、大蜘蛛に突撃していく。

 オーク達はその丸太のような腕で蜘蛛の足を攻撃するが、まるでビクともしない。

 大蜘蛛はじっと動かずにオークの攻撃を受けていたが、ゆっくりと足を上げると、足を振り下ろし、その鋭い爪で一体のオークを突き刺した。

 そうやって、一体一体仕留めていくと、オークの数も減っていき、ついには2体を残すのみとなった。


 2体のオークはさすがに無理だと判断したのか、その場から逃げ出す。

 しかし、大蜘蛛はゆっくりと振り向き、逃げたオークの方を向くと、突如、糸が飛び出し、逃げた2体のオークを捕捉した。

 そして、糸に絡まれて動けなくなったオークのもとにゆっくりと近づくと、2体のオークを踏み殺す。

 これでオークは全滅し、残されたのは私達だけになった。


 私は冷静さを取り戻し、なんとか震える腕を上げ、大蜘蛛に向かって手をかかげる。

 しかし、直後、カールが私の腕を掴み、首を振りながらゆっくりと下ろした。


「何もするな」

「…………はい」


 どうやら私は冷静さを取り戻してはいなかったらしい。

 どう考えても勝てるわけない。

 私達ができることは見逃してもらうことを祈るだけだ。


 私がそう思っていると、大蜘蛛がゆっくりと私達から離れるように歩いていき、すぐに煙のように消えてしまった。

 直後、私もカールも他の兵士達もその場で崩れるように腰を下ろす。


「……あれは何だったのでしょうか?」


 私は消えた大蜘蛛がいた方向を見ながらカールに聞く。


「わからん。だが、あれはとんでもないバケモノだった。道中で魔物を多く見た原因かもしれん」


 ありえる……

 あんなのがいたのではさすがに魔物も普通の行動はしないだろう。

 森から逃げて、街道に現れた可能性が高い。


「このことをすぐに陛下に報告しなくては」

「そうだな。しかし、少し休もう。兵士達は限界だ」


 何を悠長なことを……と言いかけて、自分の下半身がまったく動かないことに気が付いた。


「カール、すみませんが、肩を貸してください。腰が抜けたようです」


 情けない……


「悪いが、それは無理だ。俺も動かない」


 男のくせに情けない……とは言えない。

 それほどに恐ろしいバケモノだったのだ。

 あれに見逃してもらったのは人生で2番目の幸運だろう。


「少し休みましょう。周囲に魔物の気配はありません」


 私は人生で1番目の幸運をくれた婚約者に提案した。

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