第3話 橋

 僕がその話を知ったのは、インターネットの掲示板サイトたった。

 風呂上がりに、ぼやける視界で空を眺めていた時だった。

 友人が面白いものがあると言って画面を見せてきたので、覗いてみたところ、

『怖い場所をあげていく』

 そんな表題に釣られ、流し読んでいくと数行目で見知った地名が目に入った。

『○○県の○○にある橋がやばい。夜に行くと呪われる』

 そこに書いてある地名は僕がたまたま旅行でやって来ていた場所だった。ネットで調べてみると泊まっている旅館から歩いて行ける距離にある。都会の人ごみに疲れ、精神的な癒しのためにやって来た田舎町の旅館の近くにそんな忌み地があるなどと思っていなかった。

 僕は直ぐにここへ行きたくなった。こんな機会今しかないと思い、友人に行ってみようと言うと快く承諾してくれたので共に掲示板に書かれていた橋へに行く事になった。


 橋へは、歩いて十分程度で着いた。

 そこは人の往来がないようで、鬱蒼と木が茂り、獣道のようになっていた。

 橋の入り口と出口に街頭があり、僕達が立っている場所と向こう側が照らされているが、中央は重苦しい暗闇に包まれている。

 ネットの情報の通り見た目からして恐ろしい。中腹が見えないのは足が竦むようだったが、それと同じくらい興奮していた。部屋で感じていた退屈さなどどこにもない。

 橋を渡る前に掲示板を確認すると、その橋には渡る時の約束事があるらしかった。


『橋を渡る時の約束事。行く時は特に何もない。ただ背後から足音が付いて来るんだけど背後を見ても誰もいない』

『帰る時は要注意。橋の出口に街頭があって、そこに立ってから振り向くと目の前に背の高い女が立っている。その女とは絶対目を合わせてはいけない。目を合わせなかったら何もしてこないから只管俯いて橋の入り口まで帰らないといけない』


 どうやら行きは特に気を付けることがないらしい。

 問題は帰りだが、こっちも恐ろしく書かれているが単純だ。俯きながら歩けばいい。


 しかし、気になることがあった。

 その約束事に質問をした人間がいる。

『もし、目があったらどうなるの?』

 これは僕も知りたいことだったのだが、その質問の答えはどこにも書かれていなかった。それ以降、橋の話題を出して約束事まで丁寧に書いた人間は現れなかった。ただ単に飽きただけか、それとも答えられないことだったのか。

 どちらにしても帰る時にいるという女と目を合わせないようにしなければならないらしい。


 では、行ってくると背後にいる友人に声をかけて歩き出す。橋は鉄で出来ているらしいく頑丈な作りだが、所々錆び付いていて赤茶けた部分を見ていると自然と足がすくむ。

 しかし、そんなことで止まるのならこんな場所に端から訪れてはいない。赤茶けた部分は恐怖を煽ると同時に興奮もした。

 足を進めていく。進むにつれて辺りは暗くなるのだが、向こうの街頭が点っているので不思議と恐怖心は薄く、逆に辺りの薄暗さは僕の興奮を更に押し上げた。

 良い感じに胸が高鳴っている。自然と足が早まりそうになるのを押さえつつ、向こう側に歩いていく。

 ふと、背後で音がした。

 ぺた、と柔らかいものが張り付いて、取れる。そんな音がした。

 僕は思わず足を止めた。立ち止まってはいけないとは書いていなかったので問題はないだろう。僕の足音が途切れると背後から聞こえてきた音が明瞭になる。

 ぺた、ぺた、ぺた。

 それは足音のようだ。背後からやってきている何者かは裸足らしい。これは掲示板の説明にあった通りだ。僕は少しのためらいを覚えたが、すぐに振り返った。

 恐怖よりも好奇心や興奮が大きかったからだが、今になってみるとよく振り返れたなとは思う。

 背後には誰もいなかった。これも書いてあった通りだ。

 自然と詰めていた息を吐き出すと、また前方に向き直り歩き始めた。

 ぺた、ぺたん、ぺた、と裸足の足音が続く。

 どうやらその足音は僕を抜くことはないらしく、僕が足を止めると同じように音も止まる。一定の距離保って着いてくる足音は慣れてくると恐怖心は一切なくなった。

 そこまで長さのない橋なので、すぐに向こう側に着いた。

 黄色い光に照らされた橋の出口は明るい。橋の向こう側は草木が生い茂り人が入った形跡はなかった。獣道すらない向こう側を覗いてみようと草木を手で払いのけて身を乗り出して見てみたが、奥には何もなかった。

 何もないは正確ではない。真っ暗で何も見えなかった。そのせいでまるで何もない空間がぽっかりと口を開けているような感覚に陥り、僕は何だか異様に恐怖を覚えて慌てて街頭の下に戻った。

 灯りの下に移動したことで、安心し、気が緩んだ。

 僕は自分が今まさに怪異と遭遇していることを忘れていた。背後からやって来ていた何者かは見えなかったせいで、恐怖心と共に警戒心も削いでいたらしく、僕は何も考えることなく振り返った。

 そこに、それがいた。

 何なのかはわからない。僕はその時、それは女だと思ったのだが今思い返すとそれも怪しい。男性だった気もする。人間なのかすら判断ができない。

 ただ覚えているのは、それは異常なほど背が高かった。

 僕は咄嗟に視線を下に向けた。それの背が高いお陰で目は合わなかったのだが、ここから元の場所に戻らないといけないと思うと猛烈な嫌悪感が込み上げてきた。

 それの側を通りたくない。

 しかし通らなければ向こうには帰れない。僕は何度も何度も呼吸を繰り返し、震えそうになる足を踏み出した。

 女は橋の真ん中に立っていたので、僕は身体を小さくして左側に寄って女の横を通り抜けた。視線は女の足元の辺りを凝視している。

 通り抜けた、と思った時、視界の端で女の髪の毛が揺れた。激しく揺れる髪の毛に視線をとられるのはまずいと反射的に思い、更に視線を下げる。

 真下を見ながら歩き始めると、視界の右端に何かが写る。そして右側からぺたぺたと裸足の足音が続く。

 女が僕と並んで歩いている。

 視界の端に写っているものが何なのかは認識してはいけないと思い、視線を自分の足に集中させて歩く。

 この頃にはもう興奮などなくなっていた。

 代わり映えのない視界のせいで自分が今どこまで歩いてきたのかわからない。感覚的には既に向こう側まで行っているのだが、それならば友人の声がするだろう。

 ふと、友人はどうしているのか気になった。

 友人には女の姿が認識できているのだろうな、と疑問に思い友人の方へと声をかけようとした。


「おーい」


 そんな声が前方から聞こえてきた。友人の声だ。声はすぐ近くから聞こえてきたので、頭の中で距離感を測る。十メートルもないぐらいだろう。

 僕は急かされるように足を動かした。


「おーい」


 声が更に近くなる。

 もう目と鼻の先だ。

 しかし、その時何かがふっと頭に浮かんだ。違和感のようなものを覚えた。それが何なのかはわからない。


「おーい」


 すぐ近くから聞こえてきた声に僕は、もう橋を渡り終えたと思った。それぐらいの距離感から聞こえてきた声だった。僕は渡り終えた歓喜に顔を上げた。


「おーい」


 距離感は間違っていなかった。声はすぐ目の前から聞こえてきていた。

 しかし、目の前にいたのは友人ではなかった。

 大きな口を開けた、それ、がいた。それが何なのかはよくわからない。恐らく隣を歩いていた女のようななにかだ。目のようなものがあった気がしたけど、あれは本当に目だったのだろうか。別の物だった気がする。

 兎に角、僕はそれを見てしまった。


「うわああああああ」


 僕は大声をあげ、両腕を振り回すと無我夢中で走った。それの横を通り抜けることに成功したのは奇跡だった。足が縺れそうになりながら走ると背後からぺたぺたぺたと追ってくる音がする。

 僕は何とか橋を渡り追えると、そのまま駆け抜けた。そしてホテルまで戻るとすぐに荷物をかき集めて部屋を出た。

 一秒たりともこの場に留まっていたくなかった。

 どうやってこの部屋まで帰って来たのかは正直なところ覚えていない。

 帰ってこられて良かったよ。


 

 どうしての、トモリくん。

 え、それを目にしたのに何故帰れたか? ううん、何でだろう。多分僕がちゃんとそれを理解できていなかったからかも。ほら、僕あんまり視力良くないから。あの時は風呂上がりでコンタクトを外していたからよく見えていなかったんだ。

 強運? そうかも。


 え? その友人はどうしたのか?

 それがわからないんだ。置いてきちゃって悪いなとは思ったんだけどね。

 連絡先知らなくて……ん? お前友達いたのかって? 失礼な、僕だって友達くらい……。

 あれ、僕誰と一緒に旅行行ったんだっけ?

 えっと……え、男だった気がするけど、あれ、女の人だったっけ?

 髪の長さ……なんだっけ……。

 腕の数? 目の数もわからない。あれ、何個ついていたっけ?

 あれ……。

 

 あ、でも口は一つだった。大きな口が真ん中に一つ。

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