17. 額縁

 その日は新規の買取依頼があった。事前に伝えられた住所に着くと、日藤とアシュレイは日本家屋の大きな門を見上げた。

 郊外というには田舎寄りの立地で、建物は造りの立派さの割りにひどくうらぶれている。門の中へ踏み込むと、広い前庭は雑草で荒れていて、人の住んでいる気配が感じられない。日藤が呼び鈴を押すかどうかためらっていると、内側から玄関扉が開いた。

「ずいぶん待ちましたよ、さあ早く中へ」

 依頼人の男に急かされて、日藤はアシュレイの鳥籠を片手に、長く薄暗い廊下を抜けていく。埃が舞い蜘蛛の巣のはびこる屋敷の中、アシュレイは精一杯くしゃみを噛み殺していた。


 促されるままに倉庫の奥に入る。男はぼさぼさの頭を搔きながら、いくつかの段ボール箱を指し示した。

 日藤が中を確かめると、そこには沢山の巻物が乱雑に詰め込まれていた。広げて見るとそれらは掛け軸で、どれも名品であることが分かる。少なくとも、このようなひどい扱いをすべきでないことは確かだ。日藤は思わず顔を険しくした。

「それ、ぱぱっと持ってっちゃって。どうせ親父が集めてただけのもんだし」

「いえ、そういう訳には。ともかく、一度よく見せてください」

 彼の申し出に、男は露骨に嫌そうな視線を向ける。不承不承といった様子で、二人を奥の部屋へと通す。


 日藤がダンボール箱を抱えて引き戸をくぐると、そこは広間になっていた。家具は畳敷きの上に文机と座布団が一組あるのみで、綺麗に掃除してある割には何故かモノがほとんど置かれていない。

 唯一の調度品は、床の間に掛けられた立派な額縁だった。その額縁がまた妙なのだ。中に何も入っていない。本来絵を飾るべき場所が、全くの白紙だった。

 日藤はそれを不審に思ったが、ひとまずは机に腰を下ろして掛け軸を慎重に広げた。請けた仕事はきちんと果たさねばならない。彼は精神を集中させて、目の前の品々に向き合った。


 日藤が仕事を始めた後、傍らに置かれた鳥籠の中から、アシュレイは例の額縁をじっと観察していた。

 その木製の重厚な額縁には、繊細な彫刻が施されている。ひときわ目を引くのは、四隅にある椿のレリーフだ。立体的に浮き彫りされたその形は、まるで本物の花のようだった。花弁の瑞々しさや葉の艶めきが、木目の上にありありと浮かんでいる。

 アシュレイがその作り込まれた装飾に目を奪われていると、家主が後ろから語りかけてくる。

「それ、素晴らしいでしょう。あなたは見る目がありますね」

「まあね。でも、中に何も飾ってないじゃないか。何か理由でもあるのかい」

 それを聞くと、男は不意に頬を上気させて、一気にまくしたてた。


「ええ、この額縁にふさわしい椿が見つからないのです。今まで見たどの絵でも駄目でした。どれもあの椿の赤を表現できていない。全くしょうもない画家たちだ。私には夢があって、それはこの額縁にふさわしい椿をこの世に現出させることなのです。その赤が手に入ればどんなに良いでしょうか。おお、椿。瑞々しくも艶めく花。奥ゆかしくも蠱惑的な赤、嗚呼!」


 男はひとしきり喋り終えると、それきり口をつぐんだ。まるでこの世の何物にも興味を無くしてしまったかのように。

 さすがのアシュレイもこれには困惑するばかりだった。おーいと呼びかけてみても、それきり返事はない。男はぼうっと宙を見つめるのみで、視線の先にはあの椿の額縁があった。

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