鳥籠とムーンライト
あおきひび
1. むかしばなし
「骨董屋日藤」はいつものごとく、夕方も早くに店じまいの支度をしていた。
表戸に掛けた藍染の暖簾を下ろしつつ、店主の
日藤はため息を一つつくと、手の中にある埃まみれのハタキを玄関先に放り投げ、だるそうに肩を叩きながら店内へと戻っていく。
焼き物や書画の納められた箱に、ガラスケースに入った時計や装身具。そのほか和洋様々の古物が並ぶ棚の間を抜けて、奥にあるステンレスの扉を押し開く。その先は古びた畳敷きの六畳一間である。
部屋の中心にはちゃぶ台があり、その上には大きな円柱形の鳥籠が載っている。ふと、日藤の耳に届く声があった。
「日藤くん、いつもいつもご苦労様だね」
その鳥籠の中に、生首があった。艶やかにウェーブした銀の長髪と、フリルと宝石をあしらった優雅な付け襟。自信に満ちた表情に、凛として輝く一対の瞳。男性とも女性ともつかない謎めいた美を放つその “生首” が、彼へと語りかける。
「君がなかなか戻ってこないから、待ちくたびれちゃったよ。どうせ客なんて来ないんだから、そんなに律儀にやることないのにさ」
「一応仕事なんでな。それに、お前と日がな顔を突き合わせているよりは、店に出たほうがいくらか生産的だ」
「えぇ、ひどーい。私と居るのってそんなに退屈かい?」
日藤はそれを黙殺して、電気ポットにお湯を沸かした。急須に茶葉を入れ、戸棚から湯呑をひとつ手に取る。
「あっ、お茶にするんだね。私も飲みたいな」
日藤は生首をちらっと見て、それから追加の湯呑とストロー、ついでに袋売りのおせんべいも取り出した。慣れた手つきで二人分の緑茶を淹れる。片方の湯呑にはストローを差して、それを生首のそばに置いてやる。
鳥籠の網ごしにストローをくわえて、生首は日本茶をすすった。そして「おいしーい。あったまるぅ」と幸せそうに息をついた。
「って日藤くん、なにぼーっとしてんの。おせんべいも、ほら」
生首は何度も視線を往復させ、醤油せんべいをねだる。日藤は個包装をやぶいて、せんべいを生首の口元まで持っていく。
優美な三日月形の唇が開き、せんべいをがりりと豪快にかじる。
「あ~、これだよこれ! 緑茶にはおせんべいがなくっちゃ。和菓子も捨てがたいけどねぇ」
満足げにもぐもぐと咀嚼し、緑茶をストローで味わっている。それを眺めながら、日藤はもう片方の手で湯呑の茶を啜った。曇りガラスの窓の外を、夕日が淡く橙色に染めていた。
「そろそろ3年になるんだっけ?」
「うん、何が?」
「アレだよ、ほら。君がこのお店を継いでから、3年も経つじゃない」
「ああ、そういえば、そうだな」
「なかなか感慨深いねえ。ほら私ってば、君のこと米粒くらいちっちゃな頃から知っているのだからね」
日藤は生首との出会いを思い返す。この骨董品店がまだ彼の伯母のものだった頃、小学生の日藤少年は一人この家を訪ねたのだった。
人気のない店内を探検していると、不意に棚の向こうから声がかかった。薄く黴の匂いが漂う狭い通路を抜けると、少し開けた一角に出た。あたりには日の光が差し、埃の粒がきらきらと舞っている。
「ほら、こっちこっち」と、机の上から声がする。彼は少しの疑問を抱きつつも、抑えきれない好奇心のままに、大きく背伸びをして机の上を覗いた。
そして、それと目が合った。天板の上、無造作に転がった生首が、少年をじっと見つめている。銀色の長い髪が、陶器のような白い肌が、薄明かりに淡く照っていた。
それがあまりに浮世離れしていて、少年は思わず息を飲んだ。見てはいけないものを見てしまった、そんな不安に手指が震えだす。目を離せず口も開けず、しばらく彼らは見つめ合っていた。
すると、不意に生首が明るく語りかける。
「やあ、はじめまして」
私のことを知っているかい? そう問われて、日藤少年ははっとして首をぶんぶん横に振った。すると生首は深く嘆息したが、すぐに気を取り直して名乗りを上げた。
「ならば覚えておくといい。私の名はアシュレイ。アシュレイ・シルバーディッシュ。稀代の
流麗な語り口でそう説明した生首――アシュレイは、少年に向けてウインクして見せた。
「じゃあとりあえず、ここから下ろしてくれるかい? たまには日光浴でもしたいものでね」
少年はあっけにとられて目をぱちくりさせた。彼が11歳の頃の出来事である。
「あの時は相当肝をつぶしたな」
「そうそう、あの少年がまさかキクコの店を継ぐなんてね。ずいぶん立派になったじゃないの」
キクコとは、この骨董品店の先代主人であった、老齢のマダムである。彼女の言うことには、この生きた生首は彼女が買い求めた骨董品の中に、いつのまにかまぎれていたらしい。その当時から今に至るまでアシュレイの美貌は衰えず、またよく回る舌も顕在だ。もうすこし丸くなってくれればよかったのにと、日藤は内心で悪態をつく。このおしゃべり生首が。
「あ。君、いま私の悪口言おうとしただろ」
「いいや、気のせいだろう」
せんべいの食べかすを口端につけた美しき生首を前に、日藤は静かに天井を仰いだ。全く手に負えない腐れ縁だ、と彼は思う。
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