ふたりきりでは君はか弱い

スミンズ

ふたりきりでは君はか弱い

 昼休み、ひとりでご飯を食べるのには慣れた。中学校のときとは違い、うちの高校はボッチだからとイジられることもないので、ご飯を食べるとすぐさま耳にBluetoothのイヤホンを着けて机に突っ伏した。何曲か聴くと予鈴がなり、ワラワラと遊んでいた連中が戻ってきた。僕は着けていたイヤホンを仕舞った。


 6時間目が終わり、僕は道具を片付けると、教室の後ろにおいてある体育着入れを持って、更衣室に向かった。


 ジャージに着替えると、僕はグラウンドに向かった。既に一年生の陸上部のメンバーは揃っていた。3年生は2ヶ月前に引退しているのであとは僕ら2年生だが、まだ僕以外には来ていないようだ。


 「こんにちは。早いですね、中嶋先輩」川島咲翔かわしま さくとが挨拶してきた。


 「まあ、クラスメイトとそんな駄弁らないし」自虐的に言う。僕はそう言うとストレッチを始める。


 ストレッチをしているとマネージャーの須崎高菜すざき たかなが紙を渡してきた。


 「高田コーチが組んだ今週の長距離組のメニューです」


 僕は紙を受け取ると思わず目を丸くした。


 「外周ランニングしかないじゃないか」


 「取り敢えず今週は体を作ろうってことらしいです。部活終了まで、とにかくへばらないように走り続けてほしいそうですよ」


 「なるほどね。昴はいいとして、葎花りつかがなんというかなあ」


 「葎花先輩はか弱ですからね。いじめないであげてくださいよ」


 「いじめないよ!というか、か弱っていうか我が強いワガママなだけじゃんか」


 「だれが我が強いワガママだって?」突然、須崎さんではない声がした。振り向くとそこにはショートヘアーで鋭い目つきがくっきりと映る女子、桜木葎花がいた。


 「あ、葎花、おつかれ」僕はふと右手を挙げた。すると葎花はその掌に少し強めにグーパンしてきた。


 「ちょ、加減しろ!ピリピリする」


 「影で人のことパーチク言う人は嫌われるよ」そう言うと葎花はグラウンドの端に敷いたブルーシートの方へ行ってストレッチを始めた。


 「須崎さん、これのどこがか弱なんだよ」僕は小声で須崎さんへ声をかけた。


 「いいえ、葎花先輩は間違いなくか弱ですよ。中嶋先輩が気がついていないだけです」


 須崎さんはなにか含みを持ってそう言った。しかし、そんなわけあるだろうか?クラスでもしっかりと人気者をやっているらしいし、何より自分へのこの態度。か弱な要素が見当たらないのだが。



 「まさか今日は昴が休んでいたとは」僕がそう言うと、葎花が「なんか不服でも?」と突っかかってくる。


 「いってないわ、そんなこと」


 「冗談、冗談。とにかく、一定のペースで外を走ればいいんだね」


 「そういうことで。それじゃ行くか。ルートは校門を出たら右に曲がってずっと真っ直ぐ、国道にぶつかったら右に、畑に突き当たってまた右に、病院の角も右に曲がって、レストランを右に曲がって戻ってくるルートで行こう」


 「分かった。大体3周くらいだね。じゃあやろう」


 「今日はやけに素直だな」ふとそういうと葎花は不服そうな顔をした顔をした。



 僕が先を走り、葎花は後ろを走っていた。車通りは多いが、ほとんど人が歩いておらず、それでいて田舎特有の交通量に対して過剰とも言える広い歩道を走り続ける。


 「ねえ、幹人みきと」葎花は僕の横に並ぶと少し息を荒らげながら言ってきた。


 「どうした。ちょっと速い?」


 葎花は首を横に振った。


 「いや。ちょうどいいよ。そうじゃ無くてさ。す、水分補給するの忘れてた。喉が…」


 「そうか。わかったよ。ポッケに念のためにSuicaだけ入れてきたんだ。ちょっと行けばコンビニがあるからそこで飲み物買おう。取り敢えず一旦歩こうか」


 「うん」葎花はそう言うとスピードを落とした。僕も一緒に落とした。


 「大丈夫か」


 「今のところ。ただ、やっぱり長距離ランニングのときはなんかポーチでもつけて、いつでもドリンク飲めるようにしたほうが良いかな」


 「だろうな。熱中症にでもなってぶっ倒れでもしたら互いに担ぐなんて無理だからね」


 「はあ。幹人はとてつもなくデリカシーに欠ける男だよね」


 「事実を述べたまでじゃん」


 「……」


 葎花は無言になって僕を睨む。流石にこの返しはまずかったろうか?少し反省して、気を取り直したように「あ、葎花コンビニが見えてきた!」と大げさに指を指しながら言った。


 「まあ、ともかくごめんね。私も財布でももって来てればよかったんだけど」葎花はなんだかんだ言いつつも申し訳なさそうに言った。


 「それは別に気にしなくていいだろ。逆のパターンだって有りうるわけだし。そこは持ちつ持たれつってことで」そう言うと葎花は少し顔を綻ばせた。喜んでいるのだろうか?思わず僕はドキッとした。


 「ありがとう」彼女は、ゆっくりとそう呟いた。


 その時だった。突然、僕たちの間を自転車が突き抜けていった。一瞬のことだったが、そのすぐ後に、葎花が「痛い!!」と叫んでかがみ込んだ。状況が呑み込めた。当て逃げだ。突き抜けていった自転車の方を見る。白髪まじりの男が漕いでいるようだ。当てたことに気がついているらしく、必死に男は逃走を図っていた。


 「待てよ!!おい!」僕が叫んだものの男はみるみる遠ざかる。信号もない真っ直ぐな道だったので。男はもう遥か彼方へ行ってしまった。


 僕は葎花の方を向く。葎花は必死に脚を抑えている。短パンのジャージの裾のすぐ下、右足の丁度膝の下辺りから血が出ていた。


 「ガッツリペダルで削られたっぽい」


 「くそ、あのジジイ。取り敢えず、道の隅で座ってて。飲み物となんか手当できそうなの買ってくるから」


 「ホントにごめん」葎花は今まで見たこともない、怯えたような顔をしていた。無理もない。いきなり男に傷つけられた挙げ句、逃走していったんだ。


 コンビニでスポドリと水、それから大判絆創膏とハンカチ等々を買って葎花のもとへ戻った。


 「取り敢えず、膝出して」僕がそう言うと葎花は素直に膝を出した。買ってきた水を葎花の膝へかける。少ししみるようだ。顔をしかめていた。


 「それじゃ今度は、このハンカチで傷口を押さえて」そう言ってハンカチを手渡した。


 「うん」葎花は座ったまましっかり傷口を押さえた。大して傷自体は少なそうだ。すぐに出血は止まった。僕はそれから、葎花の足に絆創膏を貼った。


 「ありがとう」葎花は地面を見たまま言った。


 「いいよ。それより、今日は練習抜けようよ。一回病院行ったほうが良いだろ。あとから痛むって事もあるかもしれないし」


 「うん。とにかく一回学校戻ろう」


 「歩ける?」僕がそう尋ねると、葎花はスッと立ち上がろうとした。すると凄く痛そうな顔をしてまたしゃがみ込む。


 「骨やってるかも……」


 「マジか。じゃコンビニでタクシー呼んでくる。まだSuicaに5000円は入ってるから」


 「うん。申し訳無いけどお願い」


 コンビニでタクシーを呼んで葎花のもとへ戻ると、僕は隣に腰掛けた。


 「かなり参ってそうだな」


 「かなりね」また葎花は地面を見ながら言った。


 「というか、今日はなんだか、最初から素直というか、いつにもまして力を入れてたような気がするけど、なんかあったのか?」僕は素朴な質問を投げかける。しかし、しばらくしても返答はない。その代わり、


 「幹人、ちょっと身体寄せていい?」と訊ねてきた。僕は少し戸惑ったが、頷いた。すると葎花は僕の肩に軽く身体を寄りかけた。


 「今日、高菜が『葎花先輩はか弱ですからね』なんて言ってたしょ。あれ、ホントなんだよ」


 「そうか?今日は確かに当て逃げされたんだし、そんなん俺だって弱ると思うけど」


 「そうじゃ無いよ。高菜には前に言ったことあるんだけど、私は素直になることが出来ない。例えば、助けて欲しい時に助けてって言えない。今日だってほら、幹人が勝手に助けてくれたじゃん」


 「勝手に助けたって、辛そうだったし」


 「いや。ホントにそこは感謝してるんだって。素直になれない。うん。例えばさ、今までの幹人への当たり方が全て素直じゃないだなんて言ったら、どう思う?」


 「今までの当たり方?今朝の掌へのグーパンとか?」


 「ん、まあ……」葎花はちょっと困ったように頷いた。


 「つ、ツンデレとか!?」思わずそんなことを言って葎花の方に顔をやると、葎花は目を伏せていた。


 「それは…、否定できないかも」諦めにも近いような顔をしながらそう言うと静かに葎花は僕の手に手を載せてきた。こんなに広い田舎道で、僕らは小さく重なっている。


 「マジか…」今日はやけに力んでると思っていたが、まさか2人きりになれたのが嬉しかったとでも言うのだろうか?


 「幹人、す、好き」


 そう言って僕の手を少し強く握ってきた。


 こういうとき、どう反応すれば良いのか、僕にはわからなかったが、「ありがとう」とだけ応えた。少しの無言のあと、タクシーがやってきた。僕はゆっくりと葎花の右肩を抱えて起き上がると、タクシーへ乗っけた。


 一旦学校に行くと僕は葎花の荷物だけ持ってタクシーへ戻った。そのまま近くの病院へ向かった。



 「ホントに何から何までごめんね」


 病院の待合室について受付を済ますと葎花は言った。


 「いや、逆に良かったよ。こんなに葎花とじっくり話すことも無かったし」


 「それはそうかも」葎花がそう言うと、後ろから「葎花!」という声がした。振り向くとそこには葎花のお母さんだと思われる人がいた。


 「お母さん」先程、怪我をしたから病院へ行くと電話を入れていたのだ。すぐに駆けつけてくるあたり、きっと葎花はとても親に愛されているんだろう。そんなことを思ってふと嬉しくなった。


 「大丈夫?」


 「わかんない。けど立ったらちょっと痛い」


 「そうかい。でも思ったより元気そうで良かったわ。ところで君は」


 葎花の母は僕を見るなり訊いてきた。さて、なんて返そうか。部活の仲間、でいいとは思うが、何故男なんだとなるのではなかろうか?考えすぎか?いや、でも待てよ。さっき葎花は僕を好きだと言った。僕だって、素直に言うと葎花との掛け合いが好きだったし、葎花の先程の仕草なんかで心を奪取されてしまっていた。ならば、僕は彼女の気持ちに応えるべきではなかろうか?


 僕はゆっくりと口を開いた。


 「僕は、葎花さんの彼氏です」


 葎花の母はポカンとした顔をしていた。それ以上に葎花は意味のわからない顔をしていた。


 「葎花、ホント?」やや戸惑い気味に葎花の母は訊いた。すると葎花は少し間をおくと、戸惑いの顔をスッと消し去って、思ったよりも落ち着いた声で答えた。


 「ホントだよ。傷の手当とか、私の荷物運びだとか、今日は全てやってくれたんだよ」


 「そうなんだ」そう言うと葎花の母は、僕の方を向き直った。それから、ゆっくりと頭を下げると、「ありがとう」と言った。


 「いや、そこまでのことしてないですよ」


 「いいや。君の年代でこんなに女性をいたわれる人なんて稀だよ。ホントにありがとう」


 すると葎花も「そうだよ。私、そうだから幹人が好きになったんだよ」そう言って笑った。


 そうしていると、病院の待合室に「桜木葎花さん。5番診察室へどうぞ」という放送がかかった。


 「それじゃあ、中嶋くん。今日は葎花のこと、ありがとうね。葎花の怪我も、別に命に関係あるもので無いと思うし、事故のことはまたこっちで被害届を出すから。心配しないで今日は家に帰ってね」葎花の母はそう言うと1万円札を僕の手に握らせた。


 「いや、いらないですよそんなお金!」


 「ここまでタクシー代も払ってくれたんだし、それに葎花の運搬料も含めれば、逆に少ないくらいよ。手土産とか洒落なことが出来ないから、今回はそうだなあ。貰ってくれると嬉しいかな」そう言うと葎花の母は私の手をぽんと叩いた。


 「わかりました。今回はありがたくいただきます」そう言うと葎花はフッと笑った。


 「幹人はちょっと硬苦しいんだよ。もっとストレスフリーに生きてみたら?」


 「何を言うんだ」思わず、僕と葎花の母の声がダブった。


 葎花は、また大げさにフッフッフと笑った。


 「生意気なこと言ってないで、それじゃ診察室へ行くよ。ホントに、あとは気をつけて帰るんだよ」葎花の母はそう言うと葎花の肩を担いで診察室へ歩いていった。


 「わかりました。それじゃ葎花、お大事に」


 「うん、ありがとう」そう言うと葎花は軽く手を振ってきた。僕も振り返した。


 ホントに、お大事に。



 「葎花先輩、大丈夫そうですか?」荷物を取りに学校のグラウンドに戻ると、須崎さんがひとりグラウンドにいた。


 「うん。大丈夫だよ、きっと」僕がそう言うと須崎さんは笑みを浮かべた。


 「やっぱり、葎花先輩はか弱だったでしょ?」


 「か弱というか、ツンデレなんだよ」


 「?」須崎さんは疑問符が頭の上に並んでいるような顔をしていた。それから、須崎さんは合点がいったような顔をすると、


 「ようやく、葎花先輩、素直になったんですね」と言った。


 「ようやくって言うと?」


 「葎花先輩、いっつも言ってたんですよ。『幹人が好きなんだけど、どうしても上手く伝えることが出来ない』って。クラスメイトの男子とは普通に喋れるのに、中嶋先輩には素直に話せないって。私はだから、この人はか弱な乙女様のようだと思ったんですよ」


 「うーん。須崎さん。そういうのは前もって教えてもらえれば嬉しかったんだけど…」


 「人の恋事情に余計に口出しするのは危険なんですよ。でもこうやって、葎花先輩も素直になれたんですから喜ばしいですよ」


 「まあ、そうなのかな?」やはり恋愛を知らない僕にとっては訳がわからなかったが、分かった風な態度を示した。「ところで、須崎さんはみんな解散したのにひとりで何やってるんだ?」


 「えー、まあ。そうですね。彼氏がまだ部活動の途中でですね。待ってるんです」


 そう言うと須崎さんは校舎の明かりの灯った窓の方を指差した。


 「美術部、か」


 「そうです。私の彼氏は、中嶋先輩よりもずーっと陰キャな男です」


 「仮にも彼氏なんだからオブラートに包んでやれよ」


 「けれども、告白をしてきたのは向こうからだったんです」そう言うと、須崎さんは下を向いた。


 「そうなんだ」


 「だから、人っていうのは見かけじゃわからないんですよ。見た目はチャラくても繊細な人だっているし、いつもは暗いけど奥に強心臓を秘めてる人だっているし。だけど、間違いなく言えることは人から好かれるというのは素晴らしいことだって事です。今日で中嶋先輩もわかったんじゃないですか?」


 「……そうだな」僕はそう言うと自分の荷物を背負った。


 「自転車で帰るんですよね。中嶋先輩も、事故なんか起こさないように帰ってくださいよ」


 「わかったよ。厳重注意で帰る。じゃあ、また明日」


 「はい。お疲れ様でした」


 「お疲れ様」


 僕はそう言うと自転車置場へ向かった。今日は様々な事があった。けれども、間違いなくハッピーな日でもあったに違いない。もちろん、葎花が怪我したのは良くなかったが、葎花の事を本当の意味で知れたという意味では、今日以上に素晴らしい日はないだろう。


 僕は自転車へ跨ると大きく息を吐いた。ふうっと白い息が出る。もうすぐ冬が来る。いつもなら寂しさを感じるところだが、早く冬も深まって欲しいだなんて、そんな事を思った。

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