スィスィアの箱庭~異類戀奇譚~
伊早 鮮枯
鼠之田はじめの場合
ぶるりと身震いして思わず薄い肩を抱く。腕を動かすとジャラと音がして手首に嵌められた枷から伸びる鎖が鳴いた。
驚いて目を瞬く。
はじめは昨晩、一人暮らしの寝室のベッドに横になったはずだ。
高校生になってようやく実家を出たのだ。誰に邪魔されることなく眠ることができる。
そして明日には念願の、地元とは離れた高校へ入学する。
それを楽しみにベッドの中で目を閉じた。
そのはずなのに。
(どうして、檻の中にいるんだろう……)
冷たい床、細い格子。檻の外は暗くてよく見えない。
服装は昨晩着替えた新品のパジャマ。乱れた様子もないことに安堵しつつ、目を凝らして周囲を確認する。
枷は手だけでなく足にもつけられている。……が、痛くないように布が噛ませてあるという謎配慮が見えた。
(捕まえてるのに傷はつかないようにってこと?)
首を傾げていると静かになにかが近付いてくる気配を感じた。
はじめははっと身を硬くして暗闇に目を凝らす。
のそりと姿を現したそれはまるで絵に描いたような悪魔の姿をしていた。
キヒ、とそれは笑う。
「起キタ?」
息を飲む。
男とも女ともわからぬ声。子どものようにも、老人のようにも聞こえる。
尖った耳に、矢印のような先端を持つ鍵尻尾。針金のような黒っぽい身体には赤いチョッキを着けている。
大きな口にギザギザの歯、楽しそうに笑うとぬらりと赤い舌が口から覗く。
大きさは中型犬が立ち上がったくらいか。近付いてくると意外と大きくて驚く。
「起キタ?」
そいつは再度、はじめに問う。
いや、問うているのか確認しているだけなのかはよくわからない。
その悪魔もどきは首を傾げるようにしてはじめの入っている檻に顔を近付けた。何故かふわりと香水とは違う生花のような香りが漂う。
「キヒ、起キタ。オハヨウ、オハヨウ」
「……ここ、どこ」
「……オハヨウ、ニンゲンノアイサツッテ聞イタ。アイサツシナイ?」
「…………おはよう。ここはどこ?」
顔をしかめて返すと、そいつは嬉しそうにキヒヒと笑った。
「ココハ
「人間……めるかーと……?」
商品置き場ということは、この檻はその商品を逃がさないためのもの。つまりはじめは商品となってしまっているのだろう。なった覚えはないが。
とにかくこの場所について、彼(なのか彼女なのかはわからないが)はなんなのか、どうしてはじめが商品として檻に入れられているのか――情報がほしい。
幸か不幸か、目の前に情報を持っていそうな生き物はいる。
そいつは大きな四白眼をぎょろりと動かしながらはじめを楽しそうに眺めていた。
やはりそいつが動くと生花の柔らかな香りが舞う。
「きみは……なに? 誘拐犯?」
少し嫌味っぽくそう言ってみると、そいつは心外だとばかりに瞠目した。
「ピェールヴィハピェールヴィダヨ」
「ピエール?」
「ピェールヴィ! 誇リ高キ、ピェールヴィ!」
どうやらピェールヴィというのが彼(?)の名前らしい。その名前が如何に誇らしいものなのかを語り続けているが、はじめの耳には左から右へと抜けていく。
ある程度聞き流し終わったところで「ピェールヴィ、」と呼びかける。
ピェールヴィは名を呼ばれたことが嬉しそうにぎょろりとした目を輝かせて檻の中を覗き込んだ。
「ナァニ?」
「ここは……ピェールヴィみたいなヒトがたくさんいるの? 人間即売会って、人間ばかりが出品されているの?」
「ソウダヨ!」
ピェールヴィはしたり顔で胸を張る。
「ピェールヴィハ
歌うように、諳んじるようにピェールヴィは言ってのける。
「ニンゲンハ主人ガ召喚スルンダ。ピェールヴィモ早ク召喚儀ニ参加デキルヨウニナリタイ」
参加資格は主人たる上級悪魔の側近であることらしい。このピェールヴィは下っ端に毛が生えた程度。まだまだ昇格しないといけないようだ。
召喚。
はじめも主人に召喚されたということだろうか。
全く記憶にない。そんなもの、世界を隔てた誘拐とどう違うのだろう。
はじめはきゅっと唇を引き結んで俯く。
ピェールヴィが慌てて檻を覗き込む気配がした。
「キミハドンナヒトニ買ワレルンダロウネ?」
「……うっさい、バカ」
そう言った声には力がなかった。
***
新しく与えられたのは、入荷した
ピェールヴィは人間が好きだ。
ピェールヴィたちと違ってなんだかキラキラしていてとても綺麗だし、ふにふにと柔らかそうでとても弱い。だけど個によっては気が強かったり元気がよかったりする。
食べれば甘くて蕩ける舌触りはどんな甘味よりも素敵だ。
でも一番好きなのはその喉から生み出す様々な声。
以前少しだけ歌っているのを聞いたことがある。あれはとても言葉にできないほどの衝撃を受けた。
ピェールヴィたち悪魔に「歌う」という概念はない。
正確にはそんなことをするやつはいないくらいのものだし、上級悪魔ともなれば機嫌が良ければ鼻歌を歌ったりもするやつはいる。
だが人間は違う。
なにが違うのかといえばピェールヴィのような矮小な小悪魔にはうまく言い表せないのだが、初めて人間の歌を聞いたときは本当に驚いた。
驚いて、その美しさに呆然とした。
そもそもピェールヴィたち下級、中級悪魔たちの声は尖っていたりガサガサとしていて聞き苦しいものが多い。ピェールヴィもそうだ。
だから「声が美しい」というだけでも衝撃だ。
そんな歌を生み出せる、声を出せる人間はすごい。
誰に言ったこともないが、ピェールヴィは人間が好きだ。
できれば仲良くなってもっとたくさんの歌を聞いてみたいと思っている。
――だから、新しく与えられた仕事は人間に関われるとあってとても楽しみにしていたのだ。
なのに。
「ぐすん、ぐすん、」
「帰して……帰りたいよぅ……」
「おかあさん」
「ひっく、来ないで……食べないで……」
入荷したばかりの人間たちは目から大粒の水滴を流すばかりだ。
それを見ているとピェールヴィはなんだか胸の辺りがぎゅうと締め付けられるような心地になる。
歌っている人間を見ていたときとは真逆にとても苦しい気持ちになる。
それをどうにかしたくて、会場の近くを探していろんな花を摘んでみた。
人間は綺麗なものが好きだ。それならきっと、花だって好きなはずだ。
でもそれを見せる前に、人間が入っている檻の前に近付くだけで大きな声を上げられる。
甲高い声で、それを聞くとピェールヴィは悲しくなる。
そしてそのしょんぼりとした気持ちを抱えたまま檻ごと人間たちを見送っていく。
この仕事を与えられてからは一度も歌を聞けていない。
それもまた悲しい。
今日もまた新しい商品が入荷する。
きっとまた甲高い声を浴びせられる。
そう思っていてもピェールヴィは花を摘むのをやめられなかった。
(……今日ノ人間、大キナ声出サナイ……?)
新しく檻に入れられた人間は長い前髪の間からじっとピェールヴィを眺めている。
ピェールヴィたち悪魔の外見というのはどうやら人間にはあまり快いものではないようだと気付いたのはいつごろだっただろう。
だけど、今日の人間はオハヨウと挨拶してみれば、震えながらもおはようと返してくれた。
嬉しくなってピェールヴィはキヒキヒと笑う。
それだけでも嬉しいのに、この人間はピェールヴィの名前まで聞いてくれたのだ!
嬉しくて嬉しくて、ピェールヴィは目を細めて檻の中を覗き込む。
もしかしたら友達になれるかもしれない。
そんな期待を込めて。
ああ、でも。
(コノ人間モスグニ誰カニ買ワレテ行クンダ……)
それは少し寂しい。
でもいいヒトに買われて楽しく過ごしてほしい。
「キミハドンナヒトニ買ワレルンダロウネ?」
ああ、羨ましいなぁ。ピェールヴィは言葉なく呟いた。
もうしばらくすれば開場し、売買が始まるだろう。この人間も素敵なヒトに買われるといい。
それまでピェールヴィはこの場で人間たちを見守るのだった。
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