それぞれの想い

 尾張・すえもりじよう――。

 

 秋も深まり、薄青い天にはいたような雲が浮かんでいる。

 かえではぜなどのうるしの木々も色づき、にからむつたまで紅葉し始めている。

 そんな道を末森城へ向かって、馬が駆ける。

 づなさばいているのは『おにしば』の異名をもつ、しばごんろくかついえである。

 といっても勝家が、鬼柴田と名乗っているわけでない。

 周りがどうやら、そう陰で呼んでいるらしい。

 だが、そんなことなど気にする勝家でない。

 勝家としては、織田家家臣として当然のことをしているに過ぎない。

 そう、このときの心の奥にある思いも――。


「止まれ! 何者だ!?」

 末森城大手門まで来ると、じようばん(城郭守衛のために置く兵士)が槍を突き出して声を荒らげた。

「無礼者!。この柴田勝家の顔がわからぬか!?」

「し、柴田勝家さま!? と、とんだご無礼を……!」

 勝家の一喝に、城番は青ざめた。

「殿にお目通り致す! 門を開けよ!!」

 勝家はそう叫ぶと、開かれた門内へ駒を一気に進めた。



 織田弾正忠家が主家・わりしもよんぐんしゆだいを凌ぐまでになったのは、織田信秀の父である、先代・のぶさだが、もとゆうすうの貿易港であったしまみなと(現在の愛知県津島市)を掌握したことに始まるという。

 

 ばんじやくな経済基盤を手に入れた織田信定は、やがてしよばたじようを津島湊の近くに築城したらしい。この勝幡城より、勝家の主君・信秀は乱世に打って出ることになる。

 西三河での活躍は目覚ましく、勝家も側で腕を鳴らしたものだ。

勝家がすえもりじようしゆかく(本丸)にある広間に向かうと、信秀は口の端を吊り上げた。

  

「勝家、元気そうじゃな?」

 壁に配されたもつこうもんを背に、信秀は脇息に寄りかかっていた。

 このとき織田信秀、三十代後半である。

「殿、那古野城での噂、お耳に届いておりましょうや」

「あの馬鹿息子、また城を抜け出したそうだな?」

 信秀は苦笑したが、笑い事ですめば勝家とてわざわざ信秀に進言したりはしない。

 信秀には勝家が知る範囲で、子が八人いる。

 その一人にして嫡子・信長は、とんでもないうつけであった。

 城を勝手に抜け出すのはもちろんのこと、家臣の忠告は聞かない、異様な成りで城下をろつくなど問題だらけなのだ。

「殿……!」

「アレのことは、政秀に任せている」

 政秀とは信秀が信長の傅役とした男で、名を平手政秀という。

 しかし、世継ぎがうつけでは困るのだ。

 主君が不甲斐ないと、家臣は戦で命は預けられぬ。平時においても、心から支えようという気にはならないだろう。

「ですが……」

「わしにどうせよと?」

 へいげいする信秀に、勝家は視線を逸した。まさかこれ以上は信長が家督を継ぐに相応しくない、とは言えない。

「それは……」

 信秀は勝家を見据えている。

 はたして信秀は、このまま信長に家督を譲るつもりなのだろうか。

 結局信秀の真意を掴めぬままに、勝家は広間を辞した。


「勝家どの」

 帰路につこうとしていた勝家は、その声に振り返った。

「――お方さま」

 そこにいたのは、信秀の正室にして、信長の生母・土田御前である。

 藤色の打ち掛けをくちないろの小袖に羽織り、背の中ほどで括った黒髪をその上に流している。


「浮かない顔ですこと」

「殿に、信長さまのことを進言致しておりました」

「それで殿は?」

「平手どのに任せてあるゆえ、言うことはないと」

「勝家どの、あなたはどう思うのですか?信長がこのまま、当主として相応しいのか」

 土田御前は信長の生母である。彼女を前にして、さすがの勝家もためった。

「それは……」

「次期弾正忠家当主は、あの子ではもうだめです」


 信秀の二男・信行は、温厚で真面目な性格である。

 書ばかり読んでいるような少年だが、人の意見をよく聞く。

 確かに彼なら、当主として申し分ないだろう。

 土田御前にとって信長も腹を痛めて産んだ我が子だがすぐに引き離され、信長は乳母が育てたらしい。対し信行は土田御前自ら育てたという。

 だが母としての思いより、弾正忠家の人間として今後のことが心配らしい。

 

 尾張国内の状況も、いいとはいえない。

 尾張には、守護を補佐すべき守護代が二人いる。

 一つの国に二人の守護代がいるきっかけは、応仁の乱だという。

 尾張の守護大名・斯波氏は足利一門であり、細川氏や畠山氏とともにかんれいに就くことができる「三管領」の家柄で、尾張だけでなく、越前・遠江の守護を兼ねていたらしい。

 越前を本国としていた斯波氏は、尾張に守護代としてのりひろを派遣したという。以来、織田氏は尾張守護代として発展していくことになったようだ。


 応仁の乱で守護の斯波氏は、西軍に属した守護のよしかどと、東軍に属した一族のよしとしに分かれて争うことになったという。結局、斯波義敏の系統が守護をそうしようすることになったらしい。

 ただし本国の越前は朝倉氏に奪われ、遠江も駿河の今川氏に侵略されたため、尾張へと下向したという。


 応仁の乱では、守護代の織田氏も東西に分かれており、斯波義廉を奉じる守護代の織田敏広と、斯波義敏を奉じる織田敏定が争っていたという。

 この対立は乱後も続き、やがて尾張八郡のうち、織田敏広の系統が上四郡を管轄する守護代、織田敏定の系統が下四郡を統括する守護代として君臨するようになったらしい。


 織田弾正忠家は守護代ではない。勢力が大和守家より大きくなっていることは確かだが、いくら下剋上の世とはいえ、信秀も大和守家と事を構えようとは思ってはいないだろう。

 尾張の周りには甲斐の武田や駿河の今川、美濃の斎藤と強国に囲まれ、西三河の松平は今川側であり、そこから今川勢がいつ尾張に侵攻してくるか定かではない。

 

 ただ、この状況下で今川や武田勢を迎え撃つとなると、いささか疑問である。

 しかしこのとき信秀は、美濃とぼくを結ぼうとしていたらしい。


「和睦で、ございますか……」

 美濃の主は伝え聞くところによれば、蝮と言われているという。

 勝家も信秀とともに美濃勢と戦ったことがあるが、天文十三年の稲葉山城下の戦いでは美濃・斎藤軍の反撃を受けて大敗した。

 

 さらに三河の松平広忠が挙兵、尾張下四郡守護代・大和守家当主、織田信友までも攻め寄せたためてきた。

 信秀は北の守りを固めるため、美濃と手を結んだほうが得策と思ったようだ。

 

「最近の殿は体調も優れぬご様子。勝家どの、これからも信行を支えて下さいますね?」

 土田御前の念押しに、勝家は迷うことなく「是」と答えた。

 

                 ◆◆◆


 信長はこの日も馬を飛ばし、のうへいを駆けていた。

「信長さまっ、いったい今日はどちらへ!?」

「堺だ!」

 後ろから追ってくる恒興に、信長はそういった。


 摂津国せっつのくに(現在の大阪府)さかい――、室町時代には足利将軍家や管領・細川氏などが行ったにちみん貿ぼうえきの拠点となり、現在も明やルソンなどの貿易で栄えているらしい。


 応仁・文明の乱以後、それまでのひようみなと(大阪湾北西部、現在の兵庫県神戸市)に代わり、堺は日明貿易の中継地として更なる賑わいを始め、琉球貿易・南蛮貿易の拠点として国内外より多くの商人が集まる難波津や住吉津などと同様、国際貿易都市としての性格を帯びているという。

 当然、南蛮船が幾つも停泊している。


 南蛮人はかるさんと呼ばれる筒の部分に膨らみがあり、裾がキュッとすぼまったズボンなるを穿き、イエズス会(カトリック教・男子修道会)から派遣されたというれんは(キリスト教宣教師)は黒いがいとうを羽織っている。


 那古野城主となった年、信長は南蛮船を見たくて堺まで遠乗りに出かけている。

 見るもの聞くもの初めてのものばかりで、新しもの好きな信長としては好奇心がそそられた。

おかげで那古野城のとある一室は、彼があつめた南蛮の品々で埋め尽くされたが。

 信長が今回、ここにきたのは別の目的がある。

 家臣たちは、また若殿の道楽が始まった――ぐらいにしか思わないだろう。

 もちろん信長は、一部の家臣が信長のことをなんと言っているか知っている。

 確かに自由気ままな信長は、どうしようもない阿呆に見えるだろう。

 信長は決して、父の後を継ぎたくないわけではない。

 父・信秀のようになりたいと憧れているが、信秀は主君たる器がどんなものか、示してはくれなかった。

 ゆえに、己の力で築くしかない。

 信頼できる家臣たちと、尾張を護れる強い力を。


 このもとの遥か海の向こうには、ポルトガルやスペインという国があるという。南蛮人たちはそこからやってきたという。

 彼らの国に比べれば、尾張は小さく映るだろう。

 その尾張では同族が半目しあい、心は一つとは言えない。

 誰が味方で誰が敵か、あるいは誰が利用しやすいか、はらの探り合いなど信長が生まれる前から行われてきたことだ。

 そんな信長に、声をかけてきた伴天連がいる。


「これは、信長どの。久ぶりですね? 元気でしたか?」

 長年この日の本では仏教と神道が流布されているが、彼らが広めようとしている耶蘇教やそきょう(キリスト教)は、耶蘇(イエスをキリスト)を救世主と信じ、天主ゼウス(神)の声を説いて人類の罪を救済するという。


「カルロス、なにか珍しいものは持ってきていないか?」

「私は商人ではございませんが、知人を一人紹介しましょう?」

「できることなら、武器を取り扱う男がいい」

 武器と聞いた、恒興が不安そうな顔を寄越してくる。


「信長さま、武器といいますと……?」

「新しい鉄砲だ。なにせ俺がもっているものは、元々は一巴のものだったやつだ。それに、今後のことを考えると……」

 一巴とは名を橋本一巴といい、信長の鉄砲の師である。

 信長がそう苦笑交じりに言うと、恒興がゴクンっと生唾を飲み込むのがわかった。

 信長が突拍子もないことをやるのは今更だが、信長の真意を理解できる家臣ははたして何人いるだろう。

 

 

「お帰りなさいませ」

 信長と恒興が那古野城の城門を潜ると、一人の僧侶が彼らを出迎えた。

「――来ていたのか。そうおん

 僧の名前はたくげんそうおん――、りんざいしゆうみようしんの僧で、平手政秀が依頼し信長の教育係を務めている。


「はい。末森城に召された帰りにございます」

 末森城と聞いて、信長は誰が宗恩を呼んだのかわかった。

 宗恩を信長の教育係とするには、政秀だけでは進められない。

 政秀の主君は信秀であり、況してや信長の実父である。宗恩の人となりを説明し、その上で信秀の決断が必要になる。


「お前を召すというと……」

「信秀公にございます」

 やはり、宗恩を末森城に呼んだのは信秀であった。

「俺のことか?」

「それもございますが、美濃とのことでせつそうの意見を聞きたいとの仰せ」

 沢彦宗恩は、美濃国・大宝寺の住持(住職)を務めていたという。

 美濃にいた宗恩だからこそ、信秀も話を持ちかけたのだろう。


「あの父上に噛みつく蝮のことだ。この尾張に攻め入ってくるとでも?」

 蝮とは、美濃の国主・斎藤道三のことだ。

「信秀公は、和睦をお考えにございます」

 和睦と聞いて、信長は父・信秀をった。

「蝮の毒に当たったか?」

「信長さま、信秀公は一度の負け戦で戦意を失うお方ではないと思いまする。国を護るためには、昨日の敵も味方にするのも手かと」

「蝮がそう簡単に味方になるとは俺は思えんが」

「いずれ――、この那古野城に末森城から書状が参ることでございましょう」

 宗恩は終始温和な表情を崩すことなく、頭を垂れた。


 ――クソ坊主め。


 何を考えているかわからない相手には、どうしても毒を吐きたくなる若き信長であった。

 

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