第7話 サラリーマン、ケイ
見回すと、どうやらスイーツ食べ放題の店にいるらしい。
広い店内にはずらりと並んだスイーツの数々。楽しそうにおしゃべりする女性たちや若いカップル。生き生きとした風景と、機能より美しさを追求した室内装飾に、まぶしささえ感じる。
私、戻ってきたんだ!
そしてなぜここにいるかが、わかった。エミさん、むこうの世界の食べ物って、無駄が無くて健康に全振りしていたものね。私だって戻ったたらまず美味しいものを食べようって思ってた!
でもマサル皇子のこと、中途半端のまま…
そもそも異世界に呼び出されたことは災難というか、迷惑でしかなかったはずなのに、なんだか、やり残してきたようで割り切れない。空腹に気づいて、とりあえず握ったフォークをそのまま目の前のタルトに突き刺そうとしたとき、隣の席に置かれた私のバッグの中で携帯が鳴った。
「はい」
「エミ様。早速ですが、
応答したとたん、ケイが早口で言い、切れた。
ええっ?なに?ケイがこっちに来たってこと?商談中の
「慧さん…かわいそ」
などと人に同情している場合ではない。私はスイーツを口に押し込みながら携帯を操作し、宙のGPSを検索した。
ケイは「いったん元の世界にお戻りください」と言った。何か考えがあって私を戻したのだ。私はエミが並べたケーキを食べきって、さすが私と好みが同じ!と確認してから、つくばへ向かった。
電車で移動中、携帯にエミからのビデオメッセージを見つけた。
「枝見さん。こんにちは。私、エクスチェンジャーじゃないから、こんなの初めてで…ええっと。離婚手続き進めました。佐倉宙氏は自宅の荷物を業者に取りに行かせるそうです。慰謝料について弁護士にご連絡を。佐倉氏は支払いに同意していますが、金額を決められなくて。それをもって離婚を成立させるそうです」
彼女は恐縮した顔で、しばし沈黙した。
「これを見ているということは、皇子にお相手が見つかったのよね。大変だったでしょう?お疲れさまでした」
彼女がにこりと笑って頭を下げ、ビデオは終わった。向こうに帰ったエミは、ケイから顛末を聞いて、「何のために私、苦労したのっ?」って叫んだかもしれない。せめてケーキ、食べてから交換されていたら良かったのにな。
ビデオの私は、別人のように表情が明るかった。もし宙と結婚していなければ、同じように明るい顔でいられたのだろうか。でも宙に出会わなかった自分なんて想像つかない。高校での片思いから離婚まで、自分を彼に全振りしていた気がする。
川合慧の携帯から『夕食を済ませて駅で待っていてください』とメッセージが届き、次に着信したのは午後7時すぎだった。駅前のコンコースで白い国産車から出て、男がこちらに手を振った。ぴしりとしたスーツ姿に短髪をきれいになでつけ、前髪を少しだけたらした彼は一流商社のサラリーマン然としているが、顔はケイだ。
「また会ったね」
いたずらっぽく言う笑顔で、川合慧のほうだとわかった。
慧は私を助手席に乗せ、整然としたつくば学園都市の道路を走りながら、ここまでの愚痴をこぼした。とつぜんケイがやってきて、商談中に勝手にトイレに行き、私に連絡したらしい。帰りの新幹線で指示が入り、東京に帰る予定が、急遽、大宮からレンタカーでここにくるはめになったそうだ。
「はああ、よく怒らず、お付き合いしていますね」
「まあね。それに貴重な体験じゃないか。異世界に行けるなんて。僕はこの世界ではただのサラリーマンだけど、あっちじゃ、エクスチェンジャーなんて呼ばれている超能力者だよ?」
「そうですけど」
「さ、着いた。浮気ダンナの職場。いったん、交代するからね」
どういう段取りなのか、夫がいるはずの巨大な研究所の前で車を停めた慧は、ふっと目をつむり、そして目を開けた時、ケイがやってきた。
「エミ様。もうひとがんばり、お願いいたします」
私は、つい、はあああっと、溜息をついてしまった。
「あのね、ケイ。私は何がなんだかわからずここにいるわけ。あなたは多元世界を飛び回って仕事しているから場面転換に慣れているかもしれないけど、私は目の前の人間の中身がコロコロ変わるだけで、ついていくのが大変なの!宙の職場に来て何をしようっていうの!?」
声を荒げずにはいられなかった。
「あっ、守衛所が閉まってしまう。とりあえずここでお待ちください」
ケイは車から飛び出していき、守衛に何か話している。しばらくして研究所の中から、帰り支度をした宙が出てきた。
あいかわらずの…いや、いつもよりもっと、よれよれだ。離婚交渉が少しは堪えたのか。それとも離婚が決まって清々し、研究に熱中しているのだろうか。
ケイが、何かを言いながら愛想よく近づき、宙と握手した時、宙の体が、びくり!と波打つように揺れた。
ケイが宙の背を押すように車に帰ってきて、宙を後部座席に導いた。
「これが多元世界のビークル…」
うしろから宙のつぶやく声が聞こえる。ケイは運転席に戻ってドアを開けた。
「エミ様。皇子の魂を呼び出しました。佐倉宙氏ではありませんのでご安心を。ぜひ、このお方とお話ししていただきたい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます