第13話 母親から(その2)
次の水曜日、いつも通り樹里と倉庫で過ごす約束の日だ。
待たせちゃ悪いと思って俺は早めに学校を出たつもりだったが、この日は樹里の方が先に倉庫の前にいた。
倉庫の鍵を開けると俺は「ちょっとコンビニに行って何か買って来る」と言ったが、樹里がそれを引き留めた。
「今日は私がクッキーを焼いて来たから、それを一緒に食べようよ」
そこで俺たちは近くの自販機で飲み物だけ買い、倉庫に戻って樹里が持って来てくれたクッキーを口にする。
クッキーはかなり美味しかった。
「このクッキー、美味しいな。樹里が作ったのか?」
驚いた俺がそう言うと、樹里は少し嬉しそうだった。
「うん、もっとも何回か失敗もしてるんだけどね。でも小学校くらいの時から時々作ってはいたから」
「どうして今日はわざわざ自作のクッキーなんて持って来たんだ?」
その点がちょっと疑問だった。
別にお菓子くらい、その辺のコンビニで買えばいいと思ったからだ。
すると樹里は伏し目がちになって答えた。
「これは私に居場所を作ってくれた音也へのお礼と……お詫びかな」
「お詫び?」
意味が分からず再び問い返す俺に、樹里はさらに俯いた。
「ウチのママがさ、同じママ友グループの人に、私と音也が一緒に居る所を見たって聞いたらしいの。それでママったら『音也が私にちょっかい出して来てる』みたいに思っていて……本当は私がお願いして音也に一緒に居てもらっているのに」
「そんなの気にしていたのか。別に樹里が悪く思う必要はないよ。俺も好きでこうしているんだからさ」
「それだけじゃないの。ママったら音也の家の事、凄く悪く言っていて……『実家が医者な事を鼻にかけている。実際は大した事ないのに』とか言っちゃって……この前は音也の事も『気取っているけど冴えない男。あんな子と付き合っちゃダメ』とか言ったから、私もついカッとなって『別に付き合ってなんかない! でもママにそんな事を言う権利はない』って言い返したんだ。でも私のせいで音也までそんな風に言われるなんて音也に悪いと思ったから……」
彼女は身体全体を小さくするように肩を竦めた。
「ごめんね、音也」
滅多に謝る事なんてない樹里が(少なくとも俺は見た事がない)、そんな風に謝罪を口にするなんて。
俺は逆に彼女が可哀そうになるのと同時に、同じく申し訳ない気持ちが込み上げて来た。
「そんな風に言うなよ。だってそれは樹里の意志じゃないだろ。それを言うなら俺だって樹里に謝らないとならない」
「私に? どうして?」
「俺の母親も同じだったからさ。樹里の母親と樹里の事を下品だから付き合うなって。だから俺も言ってやったんだ。『他人を下品だって言う母さんの方が下品だ』ってな」
それを聞いた樹里はなぜか安心したような顔をした。
俺は改めて樹里に向き直った。
「すまない、樹里。俺も謝る」
樹里はしばらく俺をじっと見つめていたが、やがて「ぷっ」と小さく吹き出した。
「私たち、こんな所まで一緒なんだね」
「そうだな」俺も苦笑いで返す。
「私たちの親は昔から仲が悪かったもんね。二人とも違うママ友グループに所属していてさ」
「小さかった俺たちは、それで自然に相手を敵視するようになったのかもな。小さい頃なんて母親の言う事が全てだもんな」
「でも親同士がいがみ合っているからって、私たちまでケンカする理由なんてどこにも無いんだよね。私たちが何かをした訳じゃないんだから」
「本当にその通りだ。俺も『なんで樹里といがみ合っていたんだろう』って疑問に思っていたんだ」
「それで私も最近思っていたんだ。私たち……」
「しっ」
俺は指に手を当てて、樹里の言葉を途中で遮った。
誰かがこの倉庫に近づいて来る足音が聞こえたのだ。
ドンッとドアに何かがぶつかる音がして、外から「けっこう重いな、コレ」と言う声が聞こえて来た。
俺と樹里は思わず顔を見合わせる。
「音也、誰かが入って来ようとしている」
樹里の言う通りだ。
誰だか知らないがこの倉庫に入って来ようとしている。
俺はとっさに隠れる場所を探した。
こんな所に二人で居るところを見られたら、どんな噂を流されるか分からない。
それが母親の耳に入ったら……。
(どこに隠れる? 扉の影とか? いや、あそこじゃ入って来た人が倉庫から出る時に見つかってしまう。 じゃあ積んであるダンボールの後ろは? ダメだ、あそこに二人は隠れられない。 どこに)
ガチャ、と鍵が鍵穴に差し込まれる音がした。
もう時間がない。
とっさに目に着いたのは……いま座っているマットの後ろだ。
「樹里、こっちに」
俺はとっさに左手で樹里を抱きかかえ、そのままマットの後ろに転がるようにして滑り込む。
俺と樹里は向かい合った姿勢で、マットの後ろの隙間にスッポリと収まる。
俺は右手でマットの端をずらし、二人の姿を覆い隠した。
直後に、ドアが開く音がした。
誰かが入って来る気配がある。
「え~と、非常用の食糧の置き場所は……」
初老くらいの男性の声だ。おそらく管理組合の誰かだろう。
「あ~、コッチだったか」
そうブツブツ言いながら、何かを運び込んでいる物音がする。
(どうか見つからないように)
俺は両腕に樹里を抱いた形のまま、そう念じていた。
パッと見ただけでは分からないだろうが、じっくり見ればマットが一枚だけ不自然にズレている事は分かるだろう。
もしそれを直そうとしたら、その下に隠れている俺たちは丸見えだ。
その時、俺は口元にかかる柔らかい吐息を感じた。
見ると十センチと離れていない所に、樹里の顔があった。
そもそもマットの置かれた隙間は50センチほどしかない。
二人が並んでそこに身を隠せば、当然そのくらい密着した状態になる。
身体の方もピッタリと密着している。
俺が樹里を抱きしめているような形だ。
そして……俺の胸に樹里の二つの胸の弾力が感じられた。
(よ、よく考えたら、コレってすごくマズイ体勢なんじゃ……)
樹里の身体の温かさと柔らかさを意識した時……
俺は心臓の鼓動が急に高鳴るのを感じた。
樹里にその心臓音が聞こえるんじゃないかと、さらに俺は焦った。
樹里に対して興奮してるなんて知られたら、死ぬほど屈辱的だ。
樹里は外の様子を伺うかのように、被せたマットの上の方に目線を向けている。
そこには隙間があって天井の一部が見えていた。
外ではガタガタと音を立てながら、ダンボールの位置を動かしたり、新しいダンボールを置いているみたいだ。
(早く、早く行ってくれ)
俺もマットの隙間に目をやりながら、そう祈る。
だってこの体勢、やっぱり意識しない訳にはいかない。
さっきから俺の心臓は高鳴りっぱなしだ。
やがて外から「これで全部か」と言う声が聞こえ、ドアを閉めて外から鍵を掛ける音がした。
「「ふ~」」
思わず二人が同時に深い息を吐いた。
それで樹里もお互いの顔の近さに気が付いたようだ。
俺は樹里を見つめ、樹里も俺を見つめ返す。
樹里のパッチリとした二重の大きな目が俺をじっと見ている。
その視線にも俺はドキッとしてしまった。
顔が熱くなるのを感じる。
目線を逸らせた俺は、誤魔化すように言った。
「あ、危なかったな。もう少しで入って来た人に見つかる所だった」
「音也が咄嗟にここを見つけてくれたお陰で、何とかやり過ごせたね」
「そうだな。ここに気づいて良かった。あ、もう出ても大丈夫だぞ」
「……音也が私の身体を抱きしめているから、起きられないんだけど?」
「あ、そうか。ゴメン」
俺は慌てて両手を開き、樹里が起き上がるのを待った。
樹里は身体を捻るようにして上半身を起こすと、俺の上に四つん這いになるような形でいったん止まる。
上から樹里が俺を見降ろすような体勢だ。
「どうした、樹里?」
俺が尋ねると、樹里の猫のような目が笑っていた。
「なんか……イケナイ事、してるみたいだね……」
「は、はぁっ?」
思わず間抜けな声を出してしまった。
俺と樹里が、そんな、イケナイ事って……
「ふふ、ウソウソ、冗談だよ」
樹里はそう言ってスルリと上体を起こすと、そのままマットの上に移動した。
俺も上半身を起こし、スキマから抜け出すとマットの上に腰を下ろした。
樹里はダンボールが積んである場所を指さした。
「あそこに隠れていたら、すぐに見つかっていたね」
そこには新しいダンボールが詰まれている。
箱には黒マジックで『災害用食料』と書かれていた。
「そうだな。でもいきなり人が入って来るなんて……ホント、焦ったよ」
樹里が俺の方を振り返る。
「でも隠れんぼみたいで、ちょっと楽しかったよ」
樹里の目がイタズラっぽく笑っている。
俺の方は……実はまださっきのドキドキが収まっていなかったんだ。
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この続きは、明日正午過ぎに公開します。
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