第12話 母親から(その1)

化学の問題を一通り解き終わった時だ。


「ご飯出来たわよ」


午後八時。居間の方から母親が呼ぶ声が聞こえた。

俺は自室を出てダイニング兼リビングに向かう。

俺の家は4LDK+ウォークイン・クロゼット+納戸というタイプで、床面積も100平方メートルとまあまあ広い。


食卓には既にロールキャベツとポテトサラダ、魚のカルパッチョなどの料理が並べられている。

俺がダイニング・テーブルに着くと母親はご飯を盛った茶碗を前に置いた。

ちなみに父親はこの時間はまだ仕事中だ。


母親もテーブルに着くのを待って、俺は「いただきます」と言うと早速今日の夕食にかぶりついた。

俺の母親は料理が上手い。

このロールキャベツも中に肉がたっぷり入っているのに、周りを包んだキャベツにスープがよく染み込んでいて絶妙だ。


満足しながら何口目かのロールキャベツを口に運ぼうとした時……

母親が何か言いたそうに俺を見ている事に気が付いた。


(なんだろう?)


そう思って俺が見返した時、母親は微妙に眉を寄せて口を開いた。


「音也、アンタ、誰かと付き合っていたりする?」


「俺が? 別に付き合ってる相手なんていないけど?」


どうしてそんな事を聞いて来たんだろ。

俺の部屋を掃除して、以前に女子から貰った手紙でも出て来たんだろうか?


「そう、それならいいけど」


母親は少し安心したようにも、それでいてどこか釈然としないようにも見えた。


「どうしてそんな事を聞くんだ?」


俺は疑問を口にすると、母親が探るような感じで俺を見た。


「十二階の山田さんに聞いたのよ。最近、音也と上の娘が一緒に居る所を何度か見たって」


俺の心臓がドキンと高鳴った。

『上の娘』とは、俺の家のすぐ真上に住んでいる樹里の事だ。


「なにかの見間違いだよ。樹里は同じ学校でクラスも同じなんだから、帰りの電車が一緒になる事もあるだろ。それで駅を出るのが近い時があったんじゃないか? それを見た山田さんが勘違いしたんじゃないの?」


とりあえず俺はそう誤魔化した。

別に隠す必要もないと思ったんだが、俺の母親は樹里の家をすごく嫌っている。

『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』の例え通り、樹里の事も毛嫌いしている。

それに樹里はバイオリン教室をサボっているからな。それも言いにくい理由の一つだ。


「それならいいけど……」


母親はそこで言葉を区切ったが、直後に堰を切ったように話し始めた。


「上の家の娘だけは止めておきなさいよ。あの家は本当に品が無いんだから。この前もたかがマンションの集まり程度に、派手な洋服を着てド派手なメイクで現れて。バッグもアクセサリーもブランド物をこれ見よがしに持って来てたのよ。他の人もみんな驚いていたわ。成金趣味丸出しって感じ。それなのにあの人、すぐに他人を見下すような事を言うのよ。なんでも『ロビーの掃除は低層階の人が多くお金を出すべきだ。低層階の人がロビーを汚している』って言って回っているそうなの。それでいてジムなんかの共用スペースは購入価格に合わせて利用権を設定すべきだとか主張しているそうだし。江戸川さん家なんて中層階とは言っても、低層階と一階しか違わないのに……。なんであんなに偉そうに出来るのかしら。あの人なんて普通のサラリーマン家庭の出身じゃない。別に昔からのお金持ちでもなかったクセに。人間、急に持ちなれないお金を持つと、ああいう風に下品でやたらと他人にマウントを取りたがるようになるのね。本当に下品を絵に描いたような人だわ。母さんの実家は代々医者だし、露見の家なんて江戸時代から続く医者の家系だけど、あんな風に品の無い行動は絶対に取らなかった」


俺はイライラしながらも黙って母親の言う事を聞いていた。

さっきまで美味しかったロールキャベツが急に不味く感じる。


「あの家は昔っからそう。何かとウチに張り合ってくるのよね。ウチは伝統的に柔道をやっているじゃない。それで音也にも柔道を通わせたら『家の都合で子供に習い事を押し付けるなんて可哀そう。ウチは樹里がやりたいって言うからバイオリンとバレエを習わせている。子供が自主的に選んだ物じゃなきゃ長続きしないし、本人のためにもならない』とか言って。音也が中学受験を始めたら、あの家も中学受験を始めるし。それでいて他人の家の子にケチを付けて来るって、何様のつもりなんだろうって思うわ」


別に樹里が中学受験を始めたのは、俺に対抗してではないと思う。

俺の通っていた小学校では、女子は半分以上が中学受験をするためだ。


俺の住む地区はかっては下町と呼ばれていたエリアで、公立中学の柄が悪いという噂が立っていた。

実際に昭和の時代はかなり柄が悪かったそうだが、現在はそんな事はない。

しかし噂を真に受ける親も多いのか、女子は大半が私立の中高一貫校を受験するのだ。


「樹里ちゃんも昔から品が無かったわよね。公園で遊んでいる時でも、すぐに他人の物を欲しがって。自分の思い通りにならないと癇癪を起こす子だったし。ちょっと目を話すと音也のオモチャなんかも、樹里ちゃんが勝手に使っていたわね。音也に砂をぶつけて取り上げた事もあったわ。母親ソックリで他人の物を欲しがる上、手に入れるまで諦めない。母親も『使ってないならちょっと貸してね』とか言って勝手に樹里ちゃんにオモチャを渡してたわ。音也が大人しくて何も言わないのをいい事にして、あの親にしてあの娘ありね。ああいう下品な強欲さって遺伝するんでしょうね」


俺の我慢も限界に達していた。

これ以上、自分の母親が他人の悪口を言う所なんて聞いていられない。

それに樹里に関しては誤解の部分もある。


「他人の事を下品下品って言う、母さんの方がよっぽど下品だ。それに父さんや母さんの家は代々医者なのかもしれないけど、俺はそれが理由で医者を目指している訳じゃない。母さんの言う血筋を誇る気なんてない。それから噂話だけで他人を評価するのは止めなよ」


俺は立ち上がった。


「ごちそうさま。夕飯、残して悪いけど、もういらない」


そのまま母親に背を向けて食卓を離れた。

自室に戻ってベッドの上に腰を下ろす。

まだ気持ちが落ち着かない。イライラする。


(母さんが樹里の母親と仲が悪いのは知っているけど、樹里の事まであんな風に言う事はないじゃないか)


なんだか樹里に申し訳ないような気がした。



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この続きは、明日正午過ぎに公開予定です。

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