第13章 あたしのれん分けは想定外ですけど

01.神を自称する者が


 ぼんやりとした意識が覚醒していくと、ノエルは自身が椅子に座っていることに気が付いた。


 普段使っているような椅子では無く、病院の診察室にあるような丸椅子だ。


 反射的に、自分が病院は好きでは無いことを思い出す。


「妻子を流行り病で失ったからやな。病院が嫌やいうのはワイの配慮が足らんかった」


 自身の視界の外から声がするので、ノエルはそちらに視線を向けようとする。


 だが、首から下が全く動かないことに気づくと困惑が深まる。


「わたしは今、どういう状況なんですか? あなたに誘拐されてしまったのでしょうか?」


「何やワレ、誘拐とか思いつく割には落ち着いとるんやな」


「……そうですね。自分でも不思議ですが、あなたからは害意を感じないのです。どうやっているのか思考も読まれているようですし、ふと人間では無いのかなと」


 思わず口に出してしまったが、同時にノエルは自分が馬鹿なことを口にしているとも思う。


「いや、卑下するもんでもないで。いま準備が終わるからもうちょい待ってんか?」


「はあ……」


 準備と言われても、そもそもここがどこなのかもノエルには分からなかった。


「おーし、出来たで。さて、改めて自己紹介や」


 そう言いながら一人の男性がノエルの視界に現れ、目の前に置かれている椅子に座る。


 そして彼は手にしていた金属製の医療用バットを傍らにある机上にそっと置いた。


 見た目は白衣を着た成人男性に見えるが、ノエルは彼に只者では無い気配を感じた。


「ワイは秘されたる神、秘神や。名前はマスモントや。あんじょうよろしゅう」


「秘神……。神様、ですか?」


 秘神マスモントの自己紹介を聞いてから、ノエルは様々な思いが湧き上がる。


 彼自身は家族を失ってから神を信じていなかった。


 妻子が病に倒れたとき、病院で治療してもらいながら神々に祈ったが全ては無駄だった。


「ま、ワレがワイらを恨むのはかまへんで。そんくらいは受け止めたる。せやけど一つ言えば、ワレの嫁さんらが亡くなったんは、そういう天命だったからや。ワレがそれに何も出来へんかったんも、生まれる前にワレがそういうことを受け止めると決めたからや」


 ノエルは秘神マスモントが告げた言葉が、反射的に真実だと感じられた。


 だがそれ故に、彼はそれを受け入れるのが怖かった。


「わたしは……! わたしは、そんなことを望んだりはしませんでした」


「ま、今そのことを問答するつもりは無いんやわ。迂闊なことを告げて、そのことでワレの魂のありようを変えたくないんや。そんでな、今日呼んだんは別件や」


 神を自称する者が自分に用があって呼びつけたと言うが、ノエルには心当たりは無かった。


「心当たりが無いことも無いやろ。ワレは今、ディンラント王国で管理通貨制度を導入させようとしとる」


「……そちらの件でしたか」


「そうや。そもそもはワイらの事情でな、ワレには成功して欲しいんやわ」


「理由を伺っても?」


「ええで――」


 秘神マスモントの説明によれば、彼らは神々でも非主流派であるという。




 彼らはその立場から、“畏れ”の感情をより多くの人々に抱かせたいのだそうだ。


 そのためにマネーというものがより力を増し、社会の中でも影響力を強めることを望むのだとのことだった。


「……通貨への“畏れ”は、神々とは繋がらないのでは?」


「それを繋げてまうのが、人間の柔軟さとか知恵の部分やな。ワイらの目的ではそれで充分なんや」


「そうですか……。それで、わたしは何をすれば良いのでしょうか」


「これを接種させてもらう。ある種の毒であり、薬でもあるんや」


 そう告げて秘神マスモントは医療用バットから注射器を取り出した。


 すでに針が装着され、シリンジ内部には液体が見える。


「毒、ですか?」


「そうや。異世界では“じん”と呼ばれとる、“嫌悪”の感情や。大元は自分の嫌いなもんを憎む働きやけど、ワイの権能で性質を少し変えてある。これを接種されたもんは、カリスマを得るようになっとる。ま、他にも伸びる能力はあるがオマケやな」


 一応ノエルにも秘神マスモントがしようとしていることは分かった。


 それが本当に起こるのかは理解できなかったが。


「突然で済まんが、ワレが拒否しても今回これを接種させてもらう。そんでもワレがいまワイと話した内容を忘れたいんやったら、記憶は消すことはできる。――どうする?」


 秘神マスモントは気さくに話しているが、ノエルには本能的な部分で彼が神であることが理解できていた。


 その神が問答無用では無く選択権を与えてきたから、ノエルはそれを選ぶことにした。


「折角なので、今回呼ばれたことは覚えていたいと思います」


「そうか。分かったで」


 秘神マスモントはそう応えるとノエルの右手を取り、手の甲に注射をした。


 ノエルの感覚では一瞬チクっとした痛みがあった気がしたが、何の変化も感じられなかった。


「これで仕舞いや。ほな送り返すで。きばりや」


「はあ……」


 そこまで会話をすると、ノエルは一瞬めまいがした気がして目を閉じる。


 そして目を開けると、自身がいつもの執務室で書類を前にして机に向かっていることを思いだした。


 同時に先ほどまでの記憶もあり、思わず右手の甲を確認するが異常は無い。


「…………何だったんですかね」


 ふと頬を撫でる風を感じて席を立ち開いた窓を閉じるが、まだ外は真っ昼間であることに気付く。


「幻覚の類いにしては、細部が出来すぎていますね」


 ノエルは苦笑して席に戻り、書類仕事を進めることにした。




 体育祭も四日目の試合がすべて終わり、ゴールボールの試合は男子も女子も我が校の代表が勝利した。


 現在はすでに試合会場を離れた。


 みんなと歩いて寮に戻る途中だ。


 課題の作文も終わっているし、『学院裏闘技場』も終わった。


 あたしとしてはのんびりと(昼寝の合間に)観戦して応援が出来ていた。


 そう言えば今日の応援でもキャリルは選手の動きに集中していた気がする。


 プレートボールやカヌーの試合では、長いものを振り回す動きを武術的な側面から観察するとか言っていたはずだ。


 でもゴールボールの試合では手に何か持って試合をした訳では無かった。


 それでもキャリルは何かを観察していたのだろうか。


「そう言えばキャリルは、今日も熱心に観察していたみたいだけど、何を熱心に見てたの?」


「それはやはり脚の動きですわね。特にエルヴィス先輩の動きは体重移動も含めて参考になりました」


「参考にって、やっぱり武術的側面でってこと?」


「もちろんですわ。武術研の試合などでは、全力で長い距離を移動しながらワザを振るうようなことはありませんし」


「……戦場にでも行くことが無い限り、そういう戦闘は無いんじゃないかな」


 あたしの場合、実家で父さんの狩人の仕事を手伝った時でさえ、長距離移動しながら戦い続けるという局面は無かった。


「そうですわね。それを考えるきっかけになったというか、そのような事を考えながら観戦しておりましたの」


「そうなんだ……」


 やっぱりキャリルはバトル脳だったようだ。


 ここまでくるとある意味清々しいかも知れない。


「キャリルちゃんそんなん考えとったんや。普通に点を取ったとか、パスが通ったとか、そんなん楽しんどったらええと思うんやけど」


「もちろんそれも楽しませて頂きましたわ。ところでサラ、共和国ではゴールボールの基本戦術は堅守速攻ですのよね? 我が校の、所々でパスを繋いだりサイドから中央にボールを集めるスタイルは、どうご覧になっていたんですの?」


「キャリルちゃん、それもうずい分前に流行った戦術だった筈やで。まあ、堅守速攻は伝統だったはずやけど、パス回しもけっこう重視されるようになってたんとちゃうかったかな――」


 なにやら寮までの帰り道に、キャリルとサラはゴールボールの戦術談義をしていた。


「ジューンもやっぱり魔道鎧に活かすための視点で観戦してたの?」


「そうですよ? 魔道鎧でゴールボールをする状況は想像できないですけど、動きのバリエーションを考えておくのは面白いんですよ」


「なるほどねー……」


 やっぱりみんなは競技が変わっても、それぞれ観戦のスタイルは変わっていないようだった。


 あたしものんびりと(日向ぼっこや昼寝をしつつ)応援しているから、ヒトのことは言えないんだけどさ。


 寮に帰って姉さん達と夕食を取り、自室に戻って日課のトレーニングを行ってからその日は寝た。




 翌日、朝のホームルームで昨日の分の作文を提出し、あたしたちはゴールボールの試合会場に移動した。


 最終日ともなれば、あたしも含めてみんな応援は慣れたものだ。


 特に今年の我が校はゴールボールの代表が男女とも強いようで、学院の生徒たちの応援も盛り上がっている。


 そんな中でもあたしは冷静にお昼を確保すべく席を立つ。


 ふと観客席に視線を走らせると、ディナ先生の隣の席に学院の制服を着ていない女の子が座っているのに気づく。


 第一印象は気配の薄さで、まるでゴッドフリーお爺ちゃんのようにその場に融け込んでいる。


 外見的な特徴としては、とにかく色素が薄い感じがする肌の白さが目につく。


 髪はストロベリーブロンドというのか、淡いピンク色の入った光沢ある色をしている。


 瞳は印象的な赤い目をしているな。


 服装については日本の記憶でいう所の黒のゴシックロリータで、ブーツを履いているけど見事に似合っている。


 秋晴れの日差しの中、まるで夜を纏って過ごしているかのようだ。


「ディナ先生の知り合いかしら」


「どうしたんですの?」


「ううん……、何でもない。」


 キャリルに問われるが、ただ見とれたと説明するのもどうかと思ったのでそう応えた。


 もう一度あたしが女の子に視線を向けると、向こうもこちらを認識したのか目が合った。


 そして何やらあたしを観察していたが、その子は妖しく笑って目礼した。


 あたしも目礼を返してから、こんどこそお昼を買いに観客席を離れた。

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