第7章 あたし花街は苦手なんですけど

01.ひと口で示せる奇跡


 朝方、ずい分早い時間に寮の自室のドアがノックされた。


 何やらサラの声が聞こえる気がする。


 ベッドから身体を起こして時計の魔道具を見るが、いつも学校に行く日よりも早い時間に起こされてしまった。


 何かトラブルだろうかと思ってあたしは頑張ってベッドから出て、部屋着のまま自室の扉を開けた。


「ウィンちゃんおはよう。こんな時間にゴメンな。突然やけどウチらを助けて欲しいんやわ」


「…………おはよう…………どうしたの? …………なにかとらぶるでも……おきたの?」


 ダメだ、まだ身体がベッドに戻りたがっている。


 というか、意識がこのまま立ったまま寝入らせようとする。


「無茶言うとるんは分かっとるけど、お願いや。『伝説のシナモン』が手に入るかも知れへんのや!」


「…………でんせつの…………しなもん? (スピー)」


「あああ、アカンわ。このままやと寝入ってまう。んー……ウィンちゃん、甘いもの好きやんな?」


「……あまいもの? …………あまいもの (スピー)」


「エリー先輩から仕入れた話なんや。ウチの故郷のさらに南、共和国の南部で作られるスパイスで『伝説のシナモン』いうもんが収穫祭に二年ぶりに入荷するみたいなんや」


 甘いものと聞いて、あたしは立ったまま半分夢の中に片足を突っ込み、ホールケーキを前にして座る妄想に浸る。


「…………けーきたべたい」


「そうや! ウィンちゃん、『伝説のシナモン』が手に入ったら、料理研究会と食品研究会が共同でシナモンアップルケーキ作るって話が出とるんやわ!」


「…………くわしく……はなしを……聞かせてもらいましょうか」


 我ながら食い意地が張っていると思うが、シナモンアップルケーキという単語をあたしの脳が認識すると、途端に意識が現実に戻ってきた。


「さっきも言うたけど、共和国の行商人が二年ぶりに『伝説のシナモン』いう高品質なスパイスを王都に持ち込んだんや」


「うん」


「そんでな。それでシナモンアップルケーキを作る計画が動いとるんやけど、スパイスの入荷量が限られとるそうなんやて」


「奪い合いになるってこと?」


「昔は激しい争奪戦になったらしいんやけど、行商人が転売目的で買うアホにブチ切れてな。整理券を配って商業ギルドで買うスタイルに落ち着いたんやて」


 ああ、転売屋は確かに嫌われるよな、と思う。


「それなら整理券を取りに行けばいいじゃない」


「そうなんやけど、その整理券を配る人らがウサギ獣人族の人らでな、王都内を逃げ回りながら配っとるらしいんやわ」


「……なんでそんなことになったの?」


「その人らは時間になると【収納ストレージ】の魔法からシナモンの匂いを染み込ませた布を出して、それを目印に探させることにしたんやって。本当に欲しい人らはそれでも見つけるやろって理屈らしいんやわ」


 転売屋対策にそこまでやるのか。


 そこまで来ると売り手の執念を感じる。


「めんどくさそう……」


「頼むわ! ウチも地元でちっさい時に食べたことがあるんやけど、あれはみんなに食べさせたいんやわ」


 そう言うサラの眼には熱が籠っていた。


「みんなに?」


「そうや! 食べ物は文化や! 食べ物は歴史や! それを言葉やのうてひと口で示せる奇跡や! ウチはウィンちゃんやジューンちゃんやキャリルちゃんに食べさせたいんやわ」


 そこまで言われては友達としては熱意に応えるべきだろう。


「そう言うことなら分かったわ。……でもあたし、匂いはさすがに追えないわよ?」


「うん、そうやな。そやけどそこはウチが担当するから、ウィンちゃんは身軽な格好で来てくれへん? 食堂でみんな待機しとるんやわ」


「分かったわ」


 サラはすぐに寮の食堂に向かった。


 とりあえずあたしは黒じゃ無い方の戦闘服に着替えることにした。


 着替えながら、そういえば移動に関しては獣人とはいえサラは大丈夫なんだろうかと考えていた。


 ふだん話している限りでは、サラは武術を修めているわけではなさそうだからだ。


「まずは寮の食堂に向かうか」


 そう呟いてあたしは部屋を出た。




 寮の食堂に向かうと、十名ほどの女子生徒が身軽な服装で集まっていた。


 その中にはサラとエリーもいる。


 エリーは料理研究会所属だからだと思う。


 サラはパンツルックで、エリーは武術の稽古着みたいなものを着ているな。


「ウィンちゃんありがとう」


「気にしないでサラ。シナモンアップルケーキが楽しみになったのよ」


「それは期待していいにゃー。おはようウィンちゃん」


「おはようございますエリー先輩。できれば前もって知りたかったですよ」


「ゴメンにゃ。今年の収穫祭での入荷が確定したのが昨日の夕方にゃ。それでみんな慌てて準備したにゃ」


 エリーの言葉に周囲を見渡すが、半分ほどは獣人の生徒であるようだ。


「ウチもこれを準備したんや。ウィンちゃん重ね重ね済まんのやけど、背中におんぶしてもろてもええかな?」


 そう言ってサラは収納の魔法から、革製のカバンのような妙なものを取り出した。


「おんぶ? ……は身体強化すれば行けるけど、何よそれ?」


「ふっふっふー。これはな、部活棟を駆けずり回って武術研究会から借りることができた“救助用おんぶ紐”なんや!」


「そんなのがあるのね」


「ちなみに他の子は回復魔法研究会から借りた子が多いにゃ。元々学院ではケガ人を背負って運んだりするのに使うにゃ」


 なるほど、担架などよりも場合によっては素早くケガ人などを運べるかもしれない。


 ただ、担架に寝かせてしまった方が頭部などを揺らす心配は少ないだろうけれど。


「あと準備といえばそろそろジューンちゃんが来てもええと思うんやけど、時間が掛かっとるな」


「おはようございます」


「お、噂をすればや」


「おはようジューン…?!」


 ジューンの気配で振り返ると、思わずあたしはビクッとした。


 そこには漆黒のプレートアーマーが立っていた。




 よく見ると部分部分にピンク色の塗装が施され、厳めしさの中にも女性向けのデザインであることが伺える。


「ウィンも来てくれたんですね」


 そう言いながらジューンは手を動かさずにヘルメット部分を開き、顔を出してみせた。


「ジューン、そんなの重くないの?」


「ふふふ、そう思いますよね? これは魔道具研究会から借りてきた魔道鎧です。頼み込んで一機だけ借りることができました」


「え、ってことはこれで魔道具なの? 稼働時間とか安全性とか大丈夫?」


「魔道具ですから絶対はありませんが、安全性に関しては顧問の先生と先輩たちの試験で合格が出ている機体です。落下や潜水も顧問の先生が乗って試したから大丈夫らしいですよ」


「そうなんだ?! 落下や潜水って……」


 その話を聞いてあたしは、魔道具研の顧問の先生が何となくマッドエンジニアの臭いがする気がした。


「ええ。稼働時間に関しても、魔石と使用者の魔力と環境魔力を使う最新式のハイブリッド機構ですから、私の魔力量なら二日間の連続使用も問題無いって先輩は言ってました」


「そっか……。着脱は一人でできるの?」


「できますよ」


 直後にガチャンという金属音と共に魔道鎧の背部が開き、ジューンが出てきた。


 今日はパンツルックのようだ。


「この通り、急にお花を摘みに行きたくなっても心配なしです!」


 うん、トイレ問題は切実だよね。


「そうなのね。……それでわざわざ借りてきたってことは、移動の補助で使えるってことなの?」


「そうなんです! 私みたいな運動が得意じゃない人間でも、熟練兵並みの運動能力で活動できるんです!」


 それは凄い技術だろう。


 もちろん武術的な鍛錬が無ければ実戦での使用には難しいと思うけど、その辺は用途や運用で戦闘以外の利用法も見つかりそうだ。


「ちなみに、この子の名前は『アルプトラオムローザ』です」


「へえ。カチッとした印象の名前ね」


「そうですかね。意味は『ピンク色の悪夢』らしいですけど」


 そこまで聞いてあたしは急に不安になった。


 というか、その情報がいちばんあたしの不安感を煽る情報だった。


「うーん……。ところで、キャリルには声を掛けたの?」


 あたしはサラとジューンの顔を交互に見る。


「どうしよう思っとったんや。キャリルちゃんは武術の心得はあるけど、高速移動とか大丈夫やろかって思ったんやけど」


「ああ、そういうことなら大丈夫だから、あたし呼んでくるわ。ここで事前説明とか打合せが始まったら聞いておいてくれる?」


「分かったで」


「分かりました」


「行ってらっしゃいにゃー」


 そしてあたしはキャリルの部屋に向かった。


 ドアをノックしてあたしがキャリルを呼ぶと、彼女はすぐに起きてきた。


「おはようございますウィン。何かありまして?」


「こんなに早い時間からごめんね。実はあたしもサラに起こされたんだけどさ――」


 あたしが一通り『伝説のシナモン』の話をすると、キャリルは興味を持った。


「分かりましたわ。わたくしも参加します。直ぐに着替えて向かいますが、寮の食堂に集合でよろしいのですわね?」


「そうよ。パンツルックみたいな動きやすい服装でいいと思うわ。場合によっては屋根の上を移動するかも知れないし」


「分かりましたわ」


 キャリルはそう応えて部屋の中に戻って行った。

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