第2章 あたし斥候じゃないですけど

01.カチ込んで伝説を


 ミスティモントに建設されたティルグレース伯爵邸は領都リフブルームの城に比べたらもちろん手狭ではあった。


 それでも館の住人であるウォーレンとその妻子には評判が良かった。


 戦時の司令部となることは想定された設計だったが、要塞と呼ぶほどの規模でもなく、邸内の移動が楽になったためだ。


「城にあった本を全部持ってくるわけにはいかなかったのは残念だったわよね」


「どうされたのですか、ロレッタ様?」


「引越しで置いてきた本があってふと残念に思ったの。それよりもアルラ、私たちだけのときは様は付けないで欲しいわ」


「承知しましたロレッタ」


 中庭にあるガゼボ――要するに西洋あずまやの一つで、ベンチに座ってロレッタとアルラはそれぞれ別の本を読んでいた。


 二人の周囲は穏やかな時間が流れていたのだが、ときおり風に乗って激しい打撃音と「とうっ!」とか「えいっ!!」という子供の叫び声が聞こえてきていた。


 やがてそちらの方から「往生あそばせ!!」という気合の乗った声が聞こえてから破砕音が響き、中庭は静かになった。


「あの子たち、というかキャリルは何をあんなに叫んでるの……」


「元気ですねキャリル様……キャリルは」


 眉をひそめてじっとりした視線を中庭に向けてロレッタは呻いた。


 自分たちが中庭に出てきたところでそれぞれの妹たちは別行動を始めたのだ。


 たしかキャリルがウィンを引きずって警備兵の詰め所に向かったところまでは把握している。


「うちは父上も母上も妹も戦闘マニアなのよね。自覚があるのか無いのか……お爺様に触発されているのは分かるのだけど、偏りすぎよ」


「ティルグレース伯爵様ですね。王国の筆頭戦力に連なる方で、竜殺しで名を馳せておられますね」


「細剣と魔法を使って一人で成竜を倒してまわるとか、かなりおかしいわよ」


「王家は竜と縁が深いですしね」


「やっぱりおかしいわよ」


 そう告げて溜息をつくロレッタを、アルラは苦笑して眺めていた。




 あたしの近くの足元にはクレーターが出来ていた。


 ついさっき目の前の伯爵令嬢がこさえたばかりの出来立てのものだ。


「ちょっとウィン! すこしは根性を見せて受け止めるのだわ!」


「あんな大振りで大ダメージが分かってるのを受けるわけ無いだろこら!」


「当たらなければ練習にならないわよ!」


「おバカ! キャリルは動きのつなぎが雑だから当たるわけ無いだろおい!」


 あたしの言葉に「ちっ」と舌打ちをしてキャリルがぼやき始める。


 彼女は淡いゴールデンブロンドの髪を高めのサイドポニーにしている。


 その瞳は濃いブルーで、お人形さんみたいだ。


 服装にしても濃い色のワンピースとブーツを履いているところまではご令嬢としてまだいい。


 それにスパッツを合わせ金属の胸当てを付けて、地球でも中世辺りに使われていたような小ぶりのハンマーを先端に付けた柄の長い戦槌ウォーハンマーを手にしている。


 伯爵令嬢が練習用とはいえ、身の丈を超える柄の戦槌を手の中で弄びながら舌打ちしてみせるのは正直どうかと思う。


「だってウィンは自分のお母さまから月転流ムーンフェイズを習っているのでしょう?」


「そうね」


「母上から月転流は“夜空の月の満ち欠けが如く場に化し、月が照るが如く静かに討つ”をモットーにしていると聞いたのよ。わたくしはそれを体感してみたいのだわ」


 あたしは脱力しつつ、自分の手の中にある練習用の短剣と小ぶりな片手斧を見る。


「はー……落ち着くんだキャリル。こんな爽やかな日差しの下で、大切な友達とあたしは潰し合いとかしたくないわよ」


「むむむ」


「それに、キャリルが習ってる雷霆流サンダーストームはあたしの流派とコンセプトが違うわ」


「それは分かるわ」


「今キャリルはワザの威力を高めたり、基本動作を正確にする練習をメインでやってるんだとおもう。それが済めば駆け引きとか、技と技のつなげ方の練習をすると思うのよ」


「そうなのかしら……」


「いま試合形式の練習をしてヘンな癖がつくと、シャーリィ様に怒られると思うわよ」


「う……それは一理あるわね。……母上は怒らせたくないのだわ」


「分かったら今日の立ち合いはそろそろお開きにして、姉さんたちと合流しようよ。庭師さんとか見てみなよ、このクレーターどうしようって目をしてるわよ」


「うちの庭師さんたちはこれくらいパパっと直しちゃいますのよ。でもそろそろお茶にしましょうか」


 たしかに伯爵家の庭師だったら、バトルで荒れた庭も魔法を使ってすぐ直してしまうかも知れないな。


 それでも元々はきれいな芝生だったから、あたしは罪悪感を感じていた。




 ウォーレン様ご一家がミスティモントに越してきてから、あたしの家は家族ぐるみで付き合いが始まった。


 数百年前ならいざ知らず、ディンラント王国でこの時代は公式の場を除けば身分差はそれほど気にされることは無いようだ。


 公式の立場にしても、父さんが狩人と兼務する形で冒険者ギルドの相談役になった関係で、聖塩騎士団と仕事上の付き合いがあるみたいだ。


 もっとも、家族ぐるみでの付き合いと言ってもイエナ姉さんは街の商家で見習いとして働き始めたし、ジェストン兄さんも聖塩騎士団で従者として働き始めた。


 だから二人は子供同士で遊ぶ時間はほとんど取れなくなっていた。


 一方、あたしとアルラ姉さんはウォーレン様のご令嬢に気に入られ、週に何度か伯爵邸まで招かれるようになった。


 その結果あたしはいつの間にかキャリルの遊び相手兼スパーリングパートナーをしている。


「それでアルラ、例の件は考えてくれたかしら?」


「例の件、ですか?」


 あたしたちは邸内の談話室に移動した。


 ロレッタとイエナ姉さんが何やら話している。


 侍女さんが用意してくれたお茶を頂きながら、あたしたち四人は話し込んでいた。


「王立ルークスケイル記念学院の特待生受験の件ですね?」


「そうよ」


 特待生になれば入学金と授業料が免除され、食費以外の寮費が無料になるらしい。


 ロレッタとイエナ姉さんは同い年なのでロレッタが誘ったようだ。


「はい。家族とも話し合ったのですが、挑むだけ挑んでみようと思います……!」


 その答えにロレッタは座った状態で一瞬万歳するように両手を上げ、その後右手を胸の前で握りこんで喜色を浮かべた。


「魔法科でよろしいのよね?」


「はい」


「やったわ! 私とあなたならこの国の魔法研究の中枢に挑戦できるわよ! うふふふ、これで勝つる!」


「一緒に勉強させてくださいね」


「当たり前です!」


 なにやらいつもはティルグレース伯爵家でも淑女然としたロレッタが、興奮して語尾が一部おかしくなってるな。


「学校といえばウィンはどうなさるのかしら?」


「学校ね……いまのところノープランかな。イエナ姉さんとジェストン兄さんは王都ブライアーズ学園に高等部から入るみたいだけどね」


 キャリルに問われて一瞬考えこむ。


 彼女はあたしと同い年だから、進路を気にしてくれているのだろう。


 いま名前が挙がった二つの学校は、王国でも上位に名を連ねる。


 両校が互いにライバル関係にあるのは姉さんたちから聞いている。


 地球でのおぼろげな記憶でいえば、ルークスケイル記念学院が慶応とかケンブリッジで、ブライアーズ学園が早稲田とかオックスフォードのイメージかも知れない。


「ねえウィン、あなたもわたくしと王立ルークスケイル記念学院に進みませんこと?」


「学院かぁ……」


 ブライアーズ学園は運営母体が国内の商業ギルドをはじめとした各ギルドで、学生への金銭的な負担はかなり抑えられている。


 一方でルークスケイル記念学院は、王家が運営母体で授業料などは抑えられているものの、入学金が高いことが知られている。


 あたし的にはやりたいことも特に決まっていないので、もし進学するなら安く済む方でいいかと考えていた。


「入学金を心配しているなら、あなたが当家で働けばよいのですわ。使用人が貴族と共に入学するなら、学業の金銭的負担は全てその貴族がもつのは常識ですのよ」


「ふむ」


「我が家としての打算でいえば、母上から『月転流の使い手は希少だから繋ぎ止めなさい』とクギをさされていますの」


 それは買い被りな気もするが、そういうものなのだろうか。


「それに、仮にウィンが使用人や領兵になったとしても、あなたはわたくしのマブダチですのよ。戦槌に誓ってもよろしくてよ」


 戦槌に誓うのはともかく、心遣いはありがたく思う。


「――わかった、いいわよ。父さんと母さんにも相談するけど一緒に行こうか、せっかくだし」


 あたしが応えるとキャリルは立ち上がり、右拳を握りこんだ。


「おもしろくなって来ましたわ! わたくしとあなたで王都にカチ込んで伝説を作るのだわ! うふふふ、これで勝つる!」


 何なんだろうなここの姉妹は。


 一瞬、猛勉強して特待生を狙う道よりも面倒な道を選びつつある気がした。


 強いていえば獣道に踏み込んだ気がしたのは秘密だ。


 というか、あたしも特待生を挑んだ方がいい気がしてきたのだが。


 まずは家族とよく相談してみようと思った。




 あたしたちが帰る段になって伯爵邸の玄関に向かうと、ちょうど来客があったようだ。


 旅装をした青年二人と少年一人を執事さんが出迎えていた。


 ロレッタとキャリルがカーテシーをしていたので、あたしと姉さんもそれに倣った。


 先方も礼を返したが、年長者らしい青年がなぜかあたしに視線を向けていた。


 六歳児に向ける視線にしては、武に関するような視線だった気がした。


 加えて感覚的なものなのだが、その青年からは隠された強者の気配とでもいうような雰囲気が微かに感じられた。


 ふだん母さんを見ていなければ、そんなことを考えなかったと思う。


 そしてあたしたちはキャリルたちと別れて、家まで馬車で送ってもらった。



――

※メイドを侍女という語に変更しました。(2024/5/9)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る