第3話 お志麻

 

 それは、マスターが看板を仕舞しまおうとしてる時だ。


「よっ、この辺に旨いラーメン屋はねぇか?」


 ホステス風の若い女を伴った、やくざ風の中年男が声を掛けて来た。


「屋台で良かったら、ありますが」


「どうする?」


 後ろの女に訊いた。


「屋台? ……汚っぽいからヤだ」


 女が顔をしかめた。


「おい、普通のラーメン屋はねぇのか?」


「さっき、旨いラーメン屋を尋ねましたよね?」


 マスターの顔は笑っていたが、眼光は鋭かった。


「……ああ」


 男は少しビビった様子で後退あとずさりした。


「旨いラーメン屋なら、そこを右に曲がって、一つ目の路地を真っ直ぐ行って、二つ目の路地を右に曲がるとありますよ」


「ッ。よく分からねぇが、行ってみっか」


「キレイなとこに行こうよ」


 女が愚図ぐずった。


「キレイなとこでマズイより、汚いとこでうまい方がいいじゃないか」


 男はそう言いながら、女の背中を押した。


「フン。汚いとこでも旨い方がいいじゃねぇか、だと? ったく、流暢師匠じゃないが、おそ入谷いりや鬼子母神きしもじんだ」


 マスターはあきれると、店に入った。



 浅草寺近くに屋台を構えるのは、皆から“お志麻ねえさん”と呼ばれている粋な姉御あねごだ。年の頃は、……おっと、女性の年を言うのは野暮やぼってもんだな。ま、客との会話をヒントに推測しておくんなせい。


「おっ、ラーメン二丁!」


 やって来たのは、先刻のカップルだ。


「いらっしゃい! ラーメン二丁、かしこまりました」


「とんこつないの?」


 連れの女だ。


「お客さん。すんませんが、うちは昔ながらの鶏がらスープの醤油味です。いかがいたしましょう?」


 竹を割ったようなさっぱり口調だ。


「ま、いいわ。それで」


 女は横向いて答えると、バッグから煙草たばこを出した。


「お志麻姐さん、親父さんの具合はどう?」


 お志麻さんから“竹さん”と呼ばれている先客が訊いた。


生憎あいにく一進一退いっしんいったいですね。竹さんにはいつも案じてもらって恐縮です」


「いやいや。早く元気になって、親父さんの浪曲を聴きてえな」


「ありがとうございます。父が聞いたら喜びます」


「お志麻姐さんは親父さんの血を受け継いでんなぁ。気っ風だけじゃなく、ラーメンの味もだ。ほんと、うめえや」


 ラーメンをすすった。


「ありがとうございます。男に生まれてりゃモテただろなぁって、よく言われます。ハハハ……」


 お志麻さんが大笑いするってぇと、


「ちょっと、おばさん、ツバがラーメンに入るじゃんよ」


 例の女が煙草を吹かしながら、煙たそうに目を細めて言った。


「お客さん、すいません。病気は無いんで、ご心配なく」


 お志麻さんが軽く流した。するってぇと、


「そう言う問題じゃないわよ。汚いって言ってんの!」


 女が語気を荒げた。


「おい、こらっ! さっきから黙って聞いてりゃ、いい気になりやがって。文句があんなら別のとこで食いやがれ!」


 怒り心頭しんとうに発した竹さんが女に怒鳴どなった。


「おいっ! おめぇこそなんだ、俺の女にいちゃもんつけやがって!」


 男が腰を上げた。


「文句あんなら、他で食えって言ってるだけじゃねぇか!」


 竹さんも腰を上げた。


「お客さん、私の屋台で喧嘩けんかはやめてくださいな」


 お志麻さんが冷静に言った。


「フン。不愉快だわ。帰ろ」


 腰を上げた女がお志麻さんをにらんだ。


「あんた、帰ろうよ」


 男の袖を引っ張った。


「二度と来ねぇからな! こんな小汚こぎたねぇ屋台」


 男は台詞ぜりふくと、女の後を追った。


「姐さん、すんません。余計なことしちまって」


 竹さんが頭を下げた。


「竹さん、こっちこそ申し訳ない」


 お志麻さんも頭を下げた。


「姐さん、とんでもねぇ、頭を上げてくだせぇ」


「竹さん、頼みがあるんだけど」


「なんです? 姐さんの言うこたぁ、なんでも聞きまっせ」


「ラーメン、もう一杯食べてもらえない?」


 先刻のカップルが箸を付けなかったラーメンの、一方の受け持ちを頼んだ。


「えっ? ……アハハ……そんなことですかい? 喜んでいただきまっさ」


「すまないね。私もいただこう。丁度、腹減ったとこ」


 お志麻さんは、そう言って苦笑いしながら、ラーメンを啜った。


「姐さんの作ったラーメンは、何杯食っても旨めぇや」


 竹さんも啜った。


「ありがとさん。自分で言うのもなんだけど、確かに旨い! アハハ……」


「アハハ……」


 二人の笑い声とラーメンを啜る音が、夜の静寂しじまとどろいていたのだった。

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