#48

ワヒーダは、倒れたリマーザを見下ろしているアシュレの手からマルジャーナの剣を取ると、彼女を自分の背後へと引き込んだ。


それは彼女に長年染みついた傭兵としての危機管理能力であったが、もはやリマーザは立ち上がるどころかピクリとも動かない。


それでも油断はできないと身構えているワヒーダに、アシュレは声をかける。


「もう大丈夫だと思う」


「本当? こいつは斬られた腕をくっつけちゃうようなヤツなんだよ? さっきので終わるとは思えないけどな」


「ワヒーダの心配性はこんなときでも発揮されるんだね。いや、こんなときだからこそかな」


ワヒーダはアシュレの軽口を聞き、傷のわりには元気そうだと安心する。


すると次の瞬間、倒れているリマーザの右肩にある刺青が発光し始めた。


そのひび割れた太陽と月の刺青からは禍々しい光が放たれ、ワヒーダとアシュレの頭上を越えて空へと飛んでいく。


これは一体何が起きているのかとワヒーダが警戒していると、王宮のほうから同じ禍々しい光が天へと昇っていった。


その数は目で追えないほどで、まるで流星が空へと戻っていくような光景だった。


「精霊の声が聞こえる……。きっと術式が解かれたんだ」


空を見上げていたアシュレが、急に両目を瞑って言った。


ワヒーダはその言葉で理解した。


おそらくはリマーザが仕掛けた術式は、城壁内すべての者の動きを縛るものだったのだろう。


さらに考えれば発動前から精霊たちをベナトナシュ国に入れない効果もあり、その結界ともいえる中にいる間は、リマーザ自身の力も上げることができる。


そんな状況を作り出した目的こそわからなかったが、ともかくこれで術式が解かれ、ベナトナシュ国は救われた。


まだ被害はどれくらいかをワヒーダは知らないが、きっと空へと上がっていった光の数だけ、ベナトナシュ国の人間が生きているはずだと思っていた。


「マルジャーナの声が消えちゃった……」


両目を瞑っていたアシュレがポツリと呟いた。


彼女の体はプルプルと震えていて、その背中を見下ろしていたワヒーダが少女の小さな肩に手を伸ばす。


そして閉じた両目から涙を流すアシュレに向かって、彼女はこう声をかけた。


「あんたが見たこと聞いたこと……いつもみたいに全部話してよ。あたしも一緒に背負いたいからさ」


ワヒーダの言葉を聞いたアシュレは、目を開けて彼女のことを見上げる。


涙を拭うのも言葉を発するのすら忘れ、ただ優しく体を撫でているワヒーダのことを見つめる。


そしてワヒーダがアシュレの涙を拭ってやると、少女の泣き顔から笑顔へと変わった。


その笑顔は答えていた。


もちろんすべて話す。


いつも話を聞いてくれてありがとう、と。


雄弁な微笑みを返しながらアシュレは思う。


この先、マルジャーナがいない喪失感が消えることはないだろう。


そして、彼女が自分のために命を懸けてくれたことも忘れないだろう。


それはこれからの先の人生でもずっと、自分が背負っていかなければいけないごうなのだ。


けして降ろすことできない荷物であり、マルジャーナ·ベナトナシュという素晴らしい人がいたという証でもある。


だがふとしたときに、罪悪感に押し潰されてしまうかもしれない。


マルジャーナが死んだのが自分のせいだと、荷物を背負うことに耐えられなくなるかもしれない。


しかし、それでもワヒーダが傍にいて話を聞いてくれたら――。


それだけで前へ歩いていける気がする。


「とりあえず王宮のほうへ行ってみようか。きっとみんなまだいるだろうし」


「うん、行こう」


アシュレは差し出されたワヒーダの手を握り返し、二人は並んでその場を後にする。


半壊した神殿が、そんな二人を見送るように風に吹かれていたとき――。


王宮へ戻ろうとしていた二人の背後から物音がした。


慌てて振り返った彼女たちが見たのは、もう立っていることすら辛そうなリマーザの姿だった。


「わ、私はまだ死ねないわッ! まだ……やることが……残っているものぉぉぉッ!」


絶叫して己を奮い立たせたリマーザだったが、その叫びに彼女の全身はついていってなかった。


吹いている弱い風を受けただけで飛んでいってしまいそうなほど、今のリマーザは弱々しい。


再び立ち上がってきた敵を見つめながら、アシュレは握っていたワヒーダの手を離すと、静かに呟いた。


「みんな、お願い……。僕に力を貸して……」


そう呟いた後、二人の足元から光が現れた。


その光は、アシュレとワヒーダを包むように上昇していく。


そして舞い上がった光が彼女たちの体を通り過ぎると、負っていた傷がすべて治っており、ワヒーダはすぐにアシュレの魔法が使用できることになったことに気が付いて、笑みを浮かべる。


だが、それだけではなかった。


「傷が……? こ、これは一体……?」


アシュレは自分とワヒーダだけではなく、リマーザの傷も治していた。


ワヒーダがそうだったように裂けた口元の古傷はそのままだったが、これまでの戦闘で負ったすべての傷は完全に癒え、リマーザはそのあまりの力に立ち尽くしてしまっていた。


「その通りだよ。あなたにはまだやることがある」


アシュレは立ち尽くしているリマーザにそう言うと、彼女の前に立った。

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