#27

――その夜にはもう、ベナトナシュ国内にいるすべての民が王宮に入った。


各自にできる限り食料を持って来るように伝え、宮殿内にある大広間に、まるで敷き詰められるように集められた。


籠城ろうじょう戦に入るための処置だ。


そして集められた民たちに、これからいつ武装商団アルコムが襲って来るかわからないことを、マルジャーナ自らが話した。


民たちは震えあがり、その様子を見たマルジャーナは言葉を付け加える。


「今からでも国を出たい者は急いだほうがいい。先ほど話したが、これから戦争が起こる。こちらから馬車も用意しよう」


この状況で民の心配をする女王に、兵たちの表情が強張っていた。


こんなときに何を考えているのだとでも言いたそうだ。


実際に民のことを気にする余裕など、今のベナトナシュ国にはない。


騎士も貴族も去った国には、わずかの兵しか残っていないのだ。


食料こそ数ヶ月は持ちそうなほどの備蓄びちくがあるが、とても戦争などできる状態ではない。


しかし、だからこそというべきか。


本格的な戦闘が始まる前ならば、城門から外へ出て安全な場所へ行くことができる。


正直いって民たちは戦争の役には立たない。


もしこちらが敗れれば、無惨に殺されるだけだ。


ならば今のうちに国外へ逃げるほうが民たちのためになる。


マルジャーナはそう考えて皆に言ったのだが、集まっていたベナトナシュ国の民たちは、誰一人国を出ようとはしなかった。


反応がないことにマルジャーナが再度声をかけると、民たちは口をそろえて言い始めた。


国を出て行くところなどない。


たとえ隣国にたどり着いたとしても、とてもベナトナシュ国のような平和があるとは思えない。


自分たちはマルジャーナ·ベナトナシュが治めるこの国でこれからも暮らしたいのだと、誰もが声を上げていた。


マルジャーナは内心で嬉しく思っていても、今の国には民を守る力がないことを伝えたが、それでも皆の考えは変わらなかった。


たとえ死んでも女王についていく。


先代の血棺ちひつぎ王とは違い、今の女王は我々のことを考えてくれている。


そうだ、自分たちの手で国を守るんだ――と、マルジャーナの意図とは別に、彼ら彼女らは異常な盛り上がりを見せ始めていた。


「マルジャーナ様。こうなれば民たちにも共に戦ってもらいましょう」


後ろに控えていたイザットが、マルジャーナに声をかけた。


民の心意気を組んで、これから襲ってくる賊を討ち果たそうと提案してくる。


「し、しかし……皆、剣すらろくに持ったこともないのだぞ?」


「もうここまで興奮している状態は簡単には収まらないでしょう。それに皆も国を守りたいのです」


「くッ、わかった……。お前の言う通りにしよう……」


マルジャーナは、渋々ながらもイザットの提案を受け入れた。


彼女としては民たちに逃げるか隠れるかしてほしかった。


だが先代が亡くなってからの善政が、このような結果をもたらした。


それはとても短い期間ではあったが、民の心を掴むことに繋がった。


マルジャーナは不本意ながらも、壇上から民たちに声を返す。


「よし! 皆の想いは伝わった! ならば私に力を貸してくれ! この国に住むすべての人間で、ベナトナシュを守るんだ!」


剣を抜き、刃を空へ高々と突き上げた女王の姿を見て、ベナトナシュ国の民たちは溢れんばかりの歓声を返した。


それを離れた位置で見ていたアシュレ。


彼女は沸き立つ群衆を眺めていると、隣に立つワヒーダのほうを見上げる。


そんなアシュレに気が付いたワヒーダは、白い髪の少女に声をかけた。


「どうかしたの?」


「ワヒーダはどう思う? 皆が言っていることは“善い”こと? それとも“悪い”こと?」


「そういうあんたはどう思う?」


「訊いてるのは僕だよ」


ワヒーダはこういうところは変わらないなと乾いた笑みを浮かべると、アシュレの頭を撫でる。


そして鬱陶うっとしそうに顔をしかめた少女に、ワヒーダは言った。


“善し悪し”でいえば、確実に“善い”こと。


民を心から心配しているマルジャーナの想いに、皆が応えた形になっている。


客観的に見てもこれほどまでに群衆を高揚させるのは簡単なことではないと、ワヒーダはアシュレの頭から手を放して言葉を続けた。


話を聞いたアシュレはコクコクと頷きながら、自分もマルジャーナの役に立ちたい気持ちがあると思った。


皆、同じなのだ。


優しくしてくれた人に何かしてあげたい。


好きなもの、大事なものを守りたいという気持ちは。


アシュレにとってマルジャーナは、すでに大事な人になっていた。


そして民たちにとってはこの国と彼女が大事なのだと、アシュレはブツブツと独り言を呟きながら納得していた。


「だけどね、アシュレ。そう喜んでもいられないんだよ」


「……どうして? 皆の気持ちが一つになったときは、たとえ竜だって魔王だって倒せるって本に書いてあったよ」


「あんたって、意外と影響受けやすかったんだねぇ」


再び頭を撫でようとしたワヒーダ。


だが、アシュレはムッと顔をしかめて彼女の手を払った。


不機嫌になった少女に、ワヒーダは笑顔で声をかける。


「怒るなって。あたしはあんたがそんなふうになって嬉しいんだからさ」


アシュレは、そう言って謝った後のワヒーダの顔を見上げた。


強張って緊張している表情。


何か嫌なことが起こることを想像しているときの顔。


“善い”ことだと自分で言っていたのに……。


アシュレは、一体どうしてワヒーダはそんな顔をしているのだろうと、不安な気持ちになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る