第85話


「セッツの息子を断るわけだから、式はなるべく早く挙げた方がいいだろう」


「子供は何人ほしいかしら? 三人以上がおすすめよ。二人以上産んだら、そこから先の負担はあんまり変わらないもの」


 肝心の俺とウィドウを置いてけぼりにして、二人の話し合いは非常に具体的な内容を伴う形で進んでいった。

 やれ結婚式の日取りだの挨拶の段取りだの、結納品の用意だの……って、ちょっとタンマ!


「ちょっと二人とも、いきなり気が早いって!」


「何が早いものか。俺は今のお前の時には既にカージェを育ててたぞ」


「そうそう、子育てって早ければ早いだけ楽になるから……」


「わ、私達のペースがあるから! そもそも結婚なんてまだ早いし!」


「む、そうなのか? 普通は付き合いなどなくとも見合いの後に結婚するものだと思うが……そうか、お前達は冒険者だったな」


 こちらを向くダツラさんは不思議そうな顔をしていた。


 道場経営をしているだけあって、彼らの考えは古風というか、どちらかというと貴族のそれに近い。

 彼らにとって結婚とはすなわち見合い結婚であり、自由恋愛なんてものとは縁がないのかもしれない。


 というかいきなり結婚と言われても……正直困る。

 彼氏のフリをしているだけという約束で引き受けたわけだし、実際にそんなことになったらウィドウにも迷惑がかかるだろうし。


「タイラーも、その……嫌、だよね?」


 少しお酒も入ったからか、ウィドウが頬を赤くしながら、ぽーっとした表情でこちらを見つめている。


 ……一瞬、本当に一瞬だけだが、この場で首を縦に振ってウィドウと結婚してしまえばいいんじゃないかという考えが頭をよぎった。


 別に誰かを裏切るわけじゃない。俺は別に誰と付き合っているわけでもないんだから。


 俺が結婚すれば両親は間違いなく喜ぶだろうし、それを機にこっちの世界のことをカミングアウトをすればちょうどいいんじゃないかと思ったのだ。


 でもそれだと、ウィドウの気持ちを考えていない。

 彼女の意に沿わない結婚を避けるために俺が恋人のフリをしたのに、それで彼女が俺と望まぬ結婚をするんじゃあまりにも本末転倒すぎる。


 だから俺は一度ゆっくりと深呼吸をしてから立ち上がり、二人に頭を下げた。


「僕らのペースがありますので、長い目で見てくれると助かります。こんなことを言うとひんしゅくを買ってしまうかもしれませんが……俺とウィドウの相性がいいかとか、上手くやっていけるかって、もっと長い時間を一緒に過ごしていかなければわからないことだと思うので」


「タイラー……」


 身体を直角に曲げたまま、頭を下げていると、痛いほどの沈黙が続いた。

 遠くで聞こえている調理の音が響いて聞こえてくるほどの静寂に、顔を上げた時の二人の表情を見るのが怖くなってくる。


 ウィドウも何も言わず、両親の言葉を待っている。

 話の口火を切ったのは、ダツラさんだった。


「ふむ……そういうことなら仕方ないか。俺が頭を下げに行けば問題はない。若い子達には若い子達なりの価値観があるということなのだろう。もう俺のようなロートルは、時代遅れなのかもしれないな」


「顔を上げてくださいな、タイラーさん。そうかしこまられては砕けた話もできないもの」


 顔を上げると、すぐ近くにダツラさんの顔があった。

 彼はバシッと俺の肩を叩く。

 そして万力のような力で、がしっと肩を握ってきた。

 肩の筋肉が悲鳴を上げるほどの力だ。

 こ、この人……身体強化まで使ってやがる!

 なんて大人げないんだ!


「ただ……ウィドウを泣かせたら、許さんぞ。地の果てまで追いかけてでも、精神的に追い詰めてやるからな」


 このおやじなら本当にやる。

 そう確信してしまうほどに、その瞳には狂気が宿っていた。


「まあまあ、そんな気にすることありませんよお父さん」


 アヤヒさんがダツラさんを引っ張っていくと、すぐ隣にウィドウがやってきた。


「タイラー、平気?」


「ああ、これくらい、軽いスキンシップみたいなもんだ」


 ダツラさんに握られたところはジンジンと痛んだが、平気なふりをする。


「……(さすさす)」


 だがやせ我慢を見抜かれていたようで、ウィドウが患部を心配そうな顔をしてさすりはじめる。

 その様子を見て、アヤヒさんがからからと上品に笑った。


「お父さん、孫の顔が見えるのはそう遠くないかもしれませんよ」


「ふっ、そうかもしれないな――がーっはっはっは! 酒だ、酒を持ってこいっ!」


 こうして俺はダツラさんの深酒に真っ昼間から付き合うことになり……もはやお馴染みの流れとして、次の日に猛烈な二日酔いに頭を悩ませることになるのだった。


 なんだか、取り返しのつかないことになり始めている気がしなくもない。

 俺はどこで選択肢を間違えたのか……。


 ――神様、教えてくれ。

 一体どうするのが正解だったんだ!







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