第22話
「困るよ鏡君、今回は納期が間に合ったからいいものの……」
「そもそもうちの社風は社員全員が一丸となって……」
「だからこそたとえテレワークであろうとしっかりと上司に顔を向けることが社会人としての……」
俺は子供の頃、叱られることが大嫌いだった。
説教というのはたいていの場合長いだけで大した意味がないし、叱るくらいなら何かしら目に見える形で罰してもらった方がよほどマシだと思っていた。
叱られると眠くてあくびをしたくなるが、あくびをすれば叱られる時間が延びる。
説教は子供の頃の俺にとって、拷問と同義だ。
故に俺は人のふり見て我がふり直せとばかりに、周囲を見て何が駄目なのかを研究していった。
そして叱られることのない行動パターンを確立し、いわゆるいい子ちゃんとして成長してきた。
けれど社会人になると、学生時代の頃のようにはいかなかった。
なぜなら社会や会社というのは、学校が生徒を守って育てることではなく、利益を追求するものだからだ。
彼らが何よりも守らなければならないのは利益であって、会社員の優先順位はあくまでも二の次なのである。
社会というのは理不尽を煮詰めたような場所だ。
絶対に無理な仕事量や明らかに不可能なノルマを渡され無理ですと正直に言えば、怒鳴られる。
なぜならそれだと利益が出せないからだ。
そして会社においては、社長や執行役員こそがルールだ。
会社は利益を出すためのものであるはずなのに、利潤だけを追求することもできないという、本末転倒に陥っていることも多い。まったくもって、意味がわからない場所。
テレワークなのに出社を義務づけるという意味のわからない制度を決めたのは、昔ながらの体育会気質な役員の一人だという。
俺がよくわからない理由で叱られているのは、完全にそいつのせいだ。
俺も三田課長もこんな無駄なことをしている暇があったら、働いた方が会社の利益に貢献できるだろう。
こんなことばっかりしてるから、日本は生産性が低いって言われるんだぜ。
俺は今日もまた、くどくどという四文字で要約できる上司のお叱りを聞き流す。
叱られすぎたせいで、子供の頃はあれほどいやだった説教も今ではまったく気にならない。
むしろ仕事をやらずに給料が発生するのだから、お得じゃないかとすら思えるようになっている。
これは時給換算になった今だからこそ感じられるありがたみだ。
俺は時給が発生するありがたいご高説を聞きながら、今日も適当に出社を終えた。
定時が近くなると、サラリーマンというのは二種類に別れる。
仕事をやる気がなくなり早く定時がこないかなぁとそわそわし出すやつと、バリバリ残業をするつもりなので時計すら見ずに仕事を続けるやつだ。
うちの社員は後者のやつの方が圧倒的に多い。彼らは給料を残業代込みで考えているのだ。
ちなみにいっておくと俺は前者だが、そわそわする無駄な時間がなくなるようそういった時間をメールチェックやシュレッダー処理などの雑事で潰すようにしている。
付け加えるなら五反田は五時ぴったりになる瞬間に仕事を終えることのできる特殊能力を持っている。あそこまで行くと一種の才能だと思う。
終業のチャイムが鳴り、ぐっと背筋を伸ばす。
小さな頃から聞き慣れた電子音のチャイム。
公園の砂場でも都会のビル群の一画でも、妙に機械的に聞こえる音は変わらない。
少しくたびれた革の取っ手を持ち帰ろうとすると、目の前に影がかかる。
誰かと思って見てみれば、俺の二期後輩の瀬下いちかだった。
生き物のように跳ね回るポニーテールに目が行ってしまう、リスを彷彿とさせるかわいい系の女性だ。
社会人も三年目になり新卒のようなスーツに着られている感は消えたものの、その愛らしい印象は変わらぬままである。
「鏡さん、今日空いてますか?」
「俺は基本的にいつでも空いてるぞ」
「それなら飲みいきませんか?」
「いいぞ」
立ち上がり、グッとサムズアップ。
かわいい女の子との飲みは、いつだってウェルカムだ。
「ちょっと鏡さん、俺の時と態度違くないっすか!?」
横から割り込んでくる五反田に、当然だろうとだけ答える。
後輩だけど多分俺より給料もらってる五反田と、後輩でかわいい女の子であるいちか。
どちらにいい態度をすべきかなど、自明の理だ。
三人分出すと諭吉が飛んでいくなぁと思っていたが、意外なことに五反田は軽く挨拶だけすると帰っていった。
「それじゃあ行きましょ、先輩っ!」
「おう」
俺たちは退社して、駅の方へと歩いて行く。
当然向かうのは、行きつけの店(前に五反田と行ったどちゃくそチェーン店)だ。
……女の子と行く時のために、もう少しムードある店を開拓しておくべきかもしれない。
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