水無月潤は6月に愛され、6月に呪われた湿度がヤバい後輩(1/3)
「さぁ、唯。ついたぞ。ここが下冷泉霧香が部長を務めている演劇部だ」
日本有数の資産家である百合園一族が運営している百合園女学園には様々な部活動が存在している。
そんな百合園女学園のスポーツにとことん力を入れており、お嬢様学校とは思えないほどの好成績を今までに残しており、スマホか何かで『百合園女学園』と検索をかけてみただけでそのサジェストには『メスゴリラ』『ゴリラの名産地』だなんていうお嬢様学校とはとても思えないような検索予測が出るほどだ。
だがしかし、そんな百合園女学園にも当然ながら文化系の部活動が存在する。
文化部と言えば一般的には美術部だったりだとか、家庭科部や吹奏楽部などもある訳なのだが……当然ながら僕が男だなんていう爆弾級の秘密を知っている女子生徒は茉奈お嬢様以外には存在していない。
更には僕はいつのまにやら百合園女学園の三大美女なる存在に祭り上げられてしまい、下手な部活に隠れ蓑として入部したが最後、骨の髄までしゃぶられてしまうという結果は余りにも見え透いていた。
しかし、だからといってどこの部活動にも属さないという事はそれだけ周囲の女子生徒たちに部活動勧誘……すなわち、通常以上に接触されてしまう機会が増えてしまう事を意味してしまう。
どちらにどう転んだとしても、秘密の女装をしてしまっている自分としては隠れ蓑として利用できる部活動なんて……途中で退部してもいいし、名前だけの幽霊部員になっても構わないという演劇部以外の選択肢がなかったのである。
「ここが演劇部室ですか。ぱっと見た感じでは意外と……普通ですね……?」
「一体、君はどんな異界の入り口を想像していたんだ」
若干ジト目でこちらを睨みつけてくる彼女であるが、あの下冷泉霧香が部長を務めているだなんていう部室のイメージはまさしく人外の場所という偏見があったのだが、今、僕の目の前に広がっているのはごくごく普通の部室であった。
「まぁその気持ちは分からないでもないがな。噂に聞く限りでは下冷泉霧香はどうやら唯のファンクラブの会長をやっているという話じゃないか。ともなれば、演劇部室はファンクラブの集会所になっていて、壁一面を君の写真で埋め尽くされていたりだなんて――」
「――変な想像をさせないでくださいよ、茉奈お嬢様。それは余りにもホラーすぎます。ホラー過ぎるっていうのに否定しきれないのが一番怖いです」
お嬢様がそんな事を言うものだから、僕の背筋に質の悪い鳥肌が走る。
確かにそんなキテレツな事をしでかさない……だなんていう断定が出来ない程度には下冷泉霧香は変態なのである。
どれぐらい変態なのかと言えば、毎朝必ず僕の部屋の前に居座って、毎夜必ず僕の顔を見てから眠りにつき、僕が起きるよりも先に必ず僕の部屋の前を陣取っているという筋金入りのストーカーなのである。
ストーカーと言えども、流石に監視カメラだとか盗聴器だとか、合鍵を作って僕の部屋に突撃したりするだなんて事はないのでかなり常識的な範囲だとは思うけれども……これが常識的だと思ってしまえる程度にはいよいよ僕も常識が毒されてきたように感じる。
「……よし」
気合いを入れるように僕は両頬を掌で力いっぱい叩き、中にあるかまだ分からない演劇部室の扉を開ける事を決意して――。
「失礼します。高等部2年生の菊宮唯と申します」
がらりがらりと音を立てて開けられた扉の音が鳴り終えた後に、僕は極めて平静を装ってそんな決まり文句を口にした。
中を軽く見回してみたけれども壁一面に僕のポスターが貼ってあるだなんてこともなく、まるで教科書通りのオーソドックスな部室の光景が目の前に広がってはいるものの、僕の声に対する返答は未だにやってこなかった。
「……もしかして、今日って休みの日だったりするんですかね?」
「いや、それは流石にない。休みだったとするならば、どうしてこの部室の扉が空いている?」
確かに茉奈お嬢様の言う通りであった。
だとすれば、演劇部は活動中だけど部室を開けっ放しにする用事でもあるのだろうか……そう思考して、今現在で繰り広げられている部員勧誘合戦の事を思い出す。
あれだけ大規模な勧誘をやっているのだから、当然この演劇部も運動部に負けず劣らずの勧誘をする為に部員の過半数を勧誘行為に充てているというのは合点がいったけれども、余りにもタイミングが悪かった。
色々と覚悟をしたというのに、出鼻を挫かれたような思いに駆られてしまった僕は思わず吐いてしまうため息を隠せなかった。
「タイミングが悪かったな。君が想像している通り、今この演劇部は外で部活動勧誘に勤しんでいるのだろう。演劇部の入部の件については寮の中で下冷泉霧香に報告したらいいんじゃないのか?」
「えぇ、そうする事にさせて頂きます」
若干、残念な気持ちを胸の中に渦巻かせながら、渋々と演劇部室の扉を閉じようとした――その瞬間であった。
「あー。はいはいすいません、起きてます起きてます。新入部員の方ですね? 私は今現在、手を離せない状況にありますので扉を閉めずにソファーの前にまでやってきてください」
いきなりそんな声が――なんか仕事面倒くさいと言わんばかりの声音で――聞こえてきたので、僕とお嬢様は思わずお互いの表情を見つめ合う。
どうやら僕の隣にいたお嬢様にもこの声は聞こえてきたらしく、先ほどの声が幻聴だとかそういう類の音声ではないらしいという事が分かった。
「……どうする?」
「……行くしかないでしょう。誰かは分かりませんけれど、話の内容的には演劇部員っぽいですし」
互いに決心を固めた僕たちは声が聞こえてきた方向に向かうと……そこには競馬新聞を真剣そうな表情で睨みつけている黒髪のショートヘアの女子生徒が演劇部室のソファーの上でうつ伏せになる状態で転がっていた。
「や、どうもです。見ての通り、来月の日本ダービーの勝ち馬予想で忙しいんですよ、私」
ソファーの上で漢数字で言う所の『一』の字になって寝転がり、にへらと調子の良さそうな笑みを浮かべた彼女はすぐさまその視線を競馬新聞の方にへと向き直す。
新聞の書き出しから見るに先週行われた『皐月賞』とか言う競馬レースの内容を見ているようであった。
一応、お嬢様学校の証明になりえる制服の上から学校指定のジャージを着用しているというラフな恰好ではあるものの、今までに散々ソファーの上でゴロゴロしていた為か制服とジャージには皺が目立つし、飛び出したシャツの裾が目立っていたり、髪の毛には寝ぐせが跳ねていたりだとか、色々とだらしない部分が数多く散見する演劇部員らしき少女がそこにいた。
「……おや? 噂になっている菊宮先輩に茉奈パイセンじゃないですか。まさか学内3大美女がこんな辺鄙な場所にやってくるだなんて流石の私も予想外です。ここにうちの部長までもが来てしまったら全校生徒の8割がここに来てしまいそうなのは想像に難くありません。そうなったら私がサボれません。それは困りますね」
ふぁあああ、と本当に眠たげな大きな欠伸をしてみせる彼女であるのだが、それでもなお、彼女が競馬新聞に向ける視線は実に真剣であった……要するにこの人は将来ギャンブルだとかお酒だとかそういうものにドハマりするタイプの駄目人間である事はほぼほぼ間違いなかった。
とはいえ、あの茉奈お嬢様に対して『お姉様』だなんていう呼称で呼ばない人間はこの学園の中でもかなり少ない部類の人間に入るだろうし、最近入ってきたばかりの僕もお嬢様以外の女子生徒に『菊宮先輩』だなんていう他人行儀な呼び方をしてくれた。
恐らく、彼女にはそういうのには余りに興味を持っていないのだろう……そんな風に考えるのが妥当なのかもしれない。
「えーと、茉奈パイセンは
「いや、特にそういう報告ではない。今回は私個人の用事というよりも、私の友人の用事なんだ」
「となりますと、用事があるのはそこの菊宮先輩って訳ですか」
ようやく競馬新聞から目を離した彼女は僕の顔を覗きみようとして――。
「ナイス貧乳」
「……はい?」
「銀髪の貧乳美少女に悪人はいません。同じ貧乳美少女として私は貴女にシンパシーを感じます。それに菊宮先輩は第一に顔が良い。続いて顔も良い。最後に顔が良い。とにもかくにも顔が良い。後、胸が無いのもグッドです。世間は胸を持て囃しますが貧乳に勝るものはなし、です」
物凄い速さでそう力弁されてしまった。
いや、知らないでしょうけれど僕は男なので胸なんてものがあってはいけないんです。
この胸には演劇部御用達のシリコン製の胸パットが貼られているので、それすらも無くした先にあるのはただの男の胸だなんていう壁しか広がっていないのだが。
「そ、そうですか。お褒めの言葉を頂き感謝いたします」
「どうぞどうぞ感謝してください。さて、こうして菊宮先輩と顔を合わせるのは初めまして、ですかね。私の名前は
「そ、そうですね」
正直言うと、彼女は僕と1歳違いと言われて驚きを隠せなかった。
というのも、彼女は茉奈お嬢様と下冷泉霧香に比べると体付きがやや幼いというか……いや、そもそもの話として、女性としてグラマラスな身体付きをしていて、女性というカテゴリの中でも最上位の美貌を誇る2人が比較対象としておかしいだけであるのだが……とにもかくにも、彼女は見ていて安心できるタイプの貧乳であり、見た目だけで言うのなら中等部に上がったばっかりの中学1年生を思わせるような女子生徒であり、とても高等部の1年生とは思えなかった。
「すっごく警戒されていますね私。まぁ、悪徳セールスマンみたいに一方的に話しかけている訳だから仕方ないと言えば仕方ないかもですが……じゃ、そんな先輩の緊張をほぐしてあげるとしましょうか。私の得意ジャンルです、えっへん」
「べ、別に警戒も緊張もしてませんよ?」
「いやそれめちゃくちゃしている人間のセリフ。という訳でそんな先輩の状態を解除するであろう面白い
何だろう。
こうして話しているだけだというのに、彼女……水無月潤という人物は霧香先輩と絶対に仲がよろしいだろうなという予感がした。
というのも、彼女もまたのらりくらりとした独特な雰囲気を醸し出しており、お嬢様学校においては中々の異質っぷりとアウトローな雰囲気すらも感じ取れるからであった。
彼女は俗に言うところのお嬢様学校の不良のような存在であるのかもしれない……そう思いすらした。
「ジョーク、ですか?」
「――実は男の子でしょ、菊宮くん?」
「なるほど、それはとっても面白いジョークですね」
嘘である。
全然面白くないどころか、こっちの心臓が止まりかけるようなジョークを口にするのは本当に止めて貰いたい。
実際問題、茉奈お嬢様が強張った表情を浮かべては胃でも痛いのか、冷や汗を流しながらお腹をさすっており、これで顔面を蒼白にさせでもしていたのであれば異様な違和感に感づかれる可能性もあったから、僕は内心で茉奈お嬢様に感謝の言葉を述べていた。
「うーん。やっぱ面白くなかったかぁ。噂に名高い菊宮先輩が男な訳ないけど、もしも男だったらすっごく面白いよねと思って口に出してみたけれどものの見事に自爆。ちょっとは興味を持たせるような自信ありの
「いえいえ、流石は演劇部の脚本家の水無月さんですね。非常に興味を惹かれる内容でしたよ」
「聞いて分かるお世辞はいらない……と言いたいけれど、
よっこらせ、だなんてお嬢様にはとても似つかわしくない言葉を口にした彼女はうつ伏せになっていたソファーから立ち上がると、僕の前に両足で立ってみせるのだが……彼女は身長が低かった。
具体的には男性の平均身長よりも小さい僕よりも頭1つ分ぐらい小さくて、何だか見ていて庇護欲に駆られてしまうような……そんな体格をしていた。
「話は部長から聞いています。何でも先輩は我が部の幽霊部員になりたいとか……実に良い度胸をしていますね。ですが私は気に入りました。人間誰しもサボりたいという思いを胸に常日頃を生きています。ですので、脚本の締め切りにいつも追われている私は貴女に協力する事で脚本の締め切りを合法的に伸ばします」
「お話はそれで合っているのですが……もしかして、水無月さんはサボるのが大好きなんですか?」
「え? サボるのが大嫌いなんですか貴女」
「こちとら寮母なもので」
そりゃあ、まぁ、サボるのが嫌いな人は少ないだろう。
とはいえ、やるべき事をやらないで放置するのは僕の性には合っていない。
例えるのならば、今日作るべき食事を作らないというのは非常に胸がモヤモヤするし、買い出しに行かなかった日に限って面白そうな値引き品があったのではないのかと悶々としたりする。
とはいえ、10年間ぐらい料理だとか家事をやり続けてきた僕にとっては、この程度は呼吸のようなものだ。
実際問題、僕が家事をやらなかった日だなんて、和奏姉さんが死んでしまった数日間ぐらいだろう。
「ふーん。先輩は真面目なんですねぇ。体調を崩さない程度にてきとーにお仕事頑張ってくださいね……って! 今気づきました! 私が寮生活になれば毎日毎日すっごく面倒くさい自炊だなんて事をしなくともゲーム……もとい! 執筆活動が出来るのでは⁉ 不肖この水無月潤! 1人暮らしを止めて寮生活を希望しますッ!!!」
「盛り上がっているところに水を差すようで悪いが、唯が管理している百合園女学園第1寮はゲーム機などの持ち込みは全面禁止だ」
「あ、ならいいです。私、ゲームをしないと死ぬ持病持ちなもので」
清々しいほどの即答であった。
以前、茉奈お嬢様が寮生活をしたがらない生徒が多いのは、わざわざ寮則に縛られたくない生徒が多いからだと口にした事があるけれども、その厳しい寮則のおかげでこの水無月潤なる女子生徒の入寮を防いでくれたのは本当にありがたい事であった。
「とはいえ、先輩のご飯を一度でいいから食べてみたいなぁ。学内でも噂になっているんですよねぇ。いいなぁ、先輩の弁当、食べたいなぁ」
「それは嬉しいですね」
「という訳でして、ここで密約と参りましょう」
「……密約?」
「えぇ、誰にも知られてはならない秘密の約束です。菊宮先輩は今後、演劇部の脚本に所属して貰います。ですが、それはあくまで形式上の話で脚本はこれからも私が担当し続けますので、先輩は脚本を書いたり勉強をする事は一切ありません……が」
「僕が幽霊部員になる代わりに、水無月さん用の弁当を作って欲しい、と」
「イエス。理解がめちゃくちゃ早くて助かります。詰まる所、先輩が私に食事を提供する事で私も食事を作るという作業が無くなる事で執筆活動がはかどり、これによって演劇部全体の貢献にも繋がります。これなら先輩は寮母をするという仕事をしながら堂々と
僕はちらりと茉奈お嬢様の方に視線を向けてみると、茉奈お嬢様は苦虫を嚙み潰したような表情をしてはいるものの、全面的に否定するつもりはなさそうであった。
そんなお嬢様の事を言葉もなしで理解した僕は水無月潤なる曲者に向けて、片手を差し出す……と、水無月潤はわざとらしいため息を吐き出した。
「握手ですか。それもいいですけど、ここは女子校なんですよ。もっとそれらしいコミュニケーションがあるとは思いませんか、先輩?」
一体いきなり彼女は何を言い出すのだろうか、と僕と茉奈お嬢様は頭の上に疑問符を浮かべていると、やれやれと言わんばかりに彼女は僕を手招きしてきた。
……多分、こちら側に来いという意味合いだろう。
果たして女子校ならではのコミュニケーションとは一体何だろうかと思いながら、僕は水無月潤の近くまでやってくると、彼女は僕の肩に手を伸ばし――。
「――んちゅ……」
彼女は僕と口づけを、軽く、挨拶のようなの気軽さで、お互いの唇同士を、触れ合わせた。
遠い向こうで茉奈お嬢様がとんでもないほどに大きな声を出していたけれど、何を言っているか分からないぐらいに僕の心臓がお嬢様の声をかき消していて、女性の身体に慣れていなかったら今頃僕の女装が解けてしまうほどの大惨事を引き起こしていただろうか……いや、そもそも、僕が勃起をしてしまうような性的興奮を感じさせる前に早く彼女は僕と唇を触れ合わせて、そして離れた。
未だに状況を理解できていない僕の両手を水無月潤の柔らかい手が包み込むと、彼女の端正な顔がにんまりとした表情を作ってみせた。
「
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