百合園女学園理事長である百合園千風は素敵なお義兄様です

 下冷泉霧香から何か悩みがあるのなら、百合園女学園で一番偉い存在である理事長に直談判をすればいいと言われた僕と茉奈お嬢様は昼休みの時間に、百合園女学園の理事長――すなわち、茉奈お嬢様の実兄と面会する予定になっていた。


「クハハ! クハハハハ! クハハハハハハ!!!」


「おい、兄」


「クハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」


「笑うな、兄」


「久しぶりだな茉奈」


「いきなり落ち着くのは私の心臓にとても悪いので止めて貰えないか、兄」


 あの日、茉奈お嬢様が座っていた理事長室の椅子には遠目から見ても分かるぐらいに長身の黒一色のスーツに身を包み、茉奈お嬢様と瓜二つな金髪の男性が座っていた。


 彼は男である僕から見ても――茉奈お嬢様の肉親であるという事実を含んだことによる贔屓目から見てみても――かなりのイケメンであった。


 なんなら、将来こういうイケメンになりたいなと僕が漠然と思い描いていたような美男であり、副業でアイドルか何かをやっていらっしゃるのではないかと思う程の美形であり……僕の隣に座って優雅に紅茶を飲んでいる百合園茉奈と雰囲気がとても似ていて、目の前にいる彼とお嬢様は本当に兄妹なのだなという事が何となく実感できた。


「クハハ! いやはや、あの茉奈が俺の前に付き人を連れてくるとは夢には思わなかったものでな。ついついツボに入って大爆笑してしまったまでのこと……クハハハハハ!!! ……失礼、思い出し笑いをしてしまった」


「兄が変人なのは重々理解しているつもりだが、我が学園に在籍している生徒でもある菊宮唯さんを前にそのような態度は止めて貰いたい」


「ほほぅ? 随分とまぁ、あの百合園茉奈とも言うべき人間が1人の人間に随分とご執心のようだ。いや、さもありなん。事情が事情ゆえに仕方がないとは思うが……安心しろ。この理事長室は盗聴対策も万全だ。我が生徒、を口にしても構わん」


 何だろう。

 この兄妹たちは兄が中々の個性派の所為で、その下の妹が兄の面倒を見ているという図式が完成しているような気がしてならない。

 

 簡単に言えば、兄がボケては妹がツッコミをするような。


「こうして腰を落ち着かせながら君と話すのは初めてだな、唯くん。改めて自己紹介と行こうか。俺は百合園ゆりぞの千風ちかぜ。知っての通り、ここの百合園女学園の最高責任者であり、百合園茉奈の実兄だ」


「あ、こちらこそ初めまして。改めまして菊宮唯です。茉奈お嬢様にはとてもお世話になっておりますし、理事長にも本当に頭が上がらないほどにお世話になっております」


「礼には及ばん。むしろ、君に対する礼と考えれば少なすぎるほどだ」


「それは僕の姉……和奏わかな姉さんの事ですか?」


 僕の姉である菊宮和奏は1ヵ月前に交通事故で即死してしまい、これからどう生きればよいのか路頭に迷いかけていたところを僕は茉奈お嬢様に救われた。


 和奏姉さんに幼いころからお世話になっていた彼女が僕を必要としてくれたので、僕は茉奈お嬢様の為に百合園女学園の寮母としての務めを果たしている。


 ……とはいえ、流石に女装をして女学院に通うだなんて夢にも思わなかったけれど。


「我が妹の言う通り、君は和奏に似ている。本当に似ている。俺と和奏は同い年だったから、こうして君を見ると俺より幼くなった和奏が目の前に現れたようで俺個人としては色々と複雑な気持ちになる」


 若いと思ってはいたが、まさか和奏姉さんと同い年……つまり、今年で25歳になるまだまだ若い人間だとは夢にも思っていなかった僕は思いがけず驚いた反応をしてしまったが、彼は僕がそんな失礼な態度を取ったのにも関わらず「クハハ」と笑って許してくれた。


「やっぱり姉は理事長とも面識があったんですね」


「面識があったというのにはいささか語弊が生じる。というのも和奏と俺は結婚する予定だったからな」











「ぶふっぉぅ⁉」











 先ほどまで優雅な佇まいで紅茶を飲んでいた茉奈お嬢様がいきなり口に含んでいた紅茶を噴き出して、目の前にいる理事長を水浸しにした。

 

 うわぁ、あのスーツは絶対に高級品だよ、なんで汚すのかな茉奈お嬢様は……ではなく!


「ちょっと⁉ 兄さん⁉ 初耳なんだけどそんな話⁉ あの和奏が兄さんみたいな変人と付き合う訳ないじゃん! 身の程弁えろよ⁉ 兄さんなんて只々顔がよくて金があって家柄がいいだけのイケメンじゃん! あの和奏が兄さんみたいな人間に媚びる訳ないじゃん! 死んだ和奏に失礼だよその言動は!」


「クハハ! 我が妹。俺は貴様の紅茶でびしょ濡れになったというのに謝罪もなしか! クハハハハハハ!!! それでこそ我が百合園一族よ! 許す! 俺は許そう! だが俺以外の人間にそれをやらかしたら嫌われるからちゃんと謝りなさいねホント」


「そんなの常識に決まってるでしょ! そんな事よりも和奏の話だよ和奏の! 兄さんと和奏が結婚する予定ってそれ本当にどういう事なの⁉ 私、全然そんな事聞いてないよ⁉」


「そもそも一族の面々には伏せる予定だったからな」


 茉奈お嬢様が啞然としている僕の抱えていた疑問を全て口にしてくれたおかげで、半ばパニック状態になっている僕は言葉を発さなくてもよくなった。


 というか……あの姉が?

 結婚?

 それも百合園一族で一番偉い立ち場にある当主様と?

 

 もしそうなってしまったのであれば、目の前の理事長は僕にとっての義理の兄に当たる訳で、隣で化けの皮が剝がれてぎゃあぎゃあとわめいている茉奈お嬢様は僕にとっての義理の妹になっていたのかもしれない。


「そもそも、この俺がどうして和奏という美人を放っておくと思うのだ。我が妹の面倒を見てくれている銀髪のメイド服姿の中学生の和奏はそれはそれは大変な美人でな。おかげ様で俺の性癖は和奏になってしまった。俺は金輪際、銀髪の美人以外で興奮する予定はないと心に誓う程だ。断言してやろう、俺は菊宮和奏に性癖を壊された」


「妹と、和奏の弟の前で話すような内容じゃないよね、兄さん」


「実際、和奏に一目惚れしてしまった俺は今目の前にいる唯くんも正直に申し上げると性癖の対象内だ。むしろ、和奏と同じ血が流れているのだから興奮するなと言われてもそれは生物学的にも難しい。というのもで――って熱ッゥウ! 我が妹よ! どうして兄である俺に対して熱々の紅茶の入ったポットを投げた⁉」


「唯ッ! 逃げて! 本当に逃げて! やっぱりこの人、変態だよ! 自分の身内だから甘く見積もっていたけど、やっぱり下冷泉霧香並かそれ以上の変態だよ! ここにいたら唯が私の兄さんに襲われちゃうからここから逃げて! 早くッ!」


 まさかまさかである。

 まさか、この僕が百合園茉奈のお兄様である百合園千風に性的な目で見られていただなんて、夢にも思うまい。


 実際問題、付き合いの長いのであろう自分の兄の発言が『真事マジ』だと肌でわかったのであろう茉奈お嬢様があの手この手で僕を性的な目で見てくる理事長に暴力の限りを尽くしていた。


「クハハ痛ハハハおい待て冗談クハハハハハ痛ァ⁉ ……クハハハハハ!!!」


「むーけーるーなー! そのいやらしい目を私の唯にむーけーるーなー!」


「クハハハハハハ!!! おい待てボールペンで眼球をぶっ刺すのは流石に兄はどうかと痛ァァァァアアアアクハハハハハハ!!!」


「というか、兄さん! 本当に和奏が大切ならそんな冗談言うのは流石にどうなの⁉ 和奏は和奏で、唯は唯でしょ⁉」

 

「クハハハハハハ!!! 正論だな。誠に申し訳ない」


 仲睦まじい兄妹喧嘩を目の前で見せられた僕としては彼らの諍いに対して、苦笑を返す事しか出来なかったと同時に、この兄妹たち2人はどっちも銀髪の美少女――いや、僕はまごう事無き男である事実はお嬢様自身も知っている筈なのに――が性癖であるらしく、今後ともいろいろ警戒していこうと自分自身に誓った。


「いえ、別に僕と姉の外見はよく似ていますから。それにしても理事長は僕の姉と結婚する気だったんですね」


「あぁ。和奏に一目惚れをした俺は彼女と一緒にいたいが為に彼女の通う高校に無理を言って通っていたからな。その時に和奏は厭々ながら俺に付き従い、何だかんだで俺と和奏は心を通わせたのだ」


「それ、兄さんの妄想?」


「クハハハハハハ!!! 現実」


「いきなり大笑いした後に冷静になるの本当に止めてくれない? というか、兄さんの頭本当に大丈夫? もしかして和奏が死んだショックで錯乱状態なの?」


「ほぅ? 我が妹よ。一体この俺の説明の何処に不可解な点があったというのだ? 発言を許す。疾く言え」


「兄さんは和奏と一緒にいたいが為に和奏の通う学校に行ったという点に決まっているでしょ。和奏はね、ここの卒業生だよ? 百合園女学園のOGなの。此処は女学園で、兄さんは男。そんな男性の兄さんが和奏のいる女学園に通っている訳ないじゃん。男は女学園に入れないんだよ? そんな事も知らないのによく大学卒業できたね」


「妹よ。人を否定する前にまずは己自身を省みるのも大事だぞ。貴様、自分から男子を女学園に入れているではないか」


 理事長にしてお嬢様のお兄様の言う通りだった。

 お嬢様は自分が言う馬鹿な行為を無自覚にしていらっしゃるというのに、よくもまぁ他人を否定できるものだ。


 いや、あるいは茉奈お嬢様は僕が男子であるという当たり前の事実を忘れているのか?


 一応、忘れかけているかもしれませんけれど僕は男です。

 何度でも言います。

 僕は、男です。


「だが、ククク。それぐらいは理詰めで解けるような疑問であろうよ。よく考えてみればすぐに解けるような内容だ」


「理詰め? あぁ、未来の理事長様特権でも使ったの? 周囲は女の子で自分1人だけが男っていうハーレムを作った訳だ。普通に最低」


「そんな事をしたら百合園一族末代まで名を残すほどの愚行でしかない。そもそも、そんな事をしたら我が学園に生徒を預ける保護者の反感を買いかねない。そんな事をこの俺がする訳がないだろう」


「だったら、どうやって――」


「――答えならば、貴様の隣に座っている男がいるじゃないか。なぁ、唯くん?」











「ぶふっぉぉぉぅ⁉ ごほっ、ごほっ、ごほっ⁉ ちょ、待っ、に、に、に、兄さん⁉ いや本当に何をしてるの兄さんは⁉ それこそ百合園一族末代まで名を残すほどの超愚行なんだけど⁉」












 理事長にしてお兄様である彼の言葉の真意に気づいたのであろう茉奈お嬢様がまたもや口から紅茶を吐き出しては、思い切りむせた。


 おかげ様でまたお兄様の高級そうなスーツはびしょ濡れであるし、お嬢様の器官に紅茶が入り込んでしまったら誤飲性肺炎になってしまうではないか、と僕は他人事のように思いながら慌てふためくお嬢様を見守っていた。


「キモッ! うわ、キモッ! キモキモキモキモキモォォォ!!! こんな気持ち悪いのが自分の兄だなんて本当信じられない! 何をのんびりしているの唯! こいつ本当に変態だよ⁉ 大変態だよ⁉ 超変態だよ⁉ 早くここから逃げないとそろそろ唯がヤバいって! 私、唯と兄さんがBLする瞬間とか見たくないんだけど!」


「落ち着いてくださいお嬢様。今回は理事長に相談事があってこちらに来た訳なのですからそのような行為は大変に失礼な事だと思うのですが」


「悠長な事を言わない! もしかして唯はまだ気づいていないの⁉」


「? 何をでしょう?」


「この人、⁉ 女装して女学園に入り込んだ挙句和奏に近づいたんだよ⁉ キモい! うちの兄さんが本ッ当にキモい!」 


 ……まぁ、薄々は感づいていたのだけど。

 正直に言うと、多分、お嬢様が感づいて紅茶を吹き出す前よりも早くに気づいていた。


 僕の入学を勧めたのはお嬢様であるけれども、それを承認したのは目の前にいる理事長である。


 いくら血の繋がった妹と言えども女学園に男子を編入させたいだなんていうワガママは普通に考えても通る訳がない。


 だが実際問題として、それが通ってしまっている。


 であるのなら、何かしら前例があっただとか、ただ単に理事長がシスコンのどちらかだと踏んでいたのだが……まさか本当に前者であるだなんて夢にも思っていなかった。


「クハハ! 俺の女装に感づいた和奏にも気持ち悪いと言われた。クハハハハハハハハハハハハハハハハ!!! 俺は生まれて初めて女子に泣かされた」


「だから大爆笑した後に冷静になるの本当に止めてくんない⁉ 本当に気持ち悪い! 生理的に無理! 本当に無理! 和奏も和奏だよ! どうしてこんな気持ち悪いのと恋心を育んだ訳なの和奏! もっとマシな人いたでしょ⁉ なんで選んだのこのゲテモノ⁉ それとも兄さんが和奏に何か脅迫でもしたの⁉ そうしたんでしょこの卑怯者! 下衆!」


「クハハハハハハハハハハハハハハハハ!!! 流石に傷つく」


 本当に仲の宜しい兄妹だなぁ、と僕は思いながら、なるべくこちらに被害がやってこないように気配を殺しながら静かに紅茶を啜っていること、10分。


 昼休みの終わりを告げる鐘の音が無情にも……いや、ここは有情にも鳴り響いて、彼女たちの微笑ましい会話を中断させてくれた。


「ふむ? もうこんな時間か。俺はこの後、当学園にお世話になっている御偉方に挨拶する予定があるから席を外すが……肝心の話がまだ聞いていなかった。簡潔に答えてやるから話せ、妹」


「……今週、生徒全員を対象とした身体測定がある。当然ながら女装をした唯も対象に入る。故に兄の女装経験から得られた助言、あるいは裏から手を回して欲しい。それぐらい出来るだろう、理事長殿」


 流石にお忙しい理事長の時間をこれ以上割く事はもう出来ないと肌で感じているのであろう茉奈お嬢様はいつも通りの男言葉で素っ気なく、けれども簡潔に要件を述べてみせた。


「身体測定、か。ククク! 懐かしいものだ。俺もあの3年の間、アレには苦労させられたからな」


「我が兄が妹に隠れて女装をしていたというのは流石に気色が悪いが、逆に言えば3年もの間、この私にも感づかれないほどの隠蔽工作をしていたであろうことは想像に難くない」


「ククク。良い慧眼だ、悪くない。無論、人生の先達者であるこの俺がやってきたことをお前たちに伝授してやろう。なぁに、もちろん業者の方にも手を回す。だが、この俺があの3年間に培ってきた必勝法を身につけさえすれば、菊宮唯の女装生活は盤石なモノとなるだろうよ」


「ほぅ。それは何だ、兄?」


「クハハハハハハハハハハハハハハハハ!!! 実際に女性の胸や裸を実際に見たり触ったり匂えばいい。これ意外と本当に効力が出るのだぞホント」


 ぱりん、と。

 茉奈お嬢様が持っていた高級そうなティーカップが床に落ちて割れる音が理事長室に響いたと同時に、お嬢様は顔と耳まで真っ赤にして、とっても可愛らしい悲鳴をあげていた。







「フ。まさか唯お姉様から直々に呼び出しを頂けるだなんて夢にも思わなかった。しかもこんな屋上で唯お姉様とお話出来るだなんて……フ。これは間違いなく告白イベント。分かりました結婚しましょう唯お姉様」


「大事なお話があって下冷泉先輩をここにお呼びしました。聞いてくださいますか」


「フ。結婚ね? OK。結婚するわよ唯お姉様」


「下冷泉先輩の……その……おっぱいを……! 僕に触らせて下さい……!」


「フ。――フ?」

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