嘘つきと、噓つきと、噓つきの、晩餐会(3/3)
下冷泉霧香は僕の幼馴染である。
それも僕が孤児院にお世話になっていた時からの幼馴染であり、10年も前の経験のおかげで昔の僕に初恋という感情を未だに抱え続けていてくれて――だけど、男という正体を隠そうとする僕にとっては、余りにも都合が悪すぎる存在であった。
だからこそ、敢えて僕は彼女との思い出の一品であるティラミスを作ってみせた。
君子危うきに近寄らず……と、言うけれども、だからといって自分自身の脅威から逃げ出すだなんてことはしたくないし、僕なんかの面倒を見てくださるお嬢様がいるというのに『安心かもしれない』で妥協してしまうのは許容しがたい。
これは主犯である僕の問題だけでなく、共犯者でもあるお嬢様の問題でもある。
だからこそ、完璧に騙さねばならない。
「……フ」
そして、下冷泉霧香は勘が良い節がある。
どんな隠し事をしていてもバレてしまいそうな、そもそも隠し事をしている筈なのにどうした訳か知らず知らずのうちに知っていそうな、そんな危うい雰囲気を醸し出している人間だ。
そんな彼女に『危険だから』という理由で近づかないことが逆に危険なのではないか……そう思わせるほどの人間であったからこそ、敢えてこちら側から近づくまでの事。
「……」
「フ」
いつものように薄ら笑いを零す彼女だが……正直なところ、僕自身、彼女の事を悪く思っているつもりは毛頭ない。
むしろ、あの時の男の子に対して初恋の感情を持ち続けているという一途な思いは尊敬するべきだと思うし、変態的な言動ばかりする所為で誤魔化されてしまうけれども、それとなく気遣いをしてくれる彼女を僕は好ましく思っている。
そもそもの話、いてはいけない存在は彼女ではなく、それは間違いなく僕の方だ。
だからこそ、僕は彼女を騙す必要性がある。
僕は女性であり、あの時の男の子とは別人なのであると彼女自身に――この上なく残酷な事なのだろうけれど――認めさせるのだ。
「おい君たち。勝手に喋って勝手に黙るのは実に構わないのだが、その美味しそうなティラミスをお預けされている私の身にもなってくれないか。こちとら、ティラミスが早く食べたくて仕方ないんだ」
僕自身が招いた結果とはいえ、一瞬の膠着状態に陥っていた食卓の時計の針を進めさせるべく声を発したのは茉奈お嬢様であった。
お嬢様は僕の女装を知っていて、いわばこちら側の人間であり、前々からティラミスを用いて下冷泉霧香が僕の偽を見破っているのかどうかの計画の立案者の1人でもある。
同時に茉奈お嬢様は僕という
誉れ高き百合園の一族にして天涯孤独の学生を保護する心優しきお嬢様という評価は一転して、自分の権力で男性を招き入れ保護者たちの信頼を裏切ったどころか歴史に名を残す百合園の名前に泥を塗った愚者として後ろ指を差されても何らおかしくないのだ。
「フ。ところで茉奈さんは食後の胃薬を忘れていないかしら。いつもいつも昼食を食べ終えた後は胃薬を飲んでいたけれど」
「心配無用。そもそもデザートをまだ食べていないじゃないか。まさか折角のデザートを前にして胃薬を飲めだなんて、先輩は実に意地悪だな?」
今も冷静に振る舞って綺麗な表情のままでいるけれども、お嬢様の心臓は僕以上に拍動し、いつも痛めている胃は更に痛くなっているのは見ているだけでも分かる。
――本当に僕たちはあの下冷泉霧香を騙し通すことが果たして出来るのか?
――下冷泉霧香は演劇部の部長を務めるような人間で、言ってしまえば嘘をつくことに関してはとんでもないほどのスペシャリストなのに?
そんな不安がどんどん湧いてしまいそうになるが、どうにかしてその気持ちを必死に押さえつけて表情に出ないようにする。
「フ。それはそうね。ごめんなさいね2人とも。つまらない事で話を長引かせてしまって。さ、早くティラミスを食べましょ?」
彼女がそう言うのと同時に僕は身体の震えを押し殺しながら、ティラミスが入ったカップを下冷泉霧香の前に1つ置き、同じ要領で僕とお嬢様の分を置いてから3人分の銀色のスプーンを食卓の上に並べた。
「予め作っておいたアイスティーとアイスコーヒーに、合わないかもしれませんが冷やした緑茶もあります。お2人はどうなさいますか」
「私は紅茶で宜しく頼むよ」
「フ。緑茶で」
……さて、僕はどの飲み物を選ぶべきだろうか?
下冷泉霧香と話せるネタが増える緑茶にするべきか、お嬢様の心理的な不安を解消させる為に同じ飲み物にするべきか、あるいは単純に自分の好きなコーヒーにして自分を落ち着かせるべきか。
美少女ゲームだったらこういうところで選択肢が出るよなぁと1人でに思いながらも、僕は自分の好きな飲み物であり、個人的にもティラミスと良く合うであろうコーヒーを飲む事にした。
「フ。ものの見事に全員が全員違う飲み物にしたわね。不思議ね、普通の家だったら別の飲み物を用意するのが手間だから全員同じ飲み物を飲むでしょうに、ここではそういうのがない。これが寮生活だと思うと今日入寮するという判断をして本当に良かったと思う」
「いやそれは家庭の数だけ違うだろう。少なくとも私の家は各々が好きな飲み物を飲んでいたぞ」
「フ。下冷泉家に百合園家の爪の垢を煎じて飲ませてあげたい。下冷泉家はそういうのにうるさいから、食後は絶対に緑茶かつ新茶。なんなら冷えたお茶なんて絶対に飲んだら駄目っていう謎ルールがある始末。どこの旧華族よ。旧華族だったわ下冷泉家」
「あ、でしたら緑茶は温めますか?」
「フ。それは家の中での話だから大丈夫。家の目がないところぐらい冷えた緑茶をハイペースでたくさん飲みたい。熱い緑茶だと一気飲みが出来なくて」
「分かりました。それでしたら冷えた緑茶を注いできます」
前々から用意しておいた冷えた飲み物たちが入っている容器をそれぞれ3つ取り出して、容器の取っ手を指で器用に持ちながら食卓の上に置き、食器棚にあった見るからに高級そうなカップを取り出してみると、下冷泉霧香はとても意外そうな声を出してみせた。
「あら、セーヴル。珍しい。国賓とかに出されるレベルの貴重品で幻の陶磁器って言われる代物よね。まさかこうして肉眼で見れるだなんて夢にも思わなかった」
「おや、分かるのか? ふふん、それは私のお気に入りでな。この前の誕生日で300万円のティーセットとして購入したもので……おい、どうしてそれをしまうんだ、君」
「割れたら怖いので別のモノにしましょう、お嬢様。壊してしまったら僕は弁償する能力が微塵もありませんので」
「そんな貴重品よりも、目の前にいる1人の方が大切に決まっているだろうに。まぁ、それならその食器棚の左から3番目、上から5段目……そう、その棚。そこから棚の茶器を出してくれ。ふふ、この茶器はイギリス王室御用達の……」
「安物の茶器はないんですか」
「私の含蓄の最中に口を挟むな。そもそも、安物なんてあるわけないだろう。ここは百合園家の管轄する邸だぞ。食事の時に使った食器だって決して安くない」
「フ。それは本当。今日、使った大皿だって確か明治初期か江戸後期に作られた食器じゃなかったかしら」
「ほぅ、中々見る目があるじゃないか。アンティークは私の趣味でな。特に明治時代の年代物は実に良い。大正時代も良いが……江戸時代と大正時代を割ったような異国感がある明治時代は中々どうして趣がある」
――調理中に皿だけは絶対に割ってはいけない。
そう心から決心した僕はお嬢様が教えてくれた比較的歴史的価値が浅いらしい茶器を恐る恐る取り出して、静かに飲み物を注ぐ。
別の意味で心臓がバクバクと脈立った訳だけど、ある意味ではよいカモフラージュになったのではないのかと好意的に考えた僕は絶対に割らないという心づもりで各々方に茶器を置いたので、思わず嘆息をしながら僕も椅子に座る。
「フ。ところでお姉様が今座った椅子も軽く10万はするような値打ち物よ」
ニヤニヤととても嬉しそうな笑みを浮かべながらそんな事を言ってくる彼女の所為で、どうしようもないほどの悪寒に襲われてしまう僕に「流石に10万はしない。せいぜい5万ぐらいだ」とお嬢様が全くフォローにならないフォローをしてくれた。
幸か不幸か、僕が庶民であるという事だけは隠していなかったので、下冷泉霧香が僕の取り出した法外な値段の茶器によって緊張してしまったというアピールを知らず知らずのうちに出来てしまった。
皮肉な事にも、警戒すべき下冷泉霧香の観察眼に僕自身が助けられてしまった訳なのだけど――さて。
「お待たせしました皆さん。それじゃあ食べましょうか、ティラミス」
そう僕が口にしたと同時に彼女たちは静かに、けれどとても華麗で優雅な立ち振る舞いで銀色の匙を手にすると、各々がティラミスを掬うとそれをぷるりと膨らんだ唇に近づけると、静かに口の中に入れてはゆっくりと咀嚼した。
「……うまぁ……」
先に反応を示したのはやはり茉奈お嬢様であった。
彼女は下冷泉霧香の反応を見て、色々な判断を示さないといけないだろうにあろうことか彼女は目を閉じてティラミスの味を楽しんでいる始末であった。
いや、まぁ、作った身としては最大級に嬉しい行いではあるのですが。
「…………」
その一方で下冷泉霧香もまた目を閉じて、ゆっくりと何回も咀嚼を繰り返していた。
まるで昔の味を懐かしむような――いや、あの表情は遠い昔に食べた思い出の味と、今こうして食べている味を比べている時の表情そのものだ。
何度も何度も姉に料理を作って、以前に作った料理よりも美味しくなれているかどうかを姉の横顔をまじまじと覗き込んで観察に観察を重ねてきた僕だからこそ、いや、料理を作り続けてきた人間だからこそ、その表情には心当たりがある。
あの時、業務用スーパーの買い物を終えた後の公園で一緒に食べた時には見せてくれなかったその顔は、言葉を発していないというのにとても雄弁だった。
「…………」
下冷泉霧香はお嬢様と違って、すぐには感想を述べなかった。
いや、正確にはまだ述べるつもりがないのか、はたまた述べる余裕すらもないのか……或いは述べるつもりすらないのか。
彼女はひたすら無言のまま、銀色のスプーンを操って、ひたすらにティラミスを食べ進め、ついにはティラミスを完食してみせたのであった。
「フ。2番目」
「え?」
今までだんまりであった彼女がいきなりそんな言葉を言い出したものだから、僕は思わず驚きの余りにそんな声を出してしまっていた。
「フ……ごめんなさい、唯お姉様。唯お姉様は結婚するぐらいに好きだし、唯お姉様が作ってくれたティラミスも美味しかったけど、どっちも数字にして2番目」
「……それは、どういう……?」
「あらやだ。皆まで言わせるつもりだなんて唯お姉様ったらドSで素敵。買い物帰りに話したと思うのだけどね、私の初恋事情」
いつものような薄ら笑みを浮かべて。
だけど、どこか物寂しそうな笑みさえを浮かべている彼女は空になった容器にスプーンを投げ入れると、優雅な動作で紅茶用の高級カップに注がれた緑茶を飲んで見せた。
「フ。正直に告白すると、私は唯お姉様と初恋の男の子を結び付けていたの。勝手にね。性別がそもそも違うけれど、髪があの子と同じ銀髪だったから……失礼な話だとは思うのだけど、私は唯お姉様を通してあの子を見ていたの」
やはり、彼女はあの日の僕と今の僕を結び付けていた。
過去の自分と今の自分の大きな差異は『性別』であり、彼女が優れた観察眼が見落としてしまったのもまた『性別』なのであった。
「だけど、うん。このティラミスを食べてよく分かった。あの子と唯お姉様は全くの別人。だって唯お姉様のティラミスはとっても美味しいのだから」
彼女が真実を誤認したという事実に僕は安堵の感情を覚えるのと同時に、形容できないような後悔に似た感情が胸の中で渦を巻いた。
その男の子が僕なのだと口を大にして言いたい気持ちも、無くはない。
だけど、僕の危険な生活を盤石なものにしたいという打算的な思いの方を勝らせる必要があるのだと、理性が主張している。
そして、その理性の叫びはどうしようもないほどに正しかった。
だって、女学園に、女子寮に、男がいて良いだなんていう話はあってはならないのだから。
だから、僕の理性の叫びはどうしようもないほどに間違えていた。
「私はあくまであの子の作ったティラミスが1番好き。どんなに料理が上手な人が作ったとしても、どんなに優れた具材で作ったとしても……私はあの時に食べたティラミスが世界で1番好き。それだけは下冷泉霧香として譲れない。だけど、勘違いしないで」
「……勘違い?」
「そう。そもそもが違うの。私の好きなティラミスは言ってしまえば思い出補正がかかった味。比べようにも比べようがない味で、どんなティラミスであろうとも勝ちようがない味。それこそ、下冷泉霧香としての記憶を失わない限り永遠に変わらない味。だから、唯お姉様と色々と条件が違いすぎるのよ」
「それは、そうかもですけど」
「もしも、唯お姉様が今作ってくれたティラミスが最初に食べた味だったらそれは間違いなく思い出の味になっていた。それだけは誤魔化さないけど、今は唯お姉様が1番大事」
「……それは、どうして?」
「フ。その男の子は今、目の前にいないからよ」
といつものように不敵な薄笑いを浮かべる彼女はそう口にしながらも、目の前にいる僕を母性溢れるような柔らかくも温かい視線で見てくれて……僕は思わず胸が高鳴ってしまった。
「……フ。私のキャラじゃない話をしたけど好感度は稼げたと思う。という訳で世界で2番目に美味しいティラミスを作れる唯お姉様は今後ともこの私、下冷泉霧香と仲良くしてね。女同士、仲良くしましょ?」
かくして晩餐会は終わりを告げた。
僕と茉奈お嬢様の目論見通りに進み、考える限りの最良の結果を迎えた僕らは下冷泉霧香が御馳走様の挨拶をして退室したのを見送ってから、大きすぎる溜め息を吐き出し続けたのであった。
これで僕たちに一先ずの安泰が訪れるに違いないと、確信してならなかった。
◇
「……フ。何の用かしら?
『独断による調査の結果、菊宮唯は男であると判明しました』
「――フ。あらやだ面白い冗談」
『冗談ではありませんよ霧香お嬢様。菊宮唯という人物が不自然であったのであの手この手で調べました。彼の過去をまとめた推定の履歴書をPDFとして送信させて頂きます。どうかお目通しの程をお願いします』
「フ。葛城は有能ね。だけど、しなくていい。菊宮唯が男性っていうのは、とっくの昔に気付いてる。それを知った上で私は彼と暮らすつもりだから」
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