第14話 目撃

さん近いです……」


 帰り道は、唯花ゆいかが一緒に帰りたいと言い出したので同じ道を辿ることになった。

 その道すがら、唯花ゆいかは「こっちのことは名前で呼んで」や「手繋いで」など色々とスキンシップを求めてきて、現在の衣織いおりは若干引き気味である。


 繋いだ手(唯花ゆいかが一方的に恋人繋ぎにしてくる)はなかなかに固く、衣織いおりの腕力では解くことができない。

 肩と肩が結構頻繫にぶつかる距離。

 信号待ちのタイミングなどで、唯花ゆいかが妙にすり寄ってくる。くっつきたがっているというか、甘えたがっているというか……彼女のほうからスキンシップを求めてきているのは確かで、衣織いおりはそれを躱すことはできない。


唯花ゆいかさん……」

「……」


 また、唯花ゆいかのスキンシップは独特である。

 手を繋ぐ、距離を詰める、そういった普遍的な接触は当然しているのだが、その間、つまりは衣織いおりに触れている瞬間は、一切喋ることなく彼女の肌や髪の感触に集中しているといった感じだった。


 触れているほうは、ただただ不安である。

 超不安である。


 さっきから距離だけは近いのに、二人の間に一切の会話が生まれていない。

 衣織いおりが「唯花ゆいかさん……?」と引き気味に尋ねるたびに、一瞬だけ目が合うがすぐに逸らされて、唯花ゆいかの集中は彼女の肌に吸い込まれる。


 衣織いおりは、ただ一方的に触られるのみである。



 ふと、唯花ゆいかが名前を呟いた。

 ようやくコミュニケーションが取れた、と結構嬉しく思う衣織いおり

 この際だから、もうちょっとお触りを自重してもらおうかと考えてしまうあたり、彼女はまだ唯花ゆいかという一人の女の子に慣れていない証拠である。


 唯花ゆいか衣織いおりの前髪を撫でながら言った。


衣織いおり。あなたってもしかして、タイプ?」


 え、なに急に。

 唐突な質問に、衣織いおりは固まり、どう答えるべきか考えていた。


 ……そ、そりゃあ、私は今まで友達ができたことなかったんだから、もちろんそれ以上に踏み込んだ恋人なんてできたことないですし。

 恋人いない歴=年齢ですし。しょ、処…………経験なんてないですし。

 …………そう考えると、私、かなり重いかもしれない。

 

 そんな思考でいると、自分に魅力がないのかもしれないとか、そういえば先月二キロ太ったんだっけとか、夜更かししてるせいで肌もクマもすごいし……とかどんどんネガティブな方向へ流れていく。



 ――そもそも、私は恋人がほしいのだろうか?



 ふと、そんな自分への問いが降ってきて……

 すると、瞬時に私はが浮かんできて、

 だから、思わず「え?」と大きな声で自分に疑問符を投げかけた。


「え、ってどうしたの急に。の話だよ。衣織いおりちょっと前髪重いタイプなのかなって思ったの。これって、伸びたとき大変でしょ。どっかりおでこと目元に乗っかっちゃうし、お風呂のときも毎朝のセットも大変だろうし」

「えっ、あっ、ま、前髪の話!? びっくりした、そっちの話か……」


 嚙み合わない会話に、今度は「え?」と返したのは唯花ゆいか

 けれど「なんでもないっ! こっちの話!」と焦った様子で制されて、言及する余地はなかった。


「そ、そうなの。昔からなの。もうずっと髪がもっさりしちゃうタイプで、美容師さんにも迷惑かけたなあ……」

「今度いてあげようか? たまに那智なちのも由香ゆかのもやってあげてるし、自分でいうのも難だけど結構上手いよ?」

「え、本当? 全然自分でやったことないから是非……」


 その女子生徒の名前がふいに唯花ゆいかの口から出るとは思わなかった。

 衣織いおりは脳裏に浮かんだ彼女の顔をどうにか振り払って、唯花ゆいかには悟られないように平静を保ってみせる。


 が。


「……どうしたの衣織いおり。耳が赤いし、何か思い詰めた目してるけど」

「うえっ!? ななななんでバレた!?」


 身体は正直である。

 ビクビクと震え、あわあわと口元が勝手に遊びだす。しかも「バレた」と自分で言い出してるあたりがなんとも間抜けである。


衣織いおりって嘘つけないタイプでしょ。すぐに態度に出るもんね。まあ、何がバレたのかは聞かないでおいてあげるけど」

「うう……これも昔からなんです。正直すぎるっていうか、冗談も通じないっていうか……。このせいで私友達できなかったまであります……」

「そうなんだ。でも、今は友達ができた。だからその性格も案外悪いものじゃないかもしれないよ?」

「どうでしょうか……。高校卒業した後も人間関係に失敗しそうで怖いです……」

「失敗したなら、こっちに戻ってくればいい。こっちは衣織いおりを見捨てるようなことはしないから」


 凛とした声だった。

 唯花ゆいかは優しく頬を撫でると、その言葉が衣織いおりの胸にじんと伝わってくる。

 

 ゆっくりと目を瞑って、その優しい言葉の輪郭を辿って、内部に触れて、核を咀嚼する。温かくて優しくて、どこまで衣織いおりを肯定してくるその言葉の。


「嘘がつけない衣織いおりも、可愛いと思うよ」


 目を瞑った世界で、唯花ゆいかの声が聞こえた。

 それと同時に、唯花ゆいかがこめかみを撫でて、その手つきのままで顎元にも触れてくれる。安心する。心地よいと思う。その言葉を、自分の心の大事な場所にずとずっとしまっておきたくなる。


 衣織いおりは、ゆっくりと目を開く。

 その言葉を一心に受け入れ、後ろ向きな自分を振り向かせるには充分すぎる時間があった。


 目を開けば、唯花ゆいかの顔がそこにある。

 彼女も自分と同じで目を瞑っており、優しく衣織いおりの顔に手を添えていて、控えめに唇をすぼめていて、少しずつゆっくりと顔を近づけてきていて――


 え。

 なにこれ。


 唯花ゆいかさんの切なそうな顔が、だんだんと自分の顔に近づいてきていて、というか、なにこの手、私を微かに上を向けるように持ち上げていて、それは唯花ゆいかさんの高い身長に合わせるためだ、と察せられる。

 そんなことを考えている間にも唯花ゆいかさんの顔が近づいてきていて、もうほとんど互いの呼吸が意識できるぐらいの距離だ。


 ――あ、キスだこれ。

 そう衣織いおりが長々と状況確認をしたなかで、察したのはそんなこと。

 

 唇と唇が接近していく。

 驚いたのは「キス」と認識した途端、抵抗することもなく自分からもそれを求めて彼女の口元に近づいていったことだ。


 衣織いおりはこのとき、もうほとんど理性的でない。

 なんの脈絡もなく唯花ゆいかが求めてきたキスに、ただ応えるだけ。


 唯花ゆいかは目を閉じたままで、衣織いおりは再び目を閉じて。

 二人はやがてひとつに――



「あああ――っ!? なにやってるのおおおおお――!!!」



 二人が雰囲気ぶち壊しな声に振り返ると、そこいたのは、今にも泣きそうな表情で唯花ゆいかを睨んでいる妹――湯崎智由梨ゆざきちゆりだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る