山脈越えの飛行機体は、ぼうすいけいをした胴体部分に操舵席が埋め込まれたつくりをしていた。

 左右に延びた翼部をも含めると、年の瀬にすいを乗せて飛行した機巧より随分大きい。

 それでも、小回りが利きやすいようにはしてあった。


 胴体部分の下部には、三つの車輪が付いている。

 飛行の際は、これらを用いて滑走し、勢いづけてから離陸する。


 滑走のためのそうは木組みで、十九禁門の上部から、禁苑に向かって張り出すような恰好で作られていた。

 ゆったりと幅広の、歩いて渡りきろうと思えば一分はかかる程度の長さのものだ。


 最後の一機を確認し終え、は、走路の下の錘主たちに手を振った。


「異常なし。──いつでも出発できるよ」


 視界を遮るものはない。

 走路からは、うすら闇をまとった禁苑の耕作地が存分に見わたせた。


 産毛のごとく降りた露。網目のように張り巡らされ、さらさらと流れる無数の水路。

 本科塔には、二、三の明かりが灯っていた。


 青紫に潤んだ天涯山は、未だその稜線が定かでない。

 けれどもよくよく目を凝らすと、薄っすらと白んでいる端があるのが見てとれた。


 錘主はひょいと肩を竦めた。

「ならば、よい時宜に出発してくれ。──くれぐれも、気を付けてくれよ」


 後半の一言は、彼にしては珍しく真摯だった。


 頷き返して、果朶は、錘主の後ろを確認した。


 そこには、一等書記官のうわぎをまとった彗翅が緊張の面持ちで佇んでいる。

 唇は真一文字に引き結ばれて、張り詰めた眼差しは、わずかの間も逸らすまいとじっと果朶に注がれていた。


 彼女に向かって、果朶は微かに目を眇めてみせた。


 それから、天涯山に向き直り、大きく息を吸い込んだ。


 水の匂いと、瑞々しく息づく幼苗の香り、それらをはらんだ冷たい空気が、いっぱいに肺腑を満たした。


 最果てに横たわった山脈は、大地の威容の象徴で。


 見れば見るほど、峻厳になるようだった。


 ……──恐ろしい、とふと思う。


 それでも、飛ばずにはいられなかった。

 どんな懸念も、この衝動を止めることができないことを、果朶は十分自覚していた。


「空路は頭に入ってる? かっこうふうを遡上した後、せいおんいきに突入する。それを抜けたら、天涯気流。操舵補助は、現在位置を見失わないように気を付けて」


 尋ねた果朶に、技術官たちは、ある者はああと静かに、ある者は任せて! と勢い込んで頷いた。


 飛行機体には、二人一組になった技術官たちが乗り込むことになっている。

 役割はそれぞれ異なり、一方は大気を形づくる游子の動きを見定めつつ操舵、もう一方は、通常の視界で周囲の状況を確認しながら操舵の補助だ。


 走路の先頭に停まった機体から順に、操舵を務めるのは果朶、おうはく、操舵補助はぼうえんとなる。


「言っておくけど、無理だけは禁物ね。危険を感じたら、引き返すなり待機なり、最も余裕があると思われる選択をすること。……最後に聞いておきたいことはない? 実は具合が悪いんですって人は?」


 五人と順に目を合わせ、そこに物言いたげな色が浮かんでいないことを確認すると、果朶はきっぱり宣言した。

「俺のところは、五十秒後に滑走を開始する。あんたたちも順次続いて」


 了承の言葉を返し、技術官たちは各自の機体へ散っていく。


 果朶は、操舵席に腰を下ろした。


 視界が変わった。

 すぐ目の前にある機体の頭部と、左右に延びるすらりとした両翼に、離陸の実感が込み上げる。

 焦点を汽界に移せば、天涯山を吹き降りる、ゆったりとして穏やかな游子のうねりが見てとれた。


「十秒前。……八、七、六……」


 雨禾が秒読みを開始する。

 紫がかった、どことなく古風な風合いの蒼の遊子のうねりを見据えながら、果朶はそれに耳を澄ませた。


「……三、二、一。出発──……」


 ペダを踏むと、見る見るうちに、蒼の遊子がこちらに向かってやってくる。ゴーグルにぶつかって、果朶の視界を埋め尽くす。


 蒼、蒼、とにかく蒼だ。


 まるで、その色彩の中へと吸い込まれていくようだった。


 抜けた、と思った瞬間、浮遊感がやってきた。

 飛行機体が走路を離れて、禁苑上空に飛び出したのだ。



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