10


 流砂を掻き分け、は、いなづまに近付いた。

 そこで初めて、己の身体を思うように動かせるようになっていることに気が付いた。泥に埋まっているにも拘わらず、どういうわけだか、不自由なく呼吸ができているということにも。


 腕を伸ばして、透明ないなづまの表層に触れる。

 存外に、しっかりしていた。ざらざらとした、身の詰まった感触だ。


 垂直方向に延びる透明ないなずまは、地表の側は太さがある一方で、地底へと近付く毎に徐々に細くなるようだった。


 いなづまの正体を判じかね、果朶はしばし考え込んだ。

 めつすがめつ、透明な游子たちを観察し、ややあって、果朶は、更に微細な金の粒子がその輪郭を縁取っていることを発見した。

 金の粒子は、果朶がこれまで数え切れないほど模写してきた、特徴的な同心円状の構造を描いている。


 ……ひくり、と果朶の喉が微かに鳴った。

 じゅの根だ、と理解した。


 じょうに分岐を繰り返す透明ないなづまは、さいに沈んだ、綺羅樹の下側半分なのだった。


 果朶が見定めてきた植物には、透明な游子によって形作られていたものはなかった。それでもこの同心円状の構造と、掌に伝わってくる感触は、間違いなく樹木の根そのものだ。

 信じがたい思いのまま、手元に視線を落とした時、ぱきり、と硬い音がした。


 果朶は、あっと息を呑む。

 知らず知らず、力がこもっていたらしい。

 あるいは元々、脆くなっている箇所だったのか。

 呆気なく剥がれた綺羅樹のへんが、果朶の掌に載っていた。


 根幹部から剥離した金の粒子は、淡い明滅を繰り返す。

 次の瞬間、瞬きはふっとにわかにかき消えた。ざらついた感触は見る間に薄れ、滑らかな、むしろすべすべとした手触りに変化する。

 果朶の手に残ったのは、青みがかった黒い影だ。

 果朶は、咄嗟に混乱した。


 ──しょうが、何故ここに。


 そう思うと同時に果朶は、透明ないなづまに爪を立てて、綺羅樹の根の表皮を次から次へと引き剥がしにかかっていた。

 剥離した表皮は数秒の間を置いて、未明の空のような色をした晶石へと変化する。どれもこれも、一つとして例外なく。

 地中に散らばり、銀の流砂にゆるやかに押し流されていく綺羅晶を呆然と眺めながら、果朶はようやく理解した。


 綺羅晶とは、綺羅樹の遺体が成るものなのだ。


 果朶たちが、日々せっで編んでいる乳白色の晶汽もまた、綺羅樹がその身から零した剥離片であるに違いなかった。


 けれども、綺羅樹が育つのは斎湖だけではない。天涯山にも生えるのだと、ぼうが果朶に教えてくれた。

 にも拘らず、天涯山では綺羅晶が採掘されない。

 何故だろうか、と果朶はふと疑問に思う。


 天涯山の綺羅樹には毒性がなく、足場も斎湖ほど悪くはない。産出すれば、利点は決して少なくないのに。

 果朶は再び、透明ないなづまにまじまじと目を凝らしてみた。

 そして、輪郭を縁取る金の粒子が、絶えず移動していることに気が付いた。


 彼らは、地中から地表へとするすると昇っている。だが、その動きにあまりにも絶え間がないせいで、静止して見えるのだ。


 ……そう言えば、あの金の粒子は、一体何の遊子だろう。

 少なくとも、水ではない。

 植物の構造を認識する時、そこには大抵、根元から吸い上げられた水の游子が混在しているが、金の粒子はそれではない。


 そもそも、作り自体が異質なのだ。


 あらゆる游子は、核となる游子を持つ。その核に引き寄せられた小さな游子が集まって一つの構造を構成し、更にその構造同士が、引き付け合ったり反発したりと作用しあって万物を形成するのが基本だった。

 しかし、金色をした粒子の中たちに、核としての役割を担っているものは一つとして認められない。


 ──知りたかった。


 あの金の粒子は、何なのか。


 死した綺羅樹の根に、游子の構造を模倣すれば運動を再現するような力があるのは、何故なのか。


 果朶は、地底を見下ろした。

 遥か先まで沈殿している銀の砂塵の美しさに、感嘆と畏怖の念が込み上げる。けれどもやはり、好奇が勝った。


 首をゆるりと左右に振って、果朶は、綺羅樹の根を頼りに、斎湖の底へと降下し始めた。足先で泥を押し退け、手を少しずつ下へとずらす。


 下がれども下がれども、息が苦しくなることはない。それどころか、ほのかに熱を帯びた泥砂が、果朶の身体を温めて励ましてくれるかのようだった。

 

 やがて、耳鳴りがし始めた。


 轟々と、耳の奥で遠吠えに似た声がする。目や頭がずきずき痛んで、何度か眼前が白く染まった。

 縋り付いた綺羅樹の根は、下り始めた当初と比べれば、確実に細くなっていた。



 ……──気が遠くなりそうな時間の後で、果朶はようやく、それを見た。



 金の大河だ。


 禁苑に張り巡らされている水路とも、天涯山に流れている川や滝とも、比べ物になるべくもない。

 その雄大さの前には立ち竦むしかできないほど、途方もなく広い河が、遥か下をゆったりと流れている。



 気高く、静謐な河だった。


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