25


「……家のことも、調べてみた方がいいのかも」


 ぽつりと呟いたに、はくは怪訝な顔をする。

 すいも目を見張ったが、すぐさまに、『異邦の天才』を育てた奇才が、娥家の相談役をも務めていることを思い出したらしい。

 果朶の発言の意図を心得た様子で、同時に、どこか気遣うような面持ちで頷いた。


「分かりました。人の命がかかった依頼なら、しゅの所属している組織に対して、少なくない額が支払われているはずです。なんらかの名目で、娥家の帳簿を改めてみましょう」


 彗翅の応えに、果朶は、静かに目を閉じた。


 ……助かった。

 こうの慈愛を、正しさを、疑わなくてもいい名目が得られて助かった。

 そう、思っている自分がいた。


 もしも己を害そうとしたのが夜行なら、果朶は今度こそ立っていられなくなってしまう。なにを信じて生きればいいか、分からなくなってしまう。

 彗翅やウィ使が結論を持ってくるまで、猶予を稼ぐことができたのは、果朶にとって幸いだった。


 地下室にはここ数日間、ぼうの指示に従って彗翅や門守が薬舗から買い集めてきた薬草やら何やらの、香辛料めいた香りがむせ返るほどに満ちていた。

 それでも果朶は、乾いた木片を思わせる、穏やかな先生の香をありありと知覚できるのだった。


 ──『青磁の香炉で焚く香が、失明に導く煙を生むと、じゅは知っていたんじゃないかな』

 ──『漓師儒の汽界に異常はない。「青磁の香炉で焚いてはいけない」って知っていなくちゃ、回避し続けることは難しいんじゃないかな?』


 瞼が、引きつったように細かく震える。

 呼吸は、花びらがすくえる水のかさより浅くなって、果朶は、そのことを彗翅たちに悟られないようにするために、肩や腹に必死に力を込めなければならなかった。

 咒豆や煙草の件は一旦脇に避けるにしても、が提示した可能性は、確かに筋が通っている。

 先生は、夜行を敬愛している果朶であれば、もらった香炉をあえて使わないでいることもしないだろう、と見当が付いていたはずだった。


 誰かに、助けを求めたい気分だった。

 それでいて、果朶は、なにからの助けを求めているのか、どうなることが救いであるのか、微塵も分からずにいるのだった。


 十五年も前の記憶が、鮮やかによみがえる。


『久しいね。──私のことを、覚えているかい?』


 天涯山で夜行に発見されてから、果朶は、しばらくすいぐうに滞在していた。高熱もさることながら、骨折もまたひどかったからだ。

 歩けるまでに回復を遂げた頃には、自分を見つめる周囲の目が、困惑と畏怖を含んでいることに気が付いていた。物陰から果朶を窺い、ひそひそと囁き合う者すらいたほどだ。

 ──あの得体の知れない異邦の子どもを、これからどう遇したものか。

 彼らの声が、耳に届くようだった。


 鬱屈とした日々を切り裂いて、ほうきぼしより美しい白銀の弓矢のごとく、夜行は再び果朶の目の前に現れた。


 錘宮の一室で、果朶を認めた夜行は、まるで眩しいものでも眺めているかのようにくっきりとした睫毛に縁取られた目を眇めた。


『……お前はやはり、私を見ても、驚くことはおろか、気味悪がりもしないのだね』


 果朶には、いっかな分からなかった。

 天涯山で差し出された夜行の手は、力強くて温かかった。


 そんな人を、一体どうして気味悪がれるというのだろう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る