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「煙草売りの行方は、ウィ使に追わせている最中です」


 地歴九百二十一年、十一月十八日。


 すいは、地下室に下りてくると、微かな声でに告げた。

 果朶の顔を見ることを怖がっているかのように、終始目を伏せていた。

 自らの企みが露見してから、彗翅はほとんど、以前の明るさを失っている。


「聞き込みの結果、煙草売りは、六月の下旬からしゅと名乗って、中層域に家を借りていたことが判明しました。荷を背負い、煙草を売りに行く姿をよく見たと、近所の者たちも証言しています」


 ウィ使は、錘宮の管理下から一切外れたすいしゅ直属の官吏のことだ。

 錘宮官吏たちの不正を摘発することを職務とし、法の下に常設が定められている。けれども歴代の錘主の中には、実際には動かさなかった者も多かった。


 ここ最近は、繡衣使道という役職名すら、人の口には上らない。


 当代の錘主も、きっと形だけの設置だろうと果朶は踏んでいたのだが、裏では活用していたらしかった。


「この数週間、咒豆は家に帰ってきていないようです。中を見せてもらいましたが、布団が一式あるきりでした」


 果朶はその時、やたらと棘が多い深緑色の香草に点火しようとしていた。

 その香草の、燃え殻の遊子のつくりを模写して欲しいと、ぼうから頼まれていたのだ。

 手を止めて作業机に頬杖をつくと、向かい側に佇む彗翅を真っ向から見上げる格好となる。

 束の間交わった二つの視線は、しかし、彗翅が俯くことであっけなく解かれた。


「……あっそう。ってことは、その咒豆って煙草売り自身が家で煙草を作ってたとかじゃないんだ? 中層域に来る前は、どこにいたわけ」


 溜息を吐きたい気持ちを堪えて、果朶は尋ねた。

 彗翅が、良心の呵責と罪悪感に苛まれていることは分かっている。

 それらの感情が多大なあまり、どうやって表現するのが相応しいのか、正解を見付けられずにいることも。

 心が、自責の念で雁字搦めになり、どうにもこうにも立ち行かなくなっていることも。


 果朶が気にしていないと言おうとも、彗翅はそれを信じなかった。


 一旦腹を割って話し、彗翅の心を縛る糸を解いてやればいいのだろうが、果朶自身、それができるほどには気持ちに整理が付けられていなかった。


 ──『万年二位の異邦の天才』。


 果朶の誇りも自尊心も、そのあだに沿って芽吹き、育った。

 絶対的だった梯子を外されたその後も、夜にはなんとか眠りに就いて、朝陽を浴びて瞼を開けるということを繰り返し続けられたのは、決して果朶が強かったからではない。

 しるべもなく生きた日々は、杜撰に処理できるものではなかった。


 年上ならば譲歩すべきと分かっていたが、割り切ろうと試みても、鉛のように飲み下せないものが喉に詰まった心地になるのは止められなかった。


「それはまだ調査の段階なのですが、彼の所属に見当は付いています」

 彗翅の言葉に、果朶ははたと我に返った。


 二人の隣の机では、はくが薬研で薄紫色の花びらをすりつぶしている。

 生花に特有の青い香りが、果朶の鼻腔をくすぐった。


「果朶さまが訪れていた、下層域の賭場がありますね? あそこは、人には言えないような頼みごとを引き受けてくれる場所なのだと、以前、げっかんの方々から伺いました」


 思いも寄らない話題を出されて、果朶は眉をはね上げた。


 ──たんこうしょうの粉末を含んだ煙草を売ることも、果朶やを害することも、確かに『人には言えない頼みごと』の部類に入る。


「まさかしゅも、あの賭場の連中の一人ってこと?」


 果朶は、先生に小切手を届けてもらうべく、月に一度は賭場に通っていたが、あの煙草売りを見掛けたことはない。

 訝しく思っていると、彗翅は首を横に振った。


「いいえ。賭場のご主人は、泣きほくろのある青年は自分たちの仲間にいないとおっしゃっていました。それに唯一、殺しだけは請け負わないのだとも。また、自分たちは関わりを持っていないが、人には言えない頼みごとを引き受ける組織は、上層域にもあるのだと」


 果朶が持ち込んだ給金を、いつも小切手に換えてくれる痩躯の男が賭場の主人だ。

 声をひそめた彗翅は、解説を続ける。


「実は、あの賭場は、錘主や私と協定を結んでいるのです。私は以前、あそこの表で危ない目に遭いました。果朶さまに助けていただきましたが、だからと言って、人の衣を剥いで売ろうとする者を、野放しにはできません」


 果朶は、眉をはね上げた。

 彗翅の言う一件は、果朶が、錘宮へのしょうの融通を決める契機となった出来事だ。


 もしやあの一幕も彗翅による演出だったか、と果朶は咄嗟に危ぶんだが、それは杞憂のようだった。


「後日、繡衣使道たちの助力の許、彼らの身柄を確保しました。すると、彼らもまた、賭場のご主人の仲間であると分かったのです。素行不良が目立つため、周囲は手を焼いていたのだとか……。錘主と相談した結果、その一件を不問とする代わりに、ご主人には下層域の情報提供などで我々にご協力いただくことになりました」


 自分の知らないところで、そのような取引が行われていたとは。


 果朶は、呆れと感嘆が綯い交ぜになったような思いだった。


 めい家の令嬢を危険に晒したことが法の下に露見すれば、厳罰は避けられない。

 賭場の主人には、最初から選択肢などなかったに違いなかった。


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