第四章 野辺送りは雨
1
吹き付けた強風が、炊事場の窓をがたりと揺らす。
まるで物盗りかなにかに思えて、
咳き込みそうになるのを我慢して外の様子を窺ったが、
ほっと息を吐いたその時、げほりと嫌な音が漏れた。
こうなったら、ただ収まるのを待つしかない。
やっと落ち着きを取り戻す頃には、息も絶え絶えになっていた。
よろめきながら、雨禾は
先日、
朝、冷たいものが飲みたい、果実のしぼり汁かなにかが良いと訴えるのを、急に言われても用意がないと宥めていると、不意にえずいた。
止まらない
──この冬を、越せない娼婦が出てくる可能性を、考え始めなければならなかった。
梅は、月季館の娼婦の中でも比較的早い時期に喉に違和感を覚えていた。最近は『喉が痛くて嚥下がつらい』と、食事を厭うまでになっている。
『
ただ『秋風邪』とだけ呼ばれていたこの症状に、そう仮称を付けたのは本科二類だ。
十月の末になって、
官吏たちは、物価の高騰や
咳嗽症の全容は、未だ解明されていない。
しかし、雨禾が発症した反面
炊事場の勝手口が、二度、三度と叩かれた。
雨禾ははたと顔を上げた。
先ほど物盗りを警戒したのは、決して気が弱くなっているせいではない。
物価の高騰に咳嗽症。民の生活が苦しくなるに比例して、強盗は増えていた。
雨禾が逡巡していると、その人影は勝手口に手を掛けた。
「なんだ、誰もいないのか? ……っと、大丈夫か。死にそうな面してんぞ、お前」
ぜぇぜぇと息をしながら卓に掴まり、腰を浮かせている雨禾の姿に、来訪者は隆々とした黒い眉をはね上げた。
がっしりとした顎には無精髭が散り、左眼を潰す格好で、傷跡が走っている。
いかにもな悪人面に、雨禾は目を見開いた。
「確か、……〈
雨禾を圏椅に座らせて瓶から水を汲んでくれながら、凜はおうと肩を竦めた。
「今日は代理だ。
ああ、と雨禾は頷いた。
果朶はここ半月ほど、下層域に戻っていない。
飛行技術の開発から手が離せないのだと聞いていた。
「会っていく? 彼女も概ね、僕みたいな症状だけれど」
現在は下火になったが、十月末には、下層域でも飛行計画が話題に上った。
もっともそれは、好意的なものではなく『そんなことをしてる暇があるのなら、とっとと秋風邪の対策をしろ』という批難だったが。
「ああ、後でな。先にお前に用がある」
水を注いだ椀を目の前にどんと置かれ、雨禾は咄嗟に戸惑った。
凜が自分に用事とは、これいかに。
続きを言おうと口を開き、しかし凜も咳き込んだ。
雨禾ほど重くはないものの、やはり咳嗽症らしかった。
「覚えてるか分からんが、お前、ちょっと前に頼み事をしに来たろ。果朶には秘密で、香の成分を調べて欲しいと」
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