3
凜が怪訝そうに果朶を見る。
飛んできた一羽の鳥が、廻廊の欄干に留まった。
「最初はさぁ、一目惚れだと思ったんだけど」
よくある話だ、と思った。ちょっと綺麗なものを見たせいで、熱に浮かされたようになったのだろう、と。
「の割には、めげないじゃん? けどさ、本気にしては軽すぎるよね。中身ごと好きっていうなら、あんなに軽々に結婚だのなんだの言えなくない? っていうかまず、俺、あの子に対して態度が悪いし」
いっそ好意は演技であり、自然に〈
婚外子であるとは言え、
考え込んでいる
「本人に聞けばいいだろ。おーい、嬢ちゃん。果朶から話があるらしいぞ」
窓からは吹き込んでくる風は、温風と言っても差し支えないほどだったが、彗翅の周りは不思議と涼しげな雰囲気だ。爽やかな青の上衣のせいで、そう見えるのかも知れない。
「いや、話はないよ。俺も糖水、もらっていい?」
彗翅は嬉しそうに微笑んだ。
「勿論です! 今ならおまけで、私というお嫁さんも付いてきますよ!」
「それはいらない」
「分かりました! また、次の機会にもらってくださいね!」
再び〈望淵〉の扉が開いて、
右手に長煙管、左手に木の
「ざっけんじゃねぇや……〈
絶望の表情で、奥の間へと消えていく。〈東濠〉との折衝が増える夏場は、厭朱も珍しく弱っている。
よく冷えた桃の蜜で白玉と小豆を浸し、
◇
恋だの愛だの、苦手だった。
ふらりと入った
果朶の襟首を引っ掴んで、甲高い声が叫ぶ。脂粉のひどい匂いがする。
『あんたのせいよ! あんたを養子に引き取ってから、あの人は、私に目もくれなくなったんだわ!』
あるいは、知らない女が胸元に縋り付いて、さめざめと泣いている。表情を動かさない果朶に、往来の視線が突き刺さる。
『あなたのことを忘れられなくて、旦那も子どもも置いてきたのに。なんで、そんなに冷たい顔で、そんなにひどいことが言えるの……』
巻き込まれても、関わっても。
碌でもないことばかりだった。
彗翅のことも、最初は確かに不快だった。早々に諦めて欲しかった。
最近それほど嫌悪がないのは、結婚云々のやり取りが、繰り返され過ぎてむしろ喜劇化したせいだ。
深いところに立ち入れば、また、関わるのが嫌になる。
「あーあ、手紙を書くのって苦手だわ。そもそも文字が下手って言うか」
「だから代筆屋に頼んでたのに。上手い言い回しなんてできないわよ」
「なんとかならないの、
背後から、娼婦たちの声が聞こえてくる。
「
雨禾がのんびりした声で諭す。
彗翅が、〈望淵〉に糖水を差し入れた日から、何日かが経った朝だった。
果朶は、雨禾と娼婦が会話するのを、月季館の勝手口に腰掛けて、聞くともなしに聞いていた。
廻廊を挟んだ斜向かいで、木箱を背負った煙草売りが、娼婦から呼び止められていた。どこかで見た顔だと思い、少し前に
よく見ると、存外に若かった。
「夜勤明けで疲れてるところ、ごめんね、果朶。
雨禾に呼ばれて、果朶ははたと我に返った。
憂い顔をした雪が、思い出せそうで思い出せないのよねと唇を尖らせている。
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