喫茶ミスト
時雨澪
第1話
「わぁぁぁぁ!!!!」
何かに突き動かされるような感覚がして、叫びながら飛び起きた。
なんだろう、よく思い出せないが、何か酷い夢でも見ていた気がする。鼓動がうるさくて、呼吸も落ち着かない。じっとりとした嫌な汗をかいていた。
自分の鼓動を感じながら、一つ、二つと深呼吸をする。
ちょっとずつ落ち着いてきた。ぼやけてた視界も広がる。
ベッドは真っ白なシーツに包まれ。私が寝ていたであろう枕はとてもふかふか。部屋はそれほど広くない。木目調の壁に私が寝ていたベッドと小さなテーブルにイス。カーテンは開け放たれており、外から入る光が目に痛かった。
……全く知らない場所だ。はっきりと周りを認識しているはずだが、この場所がどこなのか検討もつかなかった。
部屋の隅に置かれた全身を写せる大きな鏡には、黒いパーカーを着た黒いショートヘアーに赤い目の少女がベッドの上に座っている。これはもちろん位置関係的に私を写している……だけど、私ってこんな感じだっけ。こんな感じだったような、違うような。
まず、何をしてたんだっけ……。
あれ、何も思い出せない。おかしい。昨日の記憶も、一週間前の記憶も、一ヶ月前の記憶も、全く思い出せない。
――そもそも私は誰だろう。
私の思考を邪魔するように部屋の外から足音がする。外に人がいるんだ。ここにいるのは私だけじゃない。誰だろう。もしかして、悪い人?
足音は部屋の前でピタリと止まった。
ガチャ……。
部屋にある唯一の扉が開く。
扉の向こうから一人の女性が入ってきた。ピンクの髪を長く伸ばした背の高い女性。いかにもお姉さんといった感じだ。優しい表情をしている。
「あら、起きたのね! 調子はどう? 変な感じは無い?」
女性は部屋に入るなり屈んで私と同じ目線の高さになる。とても距離が近い。石鹸のような良い匂いがする。警戒心を無理矢理内側から解かれた気分がした。
「えっと……」
「あら、ごめんなさい。自己紹介がまだだったね。私は霧咲ミカ。細かい事を言うと長くなるからとりあえず名前だけね」
自己紹介されても今のこのよくわからない状況には全くついていけない。
「えっと、ここは?」
「ここは喫茶ミストの二階だよ。私がマスターをしているカフェよ。普段は他の従業員が暮らしているんだけどね。あ、心配しなくて大丈夫。ここは元から空き部屋だったから」
ミカと名乗る女は淡々と説明する。喫茶ミストなどという名前に聞き覚えは無かった。
「それで、調子はどう? 体調が悪そうだったら言ってね。頭痛薬とかならあるから」
そう言われて、素直にベッドの上で体を動かしてみる。と言っても、首や肩を回してみる程度だけど。うん、特に変な感じはないかな。
「大丈夫そうかな」
「それは良かった! 三日経って起きない時はもうダメかと思ったけど」
え、三日? どういう事?
「えっと……私は何日寝てたの?」
「ん? ざっと一週間かな」
嘘……そんなに寝てたの?
「ほら、そんなにビックリしないで。今生きてるからいいじゃない」
いやいや、そういう問題じゃない気が。
「どうして一週間も寝てたの……」
「あら、覚えていないの?」
私の小さな独り言をミカは聞き逃さなかった。
「うん。ちょっと思い出せない」
「そうなのね、わかった」
ミカは突然ポケットから小さな手帳とペンを出して何かをメモし始める。ペンが紙に擦れる音だけ聞こえる。
「それは何?」
「ん? まあちょっとね……。そんなことより――」
ミカは言葉を濁したかと思うと、今度は鋭い目線で私の事を見据える。優しそうな雰囲気が一気に氷のように冷たくなる。別人のようだ。
「そんなことより……本当に体の不調は無い?」
「どうしてそんな事聞くの? 別に大丈夫ってさっき……」
「……記憶も大丈夫?」
ミカの言葉にギクッとした。なんで分かるの?
「えっと、まあ、ちょっと思い出せないかも……」
「なるほど。産まれた場所はわかる? 育った場所はわかる? 通っていた学校の名前は? 一番大切にしていた友達の名前は? 親の名前は?」
見事に分からない。酷い。聞かれた質問全てに答えられない。記憶にモヤがかかっているとかではなく、そもそも聞かれた部分に対する記憶がすっぽりと無くなっているような気分だった何も思い出せない。
「ごめんなさい……全部思い出せない。嘘ついてるんじゃなくて……」
「分かったわ……」
ミカは持っていた手帳とにらめっこしながら、ボソッと「ひとまずは安心かも……」と呟いたのが聞こえた。何が安心なのだろう。こっちは記憶が消えているのに。あ、やっぱり悪い人なのかも。
「とりあえず」と、ミカが気持ちを切り替えたかのような口調になる。
「とりあえず、あなたの事はウチでしばらく預かる事にするわ。こんな状態で一人で社会に放り出したら、また死んじゃうかもしれないから……」
そう言った所で、ミカは自分の腕時計を少し見た。
「あ、ごめん、ちょっと用事を思い出したから私は少し離れるね。少ししたらまた戻るから」
「ちょっと待って」
ドアノブに手をかけるミカを呼び止める。今離れられると困る。
「何かあった? もしかして体調悪くなった?」
「そうじゃなくて……ちょっと聞きたいことが」
「答えられることなら」
そういうミカにはさっきの氷のような雰囲気をまた纏っているように見えた。少し気圧されるが、それでもこれだけは聞いておかないといけない気がした。
「あの……私は誰なの? どうしてここに? 一週間寝てたのだとしたら、私は一週間前何をしてたの? ミカは知ってるの?」
「誰かは分からない。けど、あなたが何故ここにいるか。一週間前にあなたの身に何があったのかは知ってるよ」
「じゃあ――」
私はベッドから身を乗り出した。
「でも……多分知らないほうがいいんじゃないかな。一応、一週間前になにかがあって、私はあなたをここに寝かせてあげた。それは教えてあげる。でも、それ以上は言えない」
ミカの顔は真剣そのものだった。あまり嘘をついているようには見えない。真っ直ぐ私の目を見てくる。
「わかった。私もそれ以上は聞かない。でも、もう一つだけ教えて欲しい。あなたは何者なの?」
「私? 私は霧咲ミカよ。それ以上でもそれ以下でも無いわ」
ミカは笑顔で言った。それじゃあ何も分からないよ。
ミカは私のもとに歩み寄る。そして、体をギュッと抱き締めた。
どこからか甘い香りがする。
それと共に眠りに誘われて……。瞼が開かない。ああ、意識が遠のく。
「ごめんね。警戒するよね。でもこれはあなたの身を守るため。大丈夫、私はあなたの味方よ」
意識の向こうで声が聞こえた気がした。
***
ハッと目が覚めると、日も落ちて外は真っ暗だった。
「あれ、いつの間に……」
部屋の中には誰もいない。いつの間にか眠っていたようだ。
ミカはどこに行ったのだろう。少ししたらまた戻ると言っていた気がするけど。まさか捨てられた……?
――いやいや、捨てられたもなにも、ミカが信用できる人間かはわからないじゃん。
大事な部分は全部はぐらかされてるし。信用できるかはこれから見極めないと。
それにしても喉が渇いた。水が欲しい。でもこの部屋には水どころか冷蔵庫も見当たらないな。
部屋の外に行けば水あるかな。
体を起こしてベッドから立ち上がってみる。少しふわふわするけど、歩けない事は無さそう。
部屋の扉を開けると、左右に少し廊下が伸びている。右を向くと、いくつかの扉と行き止まりしか見えない。しかし、左を向くと、下に伸びる階段が存在していた。
勝手に扉を開けるのは良くないだろうし……ここは階段を降りた方が良いよね……?
ゆっくりとした足取りで階段を下る。一段が高くて階段の角度が急なせいで、足を踏み外しそうで怖い。
なんとか下に降りると、そこはカフェになっていた。なるほど、これが喫茶ミストか。光をたっぷり取り込めそうな大きい窓、横に長いカウンターと数席のテーブル席。それほど広い訳では無い。けれど、この雰囲気、私は好きだ。一日中居たくなる。なんだかそんな不思議な魔力があるようだった。
フロアを一通り歩いて見て回る。沢山のイスとテーブルに立派なカウンターまで置いてある。壁も家具も小物も全体的にアンティーク調で落ち着いた雰囲気だ。
ただ一つ気になることがある。
「あのー、どうしてそこで寝てるんですか……?」
昼は客が座っているであろうソファーに一人の少女が寝ていた。
ひらひらのメイド服を着ていて、茶髪のポニーテールを解かずにすやすやと寝息をたてている。背は私より少し低いくらいかな。高校生辺りの年齢に見える。
声をかけても起きないので、少女の頬を指でつんつんしてみる。
「んんー……もうちょっと寝かせてー……」
少女は声を漏らしながら身じろぎする。何度か触っていると、少女は薄目を開き始めた。少女の瞳がこちらを捉える……。
「――っ!!!」
起きたかと思うと、少女は野生動物のような身のこなしで飛び上がり、私の視界から消えた。
「あなた、誰?」
後ろから声がした。同時に、後頭部に何か冷たい棒のような物を突きつけられる。なんだろうこれ。
「えっと……」
「あ、動かないで」
振り向こうとしたら冷たい声で制された。ミカと同じだ。体の芯まで凍りそうな冷たい声。
「私は……その……怪しい者ではなくて……」
頭の中に浮かんだ言葉を並べて状況を打開しようとしてみたけど、これじゃあ逆に怪しい人みたいだ。
「それで、君は誰なの」
さっきより後頭部にかかる圧が強くなる。あれ、これってもしかして危ない状況?
名前思い出せないんだよね……。どうしよう。
「え、何してるの……」
唐突に、カウンターの方から声が聞こえた。
声のする方を横目で見ると、そこには別の少女が立っていた。長くて真っ白な髪に透き通る青い眼。身長は茶髪の子と同じくらい。この子も同じようにメイド服を着ていた。
「何って、知らないヤツが中に居たから」
「いや……その子は二階に寝かせてた子……」
「えっ?!」
白髪の少女にそう言われて茶髪の少女は大きな声を出して驚いた。後ろから私の顔を覗き込んでくる。明るい茶色の瞳に吸い込まれそうだった。
私の顔をじっくりと見た茶髪の少女は申し訳なさそうに小声になった。
「その、あの、見慣れない姿だったからさ、つい警戒心が――」
「ナツ……言い訳の前に言うことあるでしょ」
「えっと、ごめんなさい!」
白髪の少女の促されて茶髪の少女は深々と頭を下げた。
「あはは……どうやら大丈夫っぽい?」
あまり事態を飲み込めていない私はどう反応していいか分からなかった。ただ、よく見ると、茶髪の少女が腕を体の後ろに隠しているが、そこから黒く光る筒が少しだけ見えていた。
まさか……いやいやそんな。
まあ見えなかったことにしよう。
「ごめんね、初対面でこれはちょっとイメージ悪いよね。さっきも言ったけど、ちょっと警戒心が強かっただけだから。普段はこんな事しないよ? 絶対しないんだから……それにさ――」
茶髪の少女は努めて笑顔をキープしながら困り眉で言い訳を繰り返していた。状況が飲み込めてないから怒るポイントが無いんだけど。
「ナツ、その辺にしよ。初対面なのに自己紹介もまだ……」
白髪の少女はおとなしい口調で茶髪の少女の言い訳を遮る。
「あ、そっかそっか。じゃあ自己紹介するね。ナツがナツで!」
茶髪の子が元気いっぱいに言う。
「フユがフユ……」
白髪の子が続いて自己紹介してくれた。この子はずっと大人しそうだ。
「ナツたちあんまり似てないけど双子なんだー」
「フユたち仲良し」
ナツとフユは二人でハグをしてみせた。確かに仲良さそう。
「ナツたちここに住みながら働いてるんだ」
「マスターがフユたちの部屋も服も食べ物も用意してくれた」
ナツとフユは腰に手を当ててドヤ顔だ。
でもマスターって誰のことだろう。
「あ、マスターっていうのはミカさんのことね。カフェのマスターって事」
ナツが私の事を察してくれて、すかさずフォローを入れてくれた。
そういえばそんな事言ってたかも。
それにしても住み込みで働いてるんだ。すごいな。
「それで、あなたの名前は?」
ナツが私に問いかける。
「私は――」
勢いで言えば、記憶が勝手に名前を発してくれるかもしれないと淡い期待をしたが、どうやら無駄らしかった。やっぱり私の記憶は消えたままだ。名前も思い出せない。
「どうしたの……?」
「やっぱりまだ体調良くないかな」
二人とも心配してくれている。ただ、どれだけ心配してくれても、私の記憶が戻ることはなかった。
「いや、そうじゃなくて――」
どうやら記憶については諦めるしか無いようだ。少しの静寂の後、私から話を始めた。
「――ちょっと記憶が無くなっちゃってて。名前の記憶が完全に抜け落ちてて、それだけじゃなくて、ここ数週間の記憶も無くて……」
私が一通り言い終わると。ナツもフユも無言だった。信じられないよね。信じてくれないよね。
しかし、次にナツとフユの発した言葉はとても意外なものだった。
「なるほど」
「まあ、そんなこともある……」
え、受け入れられるの? 話し相手が記憶喪失とか普通信じられないと思うんだけど。さっきのナツの身のこなしと言い、銃みたいなやつといい、さっきから私の常識とか想像を越えてくるのなに?
「じゃあ仮の名前考えてあげないとね!」
ナツが元気に言った。いや、完全に話し相手が記憶喪失であるということを受け入れている人の口調だ。
「何が良いかな……」
「そうだなー」
ナツはおもむろに私の目の前に立つ。とても近い。シャンプーの良い匂いがする気がした。
ナツは突然、私の髪をそっと触った。
「綺麗な髪だね」
「えっ?!」
まさかそんなところを褒められるとは思わなかった。少し動揺してしまう。
「じゃあ……名前はクロにしよう……」
「あ! ナツもフユと同じこと考えてた!」
そんな簡単に決まって良いの? 褒められてるから悪い気はしないけど。
「ねぇ、クロはどう思う? いい名前じゃない?」
あ、私か。ナツがこっちを見ている。どうだと言わんばかりの目線だ。というか、私の同意無しにもう呼んじゃってるじゃん。
……まぁ、悪くないか。
「うん。良いと思う。覚えやすいし。記憶も消えちゃったしこれからクロとして生きようかなー」
「記憶……取り戻したいとか無いの?」
フユが不思議そうに私を見る。
「あはは……半分冗談だよ。冗談。流石に自分が本当は何者かは知りたいよ。だけど記憶の取り戻し方とか分からないもん。じゃあクロとして生きるのも有りなのかなって。それだけ」
「じゃあさ、記憶が戻るまでの間、ナツたちと一緒に幸せに暮らそうよ! なんなら記憶が戻ってからでも一緒に暮らそうよ!」
「フユたち……大歓迎」
「あはは、ありがとう」
ああ、ずるずるとここで暮らす体制が整っていく。だだ、ミカといい、ナツとフユの二人といい、完全に信用していいのかわからないんだよね。
「あっ、そういえばクロって上で寝てたはずだよね。どうしたの? 体調は大丈夫?」
ナツが思い出したかのように私に聞いてくる。完全に忘れてた。そういえば喉が渇いてたんだよね。ああ、思い出した途端に水分が欲しくなってきた。
「体調は大丈夫なんだけど、喉が乾いちゃって」
「それなら早く言ってくれれば良かったのにー。水持ってくるね!」
いやどこに水が欲しいと言うタイミングがあったんだ。
カウンターの奥にあるバックヤードの入り口に消えていくナツの背中に、心の中でツッコミを入れずにはいられなかった。
フユはカウンターの少し高い椅子に腰掛ける。すると、私の方を見て言った。
「隣、座って……立ちっぱなしじゃしんどいでしょ……?」
フユに促され、私は隣に座った。
「ごめんね……あんな事しちゃったけど、ナツは悪い子じゃないから……」
「別に大丈夫だよ。これから良い所見せてくれるんでしょ?」
フユは申し訳なさそうに言ってくれたけど、私からすると、今は良い悪いじゃなくて信用できるかできないかの方が大事なんだけどね。
「多分……ナツは優しいから大丈夫だと思う」
「そうだと良いんだけど」
本当に優しいのかな。ついさっきの出来事がフラッシュバックする。
「ねぇクロ……そのネックレス、可愛いね」
「え?」
ネックレス?
首元に目をやると、確かに私はネックレスを着けていた。あれ、全く気づかなかった。
真ん中がくり抜かれて縁だけになった銀色のハート、そしてその内側を通るように細かなチェーンが私の首の後ろを通って一周していた。
「私も気づいてなかったよ」
「誰かから貰ったのかな……?」
「うーん、どうだろ?」
フユにそう言われて私はネックレスをしばらく見つめてみる。
なんだか何かを思い出しそうな。もやの奥から何か人の姿のようなものが――。
ピキッ!
「うぁっ!」
突然頭の奥で何かが切れるような痛みを感じ、頭を抑えた。
「どうしたの!大丈夫……?!」
フユが今までの口調からは想像もできないほど大きな声を出す。
「ごめんごめん。大丈夫だから。ちょっと突然頭が痛みだしただけだから」
びっくりした。なんだったんだろう。
「フユ、私の頭から血が出てたりしない?」
フユは私の頭を少し撫でる。
「いや、特に血とかは……。というか大丈夫……? そのネックレス、もしかしたら良くない物かも……フユとナツで預かってもいいけど、どう……?」
ネックレスをもう一度見る。天井の灯りに反射してハートは少しきらめいた。ただ、さっきみたいに、何かが呼び起こされるような感覚は感じられなかった。
「うーん、いや、これは私が持っておくよ。もうさっきみたいに頭が痛くなることは無くなったし。さっきのはたまたまだったのかも」
「なら良いけど……って、たまたまならそれはそれで問題がある気が……」
確かにフユの言う通りかも。
「だ、大丈夫だよ。今は平気だから」
「おまたせー。ごめんごめん。体温計とか冷却シートとかいろいろ探してたら時間経っちゃった」
なんとか誤魔化していると、裏からナツが戻ってきた。ナイスタイミング。
「クロ、はいどうぞ」
カウンターの上に置かれた大きめのコップには、見た事の無い色をした液体がなみなみに注がれていた。
「えっと、これは?」
「ナツ特製栄養ドリンクー」
なんというか……全体的にケミカルだ。というか時間がかかった理由って絶対にこれでしょ!
「これ、飲めるの?」
「飲めない物は入れてないから飲める!」
そうかー。理論は正しいね。でも人間が口にいれて大丈夫な色じゃないんだよ。黄色系の蛍光色って明らかにダメなやつでしょ。
ナツはカウンターを軽く飛び越えると、私の肩を組んで言った。
「クロはナツの作った栄養ドリンクが飲めないの?」
「えっ」
うわ、嫌な先輩みたいなムーブするじゃん。
助けを求めてフユの方に視線を送ってみる。すると、表情を変えないまま、無言で親指を立ててきた。
サムズアップで応援されても困るんだよね。できればこれを飲みたくないんだけど。そういう方向には働きかけてくれない感じね。
「これからの関係の為に景気よく一気に飲んで欲しいな」
ナツはそんな事言ってるけど、こっちはナツとフユの事を完全に信用できている訳では無いんだよ?
気づけばナツもフユも私に期待の視線を送っている。逃げようと思えば逃げられるかもしれないが、どうせ走ったところで身体能力の差は歴然だ。すぐに追いつかれる。そもそも外で生きていく術を持っていない。飲まない選択をして駄々をこねるのも非現実的だ。この後の関係にもヒビがはいる。ここは……飲むしかない。
カウンターに乗ったコップを掴む。
「ごめんごめん。ちょっとボーッとしてた。ドリンクありがとうね。早速いただきまーす」
私はそう言うと、コップに口をつけた。二人の視線が後戻りできないことを私に悟らせた。
コップを一気に傾ける。謎の液体が口の中に入る。ドロッとした液体が、口の中いっぱいに広がる。それは、名状しがたい味で、思わずむせ返りそうになった。脳がこの飲み物を拒否しているようだ。ただここで止まってはいけない。もう片方の手でコップを抑え、さらに口の中、いや、胃の中に流し込む。絶対に止まらない。その気持ちだけでコップをさらに傾ける。そしてその勢いのまま――コップの中の蛍光色が減っていくのと、食道に液体が流れるのを感じて――飲み干した。
「はぁ……はぁ……ごちそうさまでしたっ!」
コップをカウンターに叩きつけた。苦しみからの開放。そして怒り。すべてがコップに伝わる。少しコップにヒビが入ったように見えたけど多分気のせいだ。
「おお……良い飲みっぷりだね!」
ナツは嬉しそうにしている。うんうん良かった。これからも安心だ……。あぁ、意識が遠のく……。あれ、これってデジャヴ……どうして一日に二回も意識が遠のかなくちゃいけないの……。
バタン!
「ええっ、クロ! どうしたの!」
薄れ行く意識の向こうで二人が話していく。
「ナツ……クロに何を飲ませたの……」
「え? たまたま冷蔵庫に入っていたものをミキサーで混ぜたんだよ! 栄養ドリンクに、スポーツドリンクとゼリー、あとネギと生姜とそれから――」
なんてもの飲ませるんだ……。
そこで私は夢の世界に入ってしまった。
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