第56話 神様はオーダーメイドがお好き

「なんだか、思ったより」


「呆気なかったわね」


 私とバイリィは、目の前で展開された魔術に対して意見の一致を見た。


 確かに火柱の規模は大きかった。いつぞやに見たドラゴンブレスに匹敵する熱量だったことは認めよう。


 しかし、私がバイリィに伝えたイメージは、「永久運動たる炎の美しさ」である。


 『監獄』を超えるほど高く昇った火柱はそのイメージにふさわしいものではあったものの、持続時間が明らかに短い。さすがに永久にとまではいかずとも、周辺の空気がカラッカラになるくらい燃えていてほしかったというのが本音である。


 この世界の森羅万象におわします神々は、異界の文学をあまりにお気に召さなかったのだろうか。


「バイリィ。君から見ても、この結果は残念なものなんだな」


「んー。この厚さでしょ? もっと燃えてもいいと思うんだけどなぁ」


 彼女は『華氏451度』の中身をじいっと見つめていた。


 私も横目でちらと覗く。


 本文中の文字という文字が、グズグズになって読めなくなっていた。


 奇妙な現象だなと思った。紙に印字された文字が、あるいはへしゃげ、あるいは割れ、あるいは前後左右の文字とくっついて原型を留めなくなっていた。印字され動かぬように紙面に固定されていたはずの明朝体が、熱によって溶かされ鋳造されたかのようだった。


 水に濡れてインクが滲むのとは似て非なるものだ。まさしく、「燃えた」という表現が正しかろうと思われた。


「まぁ、私の本でも魔術が使えるとわかっただけでも十分な収穫だ。気落ちせず、次のを試そう」


 私は本の山から一冊抜き取って、バイリィに手渡した。後味が悪い映画として名高い『ミスト』の原作も収録されている、スティーヴン・キングの短編集である。


 彼女は、未解決事件の手がかりを追う探偵のように執念深く『華氏451度』を凝視していたが、私がキングの短編集で小突くと、諦めたようにそれと交換した。


 そして、中身を見て、数秒固まった後、このような疑問を投げかけた。


「ねぇ、イナバ。さっきの符とこの符って、作者同じなの?」


「いや、違うな」


「じゃあ、写した人が同じとか?」


「それも違うな」


「じゃあ、なんで、」


 バイリィはそこで短編集の適当なページを開いて、私に見せつけた。


「さっきと文字が全く同じなの?」


 私は、彼女が何に疑問を抱いているのかわからなかった。


 開かれたページを読んでみるが、ヘッダーの副題からして先程の『華氏451度』とは全く異なることは明白である。この本がキングの短編集であるということは疑いようもない。


「……文字が同じというのは、どういうことだ? 私がいた世界の本なんだから、同じ言語で書かれていることは当たり前だろう」


「そうじゃなくて……えーっと……」


 彼女は歯がゆそうに角帽をコンコンと叩いて、脳髄から言語を抽出しようとしていた。


「Mò Jìって言ってもたぶんわかんないよね。えーっと、なんだろ、人がさ、文字を書くじゃん。で、絶対、文字ってその人の個性が出るじゃん。それのこと。イナバの本には、それがない。どっちの符も、同じ人が書いたように見える」


 私はその説明を聞いてようやく腑に落ちた。「文字が同じ」とは、「筆跡が同じ」ということか。


 そして、今度は私が説明に窮する番となった。


「バイリィ。君の言っていることは理解できた。だが、ううむ……なんと説明したものかな。私のいた世界では、符というものは、人の手で書かれていないんだ」


「え、じゃあ、どうやって書いたのこれ」


「すごい器用に動く、人形が、頑張って?」


 活版印刷すら普及していなさそうなこの世界において、レーザープリンターやらオフセット印刷やらの仕組みを説明することは難儀を極める。私はごまかしの説明に逃げた。


「イナバの世界って、人形が符を書いてるの⁉ 人は何してんの?」


「ああ、違う違う。そうじゃない。そうだ。原典は人が書くんだが、複写は人形がやってくれるんだ。で、私が持ってる符は原典じゃなくて複写本。だから、みんな文字の個性が同じ。そういうことなんだ」


「……よくわかんないってことだけ、わかった」


 具体的なビジョンが全く思い浮かばなかったのだろう。バイリィは頭に疑問符浮かべたままそう答えた。


「でもこれで、イナバの符の魔術がイマイチな理由、わかったと思う」


「ほう」


「人の手で書かれていないから、神様たちが興味を示さないんだと思う」


 バイリィはそう言った。

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