第54話 実験開始
その後、書物のラインナップを見繕った私は、部屋中を引っ掻き回して、今日の実験に使えそうなものを漁った。
百円ライター、万年筆、スプレー型の消臭剤、片方のカバーが外れたイヤホン、フライパン、エアコンのリモコンなどなど。
用途は私自身にも見出すことができないが、まぁ、何かの役には立つのではないか。
それらを一階の談話室まで運び、外で煙草をぷかぷかさせていると、城壁の方から人影のようなものが飛んでくるのが見えた。
見えない足場に片足置いて、前方へ跳躍。ジグザグに近い動きで、ひゅんひゅんと森の上を飛び渡ってくる。
空を駆けているという表現が最もしっくりくる動きである。
その人影は、『監獄』の壁に張り付くように着地したかと思えば、入り口で煙を吹かす私の存在に気づいたらしく、またも跳躍、私の目の前に、音も立てずに着地した。
ぶわりと風が舞って、煙草の先から灰が散った。
「良い朝ね、イナバ」
言うまでもなく、バイリィである。いつもの黄色地の浴衣のような格好だ。
私は煙草を咥えたまま、片手を上げて挨拶を送った。
「その口のやつ、なに? 変なにおいするけど」
彼女はくんくんと鼻を鳴らしてそう尋ねた。
「これは、Tabakoといって、毒煙だ」
「え、毒?」
「そう」
「毒なんか吸ってどうすんのよ」
「どうにもならん」
「変なの」
昨夜のケンネとは違い、バイリィは煙草に全く興味を示さなかった。
それだけ彼女の精神が満ち足りているということだ。なによりである。こんなもの、吸わないほうがいいに決まっている。
私は煙草の火を消して、改めてバイリィに向き直る。
「どうする? まずはcoffeeでも飲むか?」
彼女は手の甲を見せる。
「後でいいや。それよりさ、早く実験やろうよ!」
「随分とやる気じゃないか」
「契約したからには、ちゃんと働きますよーっと」
熱き血潮でもたぎっているのか、バイリィは空中に向かってブンブンと腕を振り回す。
私は彼女がウォーミングアップを済ませているうちに『監獄』へと戻り、談話室からリュックサックを取り出した。玄関口で口を開き、詰め込んだ書物や道具を次々に取り出す。
「わ、すごい! それ、全部符なの?」
バイリィが本の山を見て感嘆の声を漏らす。
「まぁな。この世界で言うところの、娯符になるか」
「こんなにたくさん!」
「ふふふ。こんなもので驚くのはまだ早いぞ。私の部屋には、これの何倍もの蔵書がある」
「イナバって、お金持ちだったんだね!」
ほえーと感心しながら誤解するバイリィだったが、羨望の眼差しを受ける気分は悪くなかったので、私はあえて否定はせずにしておいた。
「さて、早速実験に移ろう……と、言いたいところだが、バイリィ。その前に、君に教えてもらいたいことがある」
「なに?」
「魔術の具体的な使用法についてだ。君や店主から概要だけは聞いたが、いまいち、私にはどんなものかわからない」
私はそこで、手近な一冊を手に取った。
焚書が当たり前になったディストピア世界を描いた作品、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』である。
タイトルや内容が魔術に影響を与えるのならば、確実に炎の魔術を使えると思って選択した一作だった。
「君とケンネの戦闘を見て、魔術というものは、言葉を通じて現象を引き起こす術だというのは理解した。だが、そこまでだ。具体的な方法論を教えてほしい。例えば、この一冊を用いて魔術を行使する場合、どのようにやるんだ?」
私は『華氏451度』をバイリィに手渡した。彼女は最初こそ、黒と赤の重厚な装丁に目を奪われていたが、ややあって、困ったように呟いた。
「どうって言われても、うーん……」
「私は、具体的な条件が知りたいんだ。タイトルだけ唱えれば魔術を使えるというのなら、私が君にその作品名を教えるだけで事足りる。だが、内容まで逐一読み上げる必要があるならお手上げだ」
しかし、後者の線は薄いと私は見ていた。
バイリィとケンネの戦闘を思い出す。あの時、ケンネはたしかに長い言葉を唱えてはいたが、それにしたって、一作品にしては短すぎる。
私の想定が正しければ、魔術というのはタイトルや一節などのキーワードを唱えるだけで行使はできる。詠唱を長くするのは、魔術の効果を高めるバフのようなもの。
符を魔術の情報が詰まったzipファイルだとすれば、解号はその箱を開けるパスコードのようなものだろう。
この世界の魔術がそういう原理で動いていると仮定するならば、現世の作品でも魔術を行使できる可能性は十分にある。
私が確認するように思考を反芻していると、バイリィがようやく口を開いた。
「店長から話は聞いたよね? 魔術っていうのは、言葉を使って、自然の神様の力を借りる術だってこと」
「うむ」
「その認識で、合ってるとは思う。でも、この神様たちってのが結構気まぐれでね、単純な文章じゃああんまり協力してくれないんだ」
「てっきり、簡潔でわかりやすい文章ほど優れた魔術を発揮できるものだと思っていたが、違うのか」
バイリィは腕をクロスして両手の甲を見せる。
「逆、逆。神様たちは、符の内容が複雑だったり、文体が独特だったりするほうが、力を貸してくれる」
「それは、何故なんだ」
バイリィは右手をひらひらさせた。
「それがわかんないから、みんな試行錯誤していろんな作品を書いてるの。探り探りでね。でも、あたしは思うんだ。神様は、符の内容を『面白い』って思うほど、力を貸してくれてるんじゃないかって」
「なんで、そう思うんだ」
「あたしが符なしで魔術を使えるのは、神様たちの声が聞こえるから、かな」
私が少なからず驚嘆の表情をしてみせたせいか、慌てたように彼女は付け足す。
「いや! そんなはっきりとしたものじゃないよ! なんていうか、気持ちっていうか、欲求っていうか、とにかく、そういうものがぼんやりとわかるだけ!」
それでも十分すごい。彼女の家系は神官や巫女の一族なのだろうか。
「題名だけで魔術を使えるのは、神様の好みの通りに発声してるからなんだけど……」
「へぇ」
「どうせ、信じてないでしょ」
かつてカミングアウトしたのに夢想家の類として受け止められでもしたのか、バイリィの顔は赤らんでいた。
「いや、信じる」
しかし、私にとってみれば魔術を使える時点でファンタジー。今更神様の声が聞こえる程度、受け入れることなど造作もなかった。
「なるほど。魔術の力の強弱については理解した。じゃあ次だ。この本を用いて魔術を行使するにはどうすればいいんだ?」
バイリィは己の特技についてこれ以上触れてくれるなという顔をしているので、私は話を前進させる形で方向転換する。
「……それは、うーん、実際にやってみせたほうが早いかな」
バイリィは、まだ赤らんだ頬のまま、『華氏451度』をぱらぱらとめくりだした。
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