第39話 獣肉と茸の串焼き――スパイスソース仕立て――
部屋の掃除を自主的に請け負ったケンネをあばら家へ残し、私とバイリィは街へと出向いた。
邸宅の門をくぐり、しばらく歩いて、行きがけに見た大路の入り口、あるいは出口にたどり着く。
「今日は、あたしがオススメの店を案内してあげる!」
バイリィは得意げに胸を張りながら、せかせかと足を動かした。
大路には、たくさんの店と人がいる。店先で交渉をしている者、井戸の近くで談笑に耽る者、屋台の裏で必死に手を動かし料理を作っている者。
いちいち詳細に見ていられないほど、たくさんだ。
そんな人の多いところに身を投げたせいか、我々は、多くの人に話しかけられた。
なんせ、私は異世界に馴染みのないスーツ姿であり、バイリィはこの街の領主の娘という有名人なのだから、当然の成り行きではあった。
「おや、バイリィちゃんじゃないか。なんだか、えらい風変わりな彼氏を連れてるね?」
そんな感じの言葉を、少し歩くだけで投げかけられた。
そもそも人見知りしがちな私は、苦笑いを浮かべることしかできなかった。
しかし、バイリィは、こうして話しかけられることに慣れているのか、その度に「そうなの!」とか、「今日は貴重な時間だから、また今度話そう」とか、適当にあしらっていた。
ようやく二人きりになれたタイミングで、私は言った。
「本当に、君は、有名人だな」
「そうよ。うんざりするくらいには、ね」
そう言う割には、どこか誇らしげである。
「でも、言っとくけど、シューホッカの家に生まれたから、こうなってるワケじゃないんだからね。これは、あたしの実力に対する評価なんだから」
そう言うと、ある屋台の前で立ち止まり、にんまりと笑って見せた。
「証拠、見せてあげる。ねぇ、おじちゃん!」
バイリィは、網の上で串焼きにソースを塗りたくっている店主に向かって声をかけた。
「お。バイリィ嬢じゃないか。嬉しいね。ウチのを食べてくれるってのかい?」
「そ。獣肉と、kóngのやつ、二本、ちょうだい」
「あいよ! ん? 隣の兄ちゃん、見ない顔だな」
「遠い街からのお客さんなの。あたしが、案内してる」
「なるほどなぁ。どうりで、窮屈そうな格好してると思ったよ!」
今日は、あと何回服装をイジられることになるのだろうかと、私は私でうんざりしていた。こんなことなら、もっとラフな格好をすればよかったと思った。
「あいよ。出来たぜ」
「ありがと」
そうこうしているうちに、肉と、なにやらよくわからない白いものの串焼きが、バイリィに手渡された。全体に焦げ茶色のソースが塗られていて、美味そうではある。
だが、気になるのはむしろ、この後に行われる交渉のほうだ。
貨幣経済が発達した中ではお目にかかれない、物々交換の現場である。
道を歩いている最中に幾度か見かけはしたものの、きちんと一部始終を見るのは初めてのことだった。
果たして、レートが定められていない状況下で、どんな交渉が行われるのか。
それは、できたての串焼きが、美味しさのピークを迎えるまでに終わることなのか、私は気になった。
交渉は、バイリィが口火を切って始まった。
「対価は、火と水、どっちがいい?」
「火だな。お前さんの符は、火力も持続もちげぇ」
「二枚で足りる?」
「おいおい。買いかぶってもらっちゃ困る。一枚でも勿体ないくらいさ」
「それじゃ、はい。墨濃いめだから、たぶん半日は保つよ」
「大儲けさせてくれて、ありがとよ!」
そして、終わった。
拍子抜けするくらいに、あっさりと終わった。
袖口から小さな符を店主に手渡したバイリィは、まだ熱々の串焼きを手に携え、こちらに寄ってきた。
「どう? あたし、すごいでしょ?」
「ああ」
私は一本受け取り、そう答えた。
彼女の交渉は、恐らく、この世界のスタンダードではない。
現に、隣の青果店では、店主と主婦が、大一番のポーカーに賭ける勝負師のような目つきで、侃々諤々の交渉を続けている。
この世界で貨幣経済が発達しなかった一因は、恐らく、一日の時間が長く、考える時間が多いがゆえに、効率というものをそこまで必要としなかったからであろう。
だから、物々交換なんて悠長なことができるのだ。
しかし、バイリィの交渉は、現世のキャッシュレス決済のごとくスムーズに終わった。
それだけ、彼女の支払った対価——1枚の符と、そこに記された文字——に、価値があるということなのだろう。
「あたしの魔術は、それだけ強力なのよ」
彼女は、串焼きの肉をハフハフ頬張りながら、言った。
「あっぱれだな」
私も一口頬張って、そう答えた。
繊維の多いスジ肉だったが、柔らかく、口の中でほどけて、美味かった。
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